明治二十四年三月二十五日
本席東京へ御出張の願明治二十四年四月十四日
本席昨日東分教会より御帰会に相成り、道中結構に御守護を蒙りしに付、梶本松治郎、高井猶吉、平野楢蔵、増野正兵衞より御礼申上げし処おさしづ明治二十四年四月十八日
大阪小松駒吉の講社に於て教祖五年祭神式神楽勤願、並びに神床及び祭場増築願明治二十四年四月二十九日
前おさしづにより、日々事情を以て本席へ願い出る処、願い人一人書取一人の外、願い人は連れて出して貰いましたものか又それはなりませぬものか事情願明治二十四年五月十日
永尾楢次郎目の障り願明治二十四年五月二十一日
梶本松治郎身上願明治二十四年六月三日
寺田半兵衞娘たき二十六才身上願明治二十四年六月十五日
前川菊太郎出張の上、芦津分教会設置の儀地方庁へ出願に付願明治二十四年七月四日
網島部下紀州和歌山集談所地所買い入れの事情願明治二十四年七月十三日
兵神分教会部内三木支教会開講式陰暦六月十二日十三日の両日御許しを頂き、就ては前夜鎮座祭式を清水与之助外六名出張致して取り扱いの願明治二十四年九月十六日
山沢ミキノ日々大いに咳き且つ姉妹もよく咳くに付事情の願明治二十四年十月二日
河原町分教会部内滋賀支教会設置の願明治二十四年十月十二日(陰暦九月十日)
前川菊太郎縁談に付平等寺村の小東こたまと増井とみゑとの両人申し置きし処、先に御伺いに両方共切って了うようの御言葉あり、更にこたまと定めまして宜しきや願明治二十四年十月二十二日
増野正兵衞在来農井戸を飲み水用の井戸と致し来りし処、差水致し悪水に相成るに付、二間程東へ更に井戸掘り致し度く御許しの願明治二十四年十一月四日
芦津分教会新築致し度くに付願明治二十四年十一月十四日
河原町分教会部内湖東支教会地所建家の願明治二十四年十一月十六日
松村吉太郎腹つかえ胸痛むに付願明治二十四年十一月二十八日
郡山分教会副会長の願明治二十四年十二月十五日
高知分教会地所買い入れの願明治二十四年十二月二十八日
芦津分教会部内西宮支教会月次祭陰暦六日の願明治二十四年一月十五日
岡本久太郎妻かつ真明組事務所時分身上に付願明治二十四年三月十二日
松本伊之助身上願(神戸)明治二十四年四月二十八日
井川甚助四十二才身上願(越前国奥麻生村第百七十五号講元)明治二十四年六月十一日
深谷源次郎目少々障りから願明治二十四年七月十二日
宮森の家移りの事情願明治二十四年九月四日
堀内与蔵伜亀吉音吉身上事情願明治二十四年十月一日
山本源七四十三才身上願明治二十四年十月十九日
久保忠治身上伺明治二十四年十一月十二日 午後六時
冨森竹松三十七才事情願明治二十四年十二月十三日
田中菊次郎四十三才身上事情願明治二十五年一月八日
本部東手へ南北八間に二東西五間の二階建普請御許しの願明治二十五年一月十八日
中山会長の住宅竣成に付、家移りの処陰暦十二月二十四日に御許しの願明治二十五年一月二十六日
教祖御墓所を三島に新墓地を設け、それへ移転の儀願明治二十五年二月九日
天元組支教会奈良薬師堂町に於て設置願(奈良支教会)明治二十五年二月十六日
増野正兵衞腹痛と咳及び道興目かい障り事情に付願明治二十五年二月二十四日
堺光道講支教会設置願(泉支教会)明治二十五年三月二日
増田ならえ身上願明治二十五年三月十二日
高安部内大県支教会所設置に付政府へ出願の願明治二十四年八月四日
本部事情願明治二十四年八月十四日
河原町分教会部内越前国敦賀郡越乃国支教会御許し願明治二十四年一月七日
増野正兵衞足の痛み全快せず、小人道興機嫌悪しくに付伺明治二十四年一月二十一日 朝
志紀分教会地方庁不許可に付、又地方庁へ再願の願明治二十四年二月六日
増野正兵衞身上障りに付願明治二十四年二月十二日(陰暦正月四日)
清水与之助東京へ出立の願明治二十四年二月二十四日
平野楢蔵願明治二十四年三月十一日
増野正兵衞昨日の二日前より夜分二度腹痛み下り又小人道興目かいの障りに付願明治二十四年三月二十五日
北村平四郎地所買い入れの願明治二十四年四月十四日
井筒梅治郎身上に付事務所へ引き移りの願明治二十四年四月十八日
日本橋支教会長中台勘蔵身上願明治二十四年四月二十九日
日和佐支教会設置の願