明治三十一年十月二十六日
南海分教会長山田作治郎及び役員一同山田三女たみゑ出直し及び教会治め方事情願

さあ/\尋ねる事情/\、いかな事情身の事情、身という、身から事情尋ねる。我が身、身から尋ねる。尋ねば双方の中の理を諭する。心という理を鎮めて、しっかり聞き取れ。この道という、道は一つ教は一つ、遠い所それ/\伝う心は日々受け取る中に、だん/\事情一つ、あちら事情こちら事情あっては心に楽しみ無い。心は澄んだ理が楽しみ。中に一つ心と心の理があっては楽しみあろうまい。双方の中へ諭す。一時尋ねる処身上から事情尋ねる。思い/\の理を尋ねる。双方の中の人と人との事情、大きい理というは、皆んな理は双方相持ち。相持ちの理が無くては、どうもならん。一日の日も変わらず、心に持って日々楽しみの理は相持ち、相持ち無くては苦しみや。遠い所あちらへ歩びこちらへ歩び、なか/\であろ。一代何をしたやろ。年限の中数々の理あったやろ。心という、いつ/\までなら末代の理。末代容易ならん理である。いつ/\の理末代の理。又一つこうして皆んな中に一日の日尋ねる。どういう話があろ、どういう理がある。思い/\の理である。これまでというものは道の掛かり、どんな事思うても、思うように行くもあれば行かんものもある。治まって、どうなりこうなり台が出けたようなもの。これまで順序の理は世界教、一つ話、一つこの理より外は無い。道の理一つ、これより楽しむ理は無い。一日の日より思い立ったる、将来の理楽しみ。人間いろ/\思う/\。取り直しすれば元々の理と同じ事。将来末代の理と言う。皆んな揃うてこうと言えばこう、言いよう取りよう諭しようで分かり難ない。この理聞き分け。会長という、会長ありて下、下ありて会長、俺という我という理は添わんによって、この順序から治めるなら、皆んな治まるで。

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