100.人を救けるのやで

大和国神戸村の小西定吉は、人の倍も仕事をする程の働き者であったが、ふとした事から胸を病み、医者にも不治と宣告され、世をはかなみながら日を過ごしていた。また、妻イエも、お産の重い方であったが、その頃二人目の子を妊娠中であった。そこへ同村の森本治良平からにをいがかかった。明治15年3月頃のことである。それで、病身を押して、夫婦揃うておぢばへ帰らせて頂き、妻のイエがをびや許しを頂いた時、定吉が、「この神様は、をびやだけの神様でございますか。」と、教祖にお伺いした。すると、教祖は、「そうやない。万病救ける神やで。」と、仰せられた。それで、定吉は、「実は、私は胸を病んでいる者でございますが、救けていただけますか。」と、お尋ねした。すると、教祖は、「心配要らんで。どんな病も皆守護頂けるのやで。欲を離れなさいよ。」と、親心溢れるお言葉を頂いた。このお言葉が強く胸に食い込んで、定吉は、心の中で堅く決意した。家にもどると早速、手許にある限りの現金をまとめて、全部妻に渡し、自分は離れの一室に閉じこもって、紙に「天理王尊」と書いて床の間に張り、なむてんりわうのみことなむてんりわうのみことと、一心に神名を唱えてお願いした。部屋の外へ出るのは、便所へ行く時だけで、朝夕の食事もその部屋へ運ばせて、連日お願いした。すると、不思議にも、日ならずして顔色もよくなり、咳も止まり、長い間苦しんでいた病苦から、すっかりお救け頂いた。又、妻イエも、楽々と男児を安産させて頂いた。早速おぢばへお礼詣りに帰らせて頂き、教祖に心からお礼申し上げると、「心一条に成ったので、救かったのや。」と、仰せられ、大層喜んで下さった。定吉は「このような嬉しいことはございません。このご恩は、どうして返させていただけましょうか。」と、伺うと、教祖は、「人を救けるのやで。」と、仰せられた。それで、「どうしたら、人さんが救かりますか。」と、お尋ねすると、教祖は、「あんたの救かったことを、人さんに真剣に話さしていただくのやで。」と、おおせられ、コバシを2,3合下された。そして、「これは、御供やから、これを、供えたお水で人に飲ますのや。」と、仰せられた。そこで、これを頂いて、喜んで家へもどってみると、あちらもこちらも病人だらけである。そこへ、教祖にお教え頂いた通り、御供を持っておたすけに行くと、次から次へと皆救かって、信心する人がふえて来た。

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