楽しい夏のセミナー

楽しい夏のセミナー フランス在住  長谷川 善久 天理教の教会では、親子三世代が一緒に暮らしている様子は、割とどこにでもあるものだと思います。しかし、日本とフランスにおける三世代同居の割合を調べてみると、日本が9.4%、フランスではわずか1%ほどであり、かつどちらの国も年々減少傾向にあるようです。 おじいちゃん、おばあちゃんが孫と一緒に平穏な日々を過ごす天理教の教会は、そのライフスタイルだけをとっても、社会的に希少価値が高まっていることが分かります。 フランスにあるヨーロッパ出張所も大所帯で生活しています。現在、同じ敷地内で寝食を共にしているスタッフは、上は50代後半から下は1歳まで、一家族、一夫婦、6人の独身者の計13人が暮らしています。ここに日中は外から通う70代後半のひのきしん者が一人、30代の勤務者が一人加わって、毎日神様の御用を賑やかにつとめています。 正直に言って、このような共同生活ではストレスも溜まりやすいもの。まして日本人が外国に住んでいるのですからなおさらです。それだけに、普段から生活の意識を自分中心に置くのではなく、親神様、教祖を中心にして、人様をしっかりと内側に引き寄せる努力が大切になってきます。 お互いに関心を持ち合い、ささいなことからでも、温かいコミュニケーションを通して信頼関係を保つことは欠かせません。私も所長の務めとして、お互いが自然に円滑に触れ合えるような雰囲気を作り上げることを、絶えず意識しています。 色々と苦労は絶えませんが、最近の社会学や心理学の研究でも、「共同生活は人々の幸福感に良い影響を与える」と分かってきたように、実際、私自身の経験からもこの説に間違いはないと思っています。 そんな、ストレスも溜まれば幸福感も高まる共同生活空間である出張所を会場に、昨年の夏、宿泊型の教理セミナーが開催されました。 一週間にわたる授業では、形式にとらわれることなく、生徒は疑問に思ったことはいつでも質問ができます。また、教え方も講師の自由裁量を認めていて、例えば教祖の道すがらについては、劇画『教祖物語』の場面描写を用いた授業もありました。 私が講師を担当した『みかぐらうた』では、お歌の意味の理解に加えて、受講生が一人で歌えるようになることを目標にした、日本人に対してはやらないであろう指導を行いました。 と言うのも、フランスでもみかぐらうたは日本語で歌われており、フランス人には簡単には覚えられません。参拝に来るほとんどの方は、翻訳冊子を見れば意味は理解出来ますが、日本人信者のように自信を持って歌うことは難しいのです。 もし一人ひとりが、鳴物に合わせてみかぐらうたを歌う事が出来るようになれば、彼らももっと、おつとめに心を込めることが出来るようになり、月に一度の月次祭も楽しく参拝出来るのではないかと思いついたのです。 そこで、日本語が出来ないのに、日本のアニメソングをカラオケで上手に歌う外国人にヒントを得て、独自にみかぐらうたのカラオケを作成しました。そして、授業では一人ずつ何度も何度も繰り返し歌いながら、言葉の意味は同時に理解出来なくても、教祖が教えられた言葉の響きや調べを身体で感じてもらうよう努めたのです。人生で一度もカラオケに行ったことがないという人もいましたが、勇気を出して一人で歌ってもらいました。 そのようなセミナーの初級クラス参加者5名の中に、子供のない高齢者夫婦がいました。この夫婦は古くから出張所にご縁があり、一度おぢばがえりしたこともあったのですが、旦那さんの気難しい性格と様々な状況が重なり、信仰に対して距離を取る時間が長く続いていたのです。 そんな夫婦でしたので、セミナーに参加されると聞いた時は、もしかしたら旦那さんによって、場が乱されるような展開があるかも知れないと、若干の不安が頭をよぎりました。 セミナーでは、朝、昼、夜の三食を講師やスタッフも受講生に混ざって一緒にとります。毎食20名以上が一緒に食べる賑やかな時間となっていました。普段は二人だけで過ごしているこの夫婦にしてみれば、最初は慣れない状況に戸惑ったと思います。