明治二十二年十一月一日(陰暦十月九日)
増井りん身上障り願明治二十二年十一月十一日
石西三五郎宅跡へ板柵して宜しきや、壁にして宜しきや願明治二十二年十二月八日
増野正兵衞内々一統協議の上、おぢばへ引越しますに付、村田長平向の家か、三番地の足達源四郎離座敷借り受けるか、いづれ宜しきや願明治二十二年十二月二十八日
おさづけの処、詰合替わり/\して運びますものか、この儀願明治二十二年二月四日
平野甚太郎二十八才(阿波国板野郡矢上村周旋方)明治二十二年四月五日(陰暦三月六日)
柏木六左衞門四十八才十日前より目九分悪い井戸濁るに付伺(斯道会第三十八号周旋方)明治二十二年六月
阪倉佐助長女のぶ身上願明治二十二年八月六日 午後五時
深谷源次郎伜徳次郎身上悩み伺明治二十二年八月二十二日
谷川清三郎三十六才身上願(芦津)明治二十二年十一月十一日
福西喜代松二十四才(大和国吉野郡瓦屋村周旋方)明治二十二年
大江正之助五十五才身上願明治二十二年頃
増田伺明治二十二年一月十五日 午前十時
神戸兵庫真明講より天理教会設立の儀、端田久吉、富田伝次郎、清水与之助、増野正兵衞総代にて御許し願明治二十二年一月二十五日
刻限御話明治二十二年二月九日(陰暦正月十日)午前十一時
清水与之助神戸分教会長に成ってくれと、講元始め周旋方よりだん/\申込に依て、御許し下さるや、清水与之助身上より伺明治二十二年二月二十三日(陰暦正月二十四日)午前九時
本席身上御障りに付願明治二十二年三月二十一日 午後五時四十分
刻限御話明治二十二年四月五日 午前八時
平野トラ願明治二十二年四月二十六日(陰暦三月二十七日)午後十一時
飯降政甚夜中厳しく左の下歯痛むに付伺明治二十二年五月十六日(陰暦四月十七日)
清水与之助五日前より腹少々痛み、しぼります、又家内清水はる同日胸先つかえるに付願明治二十二年六月一日
徳島県海部郡日和佐村大字奥河内百七番屋敷、西河実三郎三十六才おさづけさしづ明治二十二年六月
郡山分教会開講式陰暦六月六日七日の願明治二十二年七月九日
飯降さと身上伺明治二十二年七月二十五日(陰暦六月二十八日)
増野いと三十三才後月より月のもの止まり、小人でありますか、ほこりでありますか伺明治二十二年八月九日(陰暦七月十三日)午後八時
本席身上御障りに付願明治二十二年八月二十六日(陰暦八月一日)
辻忠作娘とめぎく願明治二十二年九月二十三日(陰暦八月二十九日)午前四時
刻限御話明治二十二年十月二十三日
梅谷四郎兵衞身上願明治二十二年十一月一日
増野正兵衞神戸へ帰宅御許し願明治二十二年十一月十三日
今のおつとめ場所、西手石西の方へ壁を取払い、庇二間差し掛け、長七八間御許しの願明治二十二年十二月九日 午後四時
河原町分教会開筵式に付、明日より祭式準備のため出張の願明治二十二年十二月二十八日
河内柏原分教会設置願(中河分教会)明治二十二年二月十日
村田ミツ三十六才願(信貴村)明治二十二年四月十八日 午後二時頃
清水虎次郎身上願(式上郡出雲村講元)明治二十二年七月四日
岡本久太郎小人太助十一才身上に付願明治二十二年八月六日
山本源七伜徳次郎二十才身上願(元斯道会第一号周旋方伜七月上旬より身の内はれる)明治二十二年八月二十四日
山田太右衞門三十六才足障り伺(元斯道会第三十八号講元)明治二十二年十一月十五日
讃岐嘉吉五十七才(徳島県阿波国那賀郡答島村講元)明治二十二年
大西卯吉妻おじゆ二十一才伺(名張部内)明治二十二年頃
増田つね伺明治二十二年一月十五日(陰暦十二月十四日)午後六時三十分
本席御障りに付願明治二十二年一月二十六日(陰暦十二月二十五日)
松村吉太郎左右の目尻五日前より痛むに付伺明治二十二年二月十日(陰暦正月十一日)
松村吉太郎二三日前より、唇の下に歯のかみたる如き疵出来しに付、おさしづ明治二十二年二月二十五日(陰暦正月二十六日)
中山たまへ身上御障りに付伺明治二十二年三月二十一日(陰暦二月二十日)午後十一時
刻限御話明治二十二年四月五日
平野楢蔵の願明治二十二年四月二十七日(陰暦三月二十八日)午前九時
刻限御話明治二十二年五月十七日(陰暦四月十八日)
本席御宅新築落成に付、御引移りの事御伺明治二十二年六月八日 午前八時
井筒梅治郎長女たね目の障りに付願明治二十二年七月一日(陰暦六月四日)
増野正兵衞六月二十五日より二十七日まで三日間、毎朝一度腹下り、二十八日おぢばへ出て止まり、頭痛胸むかつくに付伺