141.ふしから芽が切る
明治十七年三月上旬、明誠社を退社した深谷源次郎は、宇野善助と共に、斯道会講結びのお許しを頂くために、おぢばへ帰った。夕刻に京都を出発、奈良へ着いたのは午前二時頃。未明お屋敷へ到着、山本利三郎の取扱いで、教祖にお目通りしてお許しを願った。すると、「さあ/\尋ね出る、尋ね出る。さあ/\よく聞き分けにゃならん。さあ/\このぢばとても、四十八年がこの間、膿んだり潰れたり、膿んだりという事は、潰れたりという事は。又、潰しに来る。又、ふしあって芽、ふしから芽が切る。この理を、よう聞き分けてくれ。だん/\だん/\これまで苦労艱難して来た道や。よう聞き分けよ、という。」とのお言葉であった。未だ、はっきりしたお許しとは言えない。そこで、深谷と宇野は、「我々五名の者は、どうなりましても、あくまで神様のお伴を致しますから、」と申し上げて、重ねてお許しを願った。すると、「さあ/\/\真実受け取った、受け取った。斯道会の種は、さあさあ今日よりさあ/\埋んだ。さあ/\これからどれだけ大きなるとも分からん。さあ/\講社の者にも一度聞かしてやるがよい。それで聞かねば、神が見ている。放うとけ、という。」と、お許し下され、深谷、宇野、沢田、安良、中西、以上五名の真実は、親神様にお受け取り頂いたのである。