このような団体生活を初めて経験し、精神的な疲労も溜まるでしょうし、加えて机に座って勉強することに対するストレスもあるだろうことは予見出来ていました。 そこで私がとった方策はただ一つ、講師はもちろんのこと、フランス語の出来ないスタッフに対しても、食事の時に日本人同士で固まるのではなく、意識してフランス人受講生の隣りに座ること。そして彼らと一言でも二言でも言葉を交わして、コミュニケーションを取ってもらうことです。 戸惑いの顔を見せる若いスタッフもいましたが、とにかくどんな手段でもいいので、自分から積極的に受講生にアプローチする努力を続けるようお願いしました。 そうしたところ、最初は緊張した雰囲気が漂っていた食事の場が、日が経つにつれて次第に和らいでいきました。実際、食堂に笑い声が絶えることはなく、食事にかける時間も徐々に長くなり、場合によっては一時間を超えることも珍しくなくなっていました。 おてふり、鳴物の指導は主に若いスタッフが担当していましたが、食事の時間を通して生まれた信頼関係が指導の未熟さをカバーしてくれ、参加者は親子ほど年齢の違う若い講師に対しても、リスペクトをもって積極的に学んでくれたのです。 こうして、一週間を通してスタッフ全員と受講生全員が家族のようにつながり合ったセミナーの最後の懇親会では、全員での大合唱も飛び出し、楽しい夜を過ごすことが出来ました。セミナーが始まる前に私が持っていた不安は、全くの杞憂に終わったのです。 その不安の要素となっていた旦那さんに、終了後感想を求めると、「出張所の若い人達の生き生きとした姿に感動した。彼らを見ているだけで元気になれる。このような天理教のコミュニティーのメンバーでいられて本当に幸せだ」と語ってくれました。 懇親会のカラオケ大会では、旦那さんは初めて人前でマイクを握って熱唱し、場の盛り上げに一役買ってくれました。そんな彼の姿に、スタッフ全員が、この夏のセミナーが大成功に終わった喜びを感じたのでした。 夫婦   このよのぢいとてんとをかたどりて   ふうふをこしらへきたるでな  これハこのよのはじめだし このお歌は、天理教の朝夕のおつとめで唱える「みかぐらうた」の一節です。 「自然のすべてが天地の間で生成発展するように、夫婦があって新しい命が宿り、家族ができ、社会が形成される。夫婦こそ人間世界のすべての始まりであり、元である」と、これ以上ないほど端的にお示し下されています。 夫婦や結婚の形も時代と共に様変わりしています。お見合い結婚はもう過去のもの、恋愛結婚が主流となり、今やSNS上での出会いから関係が発展して夫婦となるのも、当たり前の現象となってきました。しかし、どのような出会いにも、その蔭ではちゃんと神様が働いて下さっているというのが、次のお言葉です。 「縁談というは、そう難しいようなものやない。一人があれと言うた処が行くものやない。あれとこれと心寄り合うがいんねん。いんねんなら両方から寄り合うてこうと言う。いんねんがありゃこそ、これまで縁談一条治まって居る」(M27・9・21) 結婚とは自分だけで決められるものではない。双方が歩み寄って夫婦となるのはもちろんですが、そこには出会うべくして出会ったいんねんというものがある。そのいんねんという捉え方が、結婚生活を支える上で、特に夫婦の関係が危機を迎えた時にとても大切な土台となるのです。 そして何より、陽気ぐらしへ向けて、二人の心が寄り合い、心の成人に向けて励まし合うためにこそ夫婦というものがあることを忘れてはなりません。 「おつとめ」は、お互いが向き合うのではなく、横並びになって、それぞれが一対一で親神様に向き合い、親心を求めて真剣につとめます。それは、時に向かい合ってぶつかり合うこともある夫婦の日常の中で、一人ひとりが安らかに自らの心を顧みる貴重な時間です。 おつとめでそれぞれが自らの通り方を反省し、あらためて横に並んでいる相手と向き合った時、夫婦とは共に成人を目指す仲間であると、認識を新たにする。それが、夫婦で信仰をする上での一つの大きな喜びではないでしょうか。 (終)

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