24.よう帰って来たなあ

大和国仁興村の的場彦太郎は、声よしで、音頭取りが得意であった。盆踊りの頃ともなれば、長滝、苣原、笠などと、近在の村々までも出かけて行って、音頭櫓の上に立った。明治四年、十九才の時、声の壁を破らなければ本当の声は出ない、と聞き、夜、横川の滝で、「コーリャコリャコリャ」と、大声を張り上げた。昼は田で働いた上のことであったので、マムシの黒焼と黒豆と胡麻を、すって練ったものをなめて、精をつけながら頑張った。すると、三晩目のこと、突然目が見えなくなってしまった。ソコヒになったのである。長谷の観音へも跣足詣りの願をかけたが、一向利やくはなかった。それで、付添いの母親しかが、「足許へ来た白い鶏さえ見えぬのか。」と、歎き悲しんだ。こうして三ヵ月余も経った時、にをいがかかった。「庄屋敷に、どんな病気でも救けて下さる神さんが出来たそうな。そんなぐらい直ぐに救けて下さるわ。」という事である。それで、早速おぢばへ帰って、教祖にお目通りさせて頂いたところ、教祖は、ハッタイ粉の御供を三服下され、「よう帰って来たなあ。あんた、目が見えなんだら、この世暗がり同様や。神さんの仰っしゃる通りにさしてもろたら、きっと救けて下さるで。」と、仰せになった。彦太郎は、「このままで越すことかないません。治して下さるのでしたら、どんな事でもさしてもらいます。」とお答えした。すると。教祖は、「それやったら、一生、世界へ働かんと、神さんのお伴さしてもろうて、人救けに歩きなされ。」と、仰せられた。「そんなら、そうさしてもらいます。」と彦太郎の答が、口から出るか出ないかのうちに、目が開き、日ならずして全快した。その喜びに、彦太郎は、日夜熱心に、にをいがけ
おたすけに励んだ。それから八十七才の晩年に到るまで、眼鏡なしで細かい字が読めるよう、お救け頂いたのである。

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