天理教の諭達 第四号の紹介ページです。
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諭達 第四号 本文
立教百八十九年、教祖百四十年祭を迎えるにあたり、思うところを述べて、全教の心を一つにしたい。
親神様は、旬刻限の到来とともに、教祖をやしろとして表にお現れになり、世界一れつをたすけるため、陽気ぐらしへのたすけ一条の道を創められた。
以来、教祖は、月日のやしろとして、親神様の思召をお説き下され、つとめを教えられるとともに、御自ら、ひながたの道をお示し下された。
そして、明治二十年陰暦正月二十六日、子供の成人を急き込まれ、定命を縮めて現身をかくされたが、今も存命のまま元のやしきに留まり、世界たすけの先頭に立ってお働き下され、私たちをお導き下されている。
この教祖の親心にお応えすべく、よふぼく一人ひとりが教祖の道具衆としての自覚を高め、仕切って成人の歩みを進めることが、教祖年祭を勤める意義である。
おさしづに、
ひながたの道を通らねばひながた要らん。(中略)ひながたの道より道が無いで。おさしづ 明治二十ニ年十一月七日
と仰せられている。
教祖年祭への三年千日は、ひながたを目標に教えを実践し、たすけ一条の歩みを活発に推し進めるときである。
教祖はひながたの道を、まず貧に落ちきるところから始められ、どのような困難な道中も、親神様のお心のままに、心明るくお通り下された。
あるときは、「水を飲めば水の味がする」と、どんな中でも親神様の大いなる御守護に感謝して通ることを教えられ、また、あるときは、「ふしから芽が出る」と成ってくる姿はすべて人々を成人へとお導き下さる親神様のお計らいであると諭され、周囲の人々を励まされた。
さらには、「人救けたら我が身救かる」と、ひたすらたすけ一条に歩む中に、いつしか心は澄み、明るく陽気に救われていくとお教え下された。
ぢばを慕い親神様の思召に添いきる中に、必ず成程という日をお見せ頂ける。
この五十年にわたるひながたこそ、陽気ぐらしへと進むただ一条の道である。
今日、世の中には、他者への思いやりを欠いた自己主張や刹那的行動があふれ、人々は己が力を過信し、我が身思案に流れ、心の闇路をさまよっている。
親神様は、こうした人間の心得違いを知らせようと、身上や事情にしるしを見せられる。
頻繁する自然災害や疫病の世界的流行も、すべては私たちに心の入れ替えを促される子供可愛い親心の現れであり、てびきである。
一れつ兄弟姉妹の自覚に基づき、人々が互いに立て合いたすけ合う、陽気ぐらしの生き方が今こそ求められている。
よふぼくは、進んで教会に足を運び、日頃からひのきしんに励み、家庭や職場など身近なところから、にをいがけを心掛けよう。
身上事情で悩む人々には、親身に寄り添い、おつとめで治りを願い、病む者にはおさづけを取り次ぎ、真にたすかる道があることを伝えよう。
親神様は真実の心を受け取って、自由の御守護をお見せ下される。
教祖お一人から始まったこの道を、先人はひながたを心の頼りとして懸命に通り、私たちへとつないで下さった。
その信仰を受け継ぎ、親から子、子から孫へと引き継いでいく一歩一歩の積み重ねが、末代へと続く道となるのである。
この道にお引き寄せ頂く道の子一同が、教祖の年祭を成人の節目として、世界たすけの歩みを一手一つに力強く推し進め、御存命でお働き下さる教祖にご安心頂き、お喜び頂きたい。
立教百八十五年十月二十六日 真柱 中山善司