明治二十三年九月二日夜十一時
刻限

さあ/\事情急ぐからぼつ/\話する。さあ/\これまでというものは、まあ古い事もどんな事も説き諭してある。いかなる処も説き諭してある。これからの事情分かろうまい。その日/\の処が見えん事にはいつの事やら分からんから、一寸話して置く。これからの事情はころりと変わる。一寸どういう事と思うか分からんで。もう何とも思う事は要らん。変わらん事には、これまでの残念晴らせん。話の事情変われば、中にはちよい/\との話聞く。ほのかの話、これまで書き写したるあらあらの話、こういう事もあった。これであろうか、あれであろうか、日々聞いて居る。さあ/\事情変わる。まあ暫くの間なりと思う事情どんと変わる。どんな道を変わるとも知れん。どんな所が無いようになる、これだけ残った、これどういうものであろう。これからすっきり思わく通りにして了う。まあ何たる事情、詳しい説いて付けたる道がある。日々に心にあるなら何にも案じる事は一つも無い。雨が降る/\。どれだけ降るやら雨が降る。一夜の間にもどう成ろうと思う。そこで雨が止む。まあ晴天という。晴天となれば、高い山から見れば、あちらも鮮やかすっきり見える。思うようにすっきり掃除して了う。世界中自由自在、中に速やか思うようにない。高い所では一つの話がある。話あっても話一条で治まる。さあ/\怖わや恐ろしやと、前々諭してある。一日の日と言うてある。一日の日は一代と取れ。一代の道にはいかなる道もある。すっきり洗い替える。世上初め難しい道と言えば怖わがる、嫌がる、淋しなる。これ三つの理一代と取れ。古い/\もの、どんな古いもの、何が古い古いものという、何が新しいという。新しい道は通りよいと皆思う。なれど新しい道は通り難くい。古き道の理を思え。話々の理よりも日々という。さあ/\帰るを待ち兼ねた/\。刻限の理を以て話掛ける。判断の付く理もある、付かん理もある。今までという。今までは撫で摩りをして通りて居た。なれどこれからいつ/\までも撫で摩りはせぬ。出る所はすっきり落して了う。撫で摩りをすれば高い所より下ろす。低い所へはどうしても手が届き難くい。高い所はすっきり取って了う。すれば低い所は均れるであろう。変な話と思うやろう。世界すっきり均らす。これだけの話して置こう。

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