明治二十四年七月七日
出口由松三十四才身上伺(斯道会第二百四十八号講脇)

さあ/\身上一条尋ねるから諭すのには、身上一条の理を聞き分けるなら、何かの事も分かるであろう。人にも諭しても居るやろう。聞いても居るやろ。さあ/\分からんやあろうまい。神の子供。難儀さそう不自由さそうという親はあろうまい。身の内は神のかしもの・かりものの理を諭するには、心は我がもの。心通り神が働く。この理をよく聞き分け。前生いんねん分かろうまい。分からんから尋ねる/\。事情世上には皆々どんなものも映してある。この理を聞き分け。人間は生まれ更わり出更わり理聞き分けよ。さあ/\身上は余程大層である。さあ/\どうせにゃいかんこうせにゃいかんとは神は言わん。内々家内もこの理を聞き分けよ。身上無うては楽しみあろうまい。見んならんも前生いんねん。踏ん張らにゃなろうまい。救からにゃなろうまい。人を救けるという心、救けにゃならんが天の理、救かるも天の理。これだけ尽すのに何でと思う心出さずして、内々に誠の心が睦まじいという。この理を諭し置く。身上今一時どうとも無い。身上案じると案じの理が回る。さあさあ内々睦まじいが第一という。

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