21.結構や、結構や 21.結構や、結構や 慶応四年五月の中旬のこと。それは、山中忠七が入信して五年後のことであるが、毎日々々大雨が降り続いて、あちらでもこちらでも川が氾濫して、田が流れる家が流れるという大洪水となった。忠七の家でも、持山が崩れて、大木が一時に埋没してしまう、田地が一町歩程も土砂に埋まってしまう、という大きな被害を受けた。 この時、かね 2018.08.15
22.おふでさき御執筆 22.おふでさき御執筆 教祖は、おふでさきについて、 「ふでさきというものありましょうがな。あんた、どないに見ている。あのふでさきも、一号から十七号まで直きに出来たのやない。神様は、『書いたものは、豆腐屋の通い見てもいかんで。』 と、仰っしゃって、耳へ聞かして下されましたのや。何んでやなあ、と思いましたら、神様は、『筆、筆、筆を執れ 2018.08.15
23.たちやまいのおたすけ 23.たちやまいのおたすけ 松村さくは、「たちやまい」にかかったので、生家の小東家で養生の上、明治四年正月十日、おぢばへお願いに帰って来た。 教祖は、いろいろと有難いお話をお聞かせ下され、長患いと熱のためにさくの頭髪にわいた虱を、一匹ずつ取りながら、髪を梳いておやりになった。そして、更に、風呂を沸かして、垢付いたさくの身体を、御手 2018.08.15
24.よう帰って来たなあ 24.よう帰って来たなあ 大和国仁興村の的場彦太郎は、声よしで、音頭取りが得意であった。盆踊りの頃ともなれば、長滝、苣原、笠などと、近在の村々までも出かけて行って、音頭櫓の上に立った。 明治四年、十九才の時、声の壁を破らなければ本当の声は出ない、と聞き、夜、横川の滝で、「コーリャ コリャ コリャ」と、大声を張り上げた。 昼は田で働い 2018.08.15
25.七十五日の断食 25.七十五日の断食 明治五年、教祖七十五才の時、七十五日の断食の最中に、竜田の北にある東若井村の松尾市兵衞の宅へ、おたすけに赴かれた時のこと。教祖はお屋敷を御出発の時に、小さい盃に三杯の味醂と、生の茄子の輪切り三箇を、召し上がってから、 「参りましょう。」と、仰せられた。その時、「駕篭でお越し願います。」 と、申し上げると、 「た 2018.08.15
26.麻と絹と木綿の話 26.麻と絹と木綿の話 明治5年、教祖が、松尾の家に御滞在中のことである。御居間へ朝の御挨拶に伺うた市兵衛、ハルの夫婦に、教祖は、「あんた達二人とも、わしの前へ来る時は、いつも羽織を着ているが、今日からは、普段着のままにしなされ。そのほうが、あんた達も気楽でええやろ。」と、仰せになり、二人が恐縮して頭を下げると、「今日は、麻と絹と 2018.08.15
27.目出度い日 27.目出度い日 明治五年七月、教祖が、松尾市兵衞の家へお出かけ下されて、御滞在中の十日目の朝、お部屋へ、市兵衞夫婦が御挨拶に伺うと、 「神様をお祀りする気はないかえ。」と、お言葉があった。それで、市兵衞が、「祀らせて頂きますが、どこへ祀らせて頂けば宜しうございましょうか。」 と、伺うと、 「あそこがええ。」と、仰せになって、指ささ 2018.08.15
28.道は下から 28.道は下から 山中忠七が、道を思う上から、ある時、教祖に、「道も高山につけば、一段と結構になりましょう。」 と、申し上げた。すると、教祖は、 「上から道をつけては、下の者が寄りつけるか。下から道をつけたら、上の者も下の者も皆つきよいやろう。」と、お説き聞かせになった。 2018.08.15
29.三つの宝 29.三つの宝 ある時、教祖は、飯降伊蔵に向かって、 「伊蔵さん、掌を拡げてごらん。」と、仰せられた。 伊蔵が、仰せ通りに掌を拡げると、教祖は、籾を三粒持って、 「これは朝起き、これは正直、これは働きやで。」と、仰せられて、一粒ずつ、伊蔵の掌の上にお載せ下されて、 「この三つを、しっかり握って、失わんようにせにゃいかんで。」と、仰せ 2018.08.15
30.一粒万倍 30.一粒万倍 教祖は、ある時一粒の籾種を持って、飯降伊蔵に向かい、 「人間は、これやで。一粒の真実の種を蒔いたら、一年経てば二百粒から三百粒になる。二年目には、何万という数になる。これを、一粒万倍と言うのやで。三年目には、大和一国に蒔く程になるで。」と、仰せられた。 2018.08.15