ランドセル

ランドセル 岐阜県在住  伊藤 教江 三女の佳乃が五歳の時です。突然息つくことも出来ないほどの激しい咳をし出し、それが何日も止まらなくなりました。42、3度の高熱も続き、肺炎と診断され、入院を余儀なくされました。一度は回復して退院できたものの、半年も経たないうちにまた肺炎に見舞われ、再度入院することになりました。 二度の肺炎で、小さな身体は弱り果てていました。目の前で苦しんでいる我が子、代われるものなら代わってあげたい…でもそれは叶わないという辛さと悲しさで、私は心を倒していました。 そんな時、主人の母が、「より子はねえ…、より子はねえ、病院から元気に帰ってくることが出来なかった。でも、佳乃ちゃんはきっと元気になって帰って来てくれるから、何も心配しなくていいよ」と声を掛けてくれました。 より子ちゃんは、義母の三女で、主人の妹にあたります。より子ちゃんは五歳の時に白血病を患いました。何ヶ月も辛く苦しい闘病生活を送りながらも、早くから買ってもらった新しいランドセルを病院のベッドの枕元に置いて、元気に小学校へ通うことを何よりも楽しみにしていました。 でも、より子ちゃんはランドセルを一回だけしか背負うことが出来ずに、その後も病院のベッドで何度も何度も血を吐きながら、短い生涯を閉じたのでした。 より子ちゃんが出直した後、教会の客間の袋戸棚の中の誰にも見えない所に、「より子は死ぬの…」と書いてあるのが見つかりました。辛い闘病生活の中、最後の一時退院でうちに帰ってきた時により子ちゃんが書いたものでした。 血を吐くたびに、「私はこの先どうなっちゃうんだろう…」と不安は募っていくけれど、それは誰にも言えない。ましてやお父さんやお母さんに言ったらどんな悲しい顔をするだろう…。小さな胸は張り裂けそうだったに違いありません。 そうして病状が悪化する中、より子ちゃんはお母さんに必死の思いで尋ねたのです。 「お母さん、より子は死ぬの?死んだらどうなっちゃうの?」 苦しむ我が子にそう聞かれて、もし私が母親の立場なら、きっと何も言えず、ただただ涙があふれるばかりだと思うのです。 しかし義母は、「より子、何も心配しなくていいよ。より子は死んだら、またお母さんのお腹の中から産まれてくるんだよ! だから、何も心配しなくていいんだよ!」そう微笑みながら答えたのです。 我が子を失うという、これ以上ない辛く悲しいふしの中、義母はひたすらに教祖を信じ、「出直し、生まれ更わり」の教えを心の支えとして通ってきました。その義母が「佳乃ちゃんは、きっと元気で帰ってくる」と言ってくれたからこそ、私はその言葉にすがることができたのです。 佳乃は肺炎で高熱が出ていても、まだ命をつないで頂いている。義母が通ってきた道に比べたら、私の苦しみはほんの些細なものだ。私は親神様に心からお礼を申し上げました。 親から子、子から孫へと運命が受け継がれ、本来なら佳乃も同じように命が切れていくはずのところを、喜びを見つけて通ってくれた親のおかげで、魂に徳を頂き、大きな病を二回に分けてもらえた。大難を小難にして頂いたのです。 もうすぐ小学生になる佳乃には、ランドセルを背負って元気に学校へ通えるだけの徳を頂きたい。そのためには、身の回りの一つ一つの物を大切にして、その物の命を生かすことが、我が命を守って頂ける徳につながるのではないかと思いました。 そこで小学校入学にあたり、服も下着も靴下も学校の用具も、一切新しい物は買わずに、すべてお古として頂く物だけで通らせることにしました。 ランドセルは、長女が六年間使い終わったばかりのものがありました。親の目から見ても、とても綺麗とは言えないランドセルです。佳乃は、このランドセルを喜んで使ってくれるだろうか…。 「こんなボロボロのランドセル、誰も持って来ないよ。みんなピカピカのだよ。嫌だよ!」そんな娘の声を想像してしまいました。 しかし、徳を積むためには全ての与えを喜んで受け入れなければならないと思い、まず長女に話をしました。 「六年間、ランドセルを背負って元気に学校に通えたことを親神様・教祖にお礼をさせてもらおうね。それから、ランドセルにありがとう、ありがとうってお礼を言いながら綺麗にしようね」 そして、家族全員を揃え、佳乃の目の前でランドセルを拭いてもらい、綺麗になった後で贈呈式をしました。「お姉ちゃんが六年間、大事に大事に使ったランドセルだよ。誰もこんな素敵なランドセル持ってないよ。良かったねえ、嬉しいねえ」と、みんなで手を叩いて喜びました。 佳乃は、「うん!嬉しい!ありがとう!」と満面の笑顔で、翌日からそのボロボロのランドセルを背負って元気に学校に通ってくれました。 親としては、たとえ不充分な与えでも、それを子供が喜んで受け取ってくれれば、今度はもっといい物を与えてあげたいと思うものです。きっと私たち人間の親である親神様も、私たちが不充分な与えを喜んで受けて通ったならば、もっと与えてやりたい、守ってやりたいという大きな親心で抱えてくださるに違いないと思うのです。 強い者は弱い 神様のお言葉は時として、私たちの常識では理解することが不可能な場合があります。 「強い者は弱い、弱い者は強いで。強い者弱いと言うのは、可怪しいようなものや。それ心の誠を強いのやで」 「強い者は弱い」。誠に矛盾している表現です。しかし、日常生活に何かしら行き詰まりを感じている時、この一見理解し難いお言葉は、人間思案に慣れた心の目にハッと気づきを与えてくれます。人は大抵の場合、一般的な常識や自ら積み重ねてきた経験知によって日常の歩みを進めています。しかし、その物事の奥深くには、人間思案によっては割り切れない神様のご守護の世界、いわゆる「理の世界」が存在しているのです。 このような逸話が残されています。 泉田藤吉さんは、ある時、十三峠で三人の追剥に遭いました。その時、頭にひらめいたのは、かねてから聞かせて頂いている「かしもの・かりもの」の教えでした。そこで、言われるままに羽織も着物も皆脱いで、財布までその上に載せて、大地に正座して、「どうぞ、お持ちかえり下さい」と言って、頭を上げると、三人の追剥は陰も形もありません。 追剥たちは、藤吉さんの余りの素直さに薄気味悪くなって、何も取らずに逃げてしまったのです。そこで藤吉さんは、脱いだ着物を着ておぢばへ向かい、教祖にお目通りしたところ、結構なおさづけの理を頂戴したのでした。(教祖伝逸話篇114「よう苦労してきた」) 藤吉さんのおたすけは、いつでも人並み外れていて、深夜に冷たい淀川の水に二時間も浸かり、身体が乾くまで風に吹かれることを三十日も続けたり、天神橋の橋杭につかまって、一晩川の水に浸かってからおたすけに向かうこともありました。 ところが、教祖から「この道は、身体を苦しめて通るのやないで」とのお言葉を賜り、藤吉さんは、人間思案を離れて「かしもの・かりもの」の教えを深く理解するに至ったのです。 何が強い、何が弱いという価値判断は、人間の常識では計り知れないことのようです。次のお言葉をかみしめたいと思います。 「日々という常という、日々常に誠一つという。誠の心と言えば、一寸には弱いように皆思うなれど、誠より堅き長きものは無い」(「おかきさげ」) (終)

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