明治二十三年三月二十日(陰暦正月三十日)
藤本喜七二十一才(真明組備後国安那郡上竹田村周旋方)
さあ/\だん/\の席/\返し/\の席をして、一夜生涯、心一つの理を以て一つ席とす。席の順序一つの理よく聞き分け。生涯の理諭そ。生涯の理を諭するには、よく聞き分け。難し事は一つも言わん。どうせこうせこれは言わん言えんの理を聞き分けるなら、何かの理も鮮やかという。そら人間という、身の内という、皆神のかしもの・かりもの、心一つが我がの理。心の理というは、日々常という、日々常にどういう理、どういう事情、幾重事情どんな理、どんな理でも日々に皆んな受け取る。日々に皆んな受け取る中に、たゞ一つ自由という一つの理、自由という理は何処にあるとは思うなよ。たゞめん/\精神一つの理にある。日々常に誠一つ、誠の心と言えば、一寸には皆弱いように皆思うなれど、誠より堅き長きものは無い。誠一つが天の理。天の理なれば、直ぐと受け取る直ぐに返すが一つの理。よく聞き分け。又一つ、一名一人の心に誠一つの理があれば、内々十分睦まじい一つの理が治まる。そら世界という、成程という、成程の者成程の人というが、常に誠一つの理で自由。又一つ、これまで運ぶ尽す中に、互い扶け合い/\は諭する理。人を救ける心は真の誠一つの理で、救ける理が救かると言う。よう聞き取れ。これまで運ぶ尽す一つの理は、内々事情めん/\の事情理に治め。これより先永く事情に。又一つ、所々一つ日々という、日々には家業というこれが第一、又内々互い/\の孝心第一、二つ一つ天の理と諭し置こ。いつ/\まで変わらんよう、変わらん事情に、たすけ一条のためこうのうの理を渡し置こ。さあ/\授きよう/\、あしきはらいたすけたまへ天理王命、と、これを三遍又三遍々々々三々々の理を渡し置こ。さあさあ授きよう/\。しいかり受け取れ/\。