明治二十六年五月十一日(陰暦三月二十六日)夜
本席腹の痛み事情に付願

さあ/\一寸身の障りを付けて、それより話よく聞き取れ。どんな事もこんな事も皆諭してある。どれだけ諭してもどうもならん。諭したる処、用いる処もあれば用いらん処もある。なれどどうもならん。事情に理を付けりゃどんな事でも理を付けられる。うっかり聞いて居られん。だん/\道が盛んになり、順々道を付け渡し、高く所へ理を映り、理話したるまでの理はどうでも回りて来る。一段の足場を広くに括り掛けたようなもの。だん/\の話、だん/\の道、一寸足場を掛け掛ける。又だん/\広くの中、一つの濁りどうでもこうでも濁るから、どうしてなりとも抜かねばならん。濁り水/\、快い日には濁りは出ん。濁り水の出る時には一日の日朝と言う。どんな事も無けりゃよいが/\。心に掛ける事出来ん。風の向きが善ければ天気、風の向きが悪ければどうも計られん。心の理に中らねば、尋ね返やして筆に十分記し、元気ようどれだけ澄まそうと思うても、濁りはどうもならん。口説きの出ぬよう、広くの足場、国々まで掛けてくれ。先ず/\の事情、どれだけの足場を掛けても、縄切れば落ちる。安心なるは一時、風の向き何時難風に誘われな。どんな理にも遭わんよう、一時速やか洗い切る。こうという事情が間違う。風雨という、どういう理が発しるとも分からん。前々さしづ、一時洗い切って十分足場括り掛け。ならん/\の道もあれば、陽気々々の道もある。だん/\陽気々々の道は又掛かり、いかなるも治め来たる処、一名一人何程の事情でも世界一つの理という、ようこれを聞き分けてくれるよう。

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