20.女児出産
慶応四年三月初旬、山中忠七がお屋敷で泊めて頂いて、その翌朝、教祖に朝の御挨拶を申し上げに出ると、教祖は、「忠七さん、昨晩あんたの宅で女の児が出産て、皆、あんたのかえりを待っているから、早よう去んでおやり。」と、仰せになった。忠七は、未だそんなに早く生まれるとは思っていなかったので、昨夜もお屋敷で泊めてもらった程であったが、このお言葉を頂いて、「さようでございますか。」と、申し上げたものの、半信半疑でいた。が、出産の知らせに来た息子の彦七に会うて、初めてその真実なることを知ると共に、尚その産児が女子であったので、今更の如く教祖のお言葉に恐れ入った。