明治三十二年四月十日
富田伝次郎身上及び孫国太郎五才身上願明治三十二年五月十日
山田作治郎身上願明治三十二年六月十四日
天理教独立の件に付、本局へ交渉のため清水与之助、松村吉太郎の両名明十五日上京御許し願明治三十二年八月五日
天理教独立願に付、信徒総代の処有力者だけでは将来治め方に関する故、分教会長も共に調印して貰うという取り決めの処、本局にては成だけ少人数の方が宜かろうとの注意もあり、この辺人間心で決し兼ねるに付願明治三十二年八月二十六日
山沢ひさ三十七才身上願明治三十二年九月二十七日
上田民蔵小人なをえ身上目の障りの処願明治三十二年十月二十二日
平野楢蔵役員と共に北陸支教会の治め方に付出張願明治三十二年十一月二十二日
東分教会事務所詰所は教会内に有之処、都合により以前本部設置の際に事務所を置きし処の間へ分教会事務所詰所をその方へ一集めに置く事に致し度きに付少々造作する願明治三十二年十二月十日
郡山分教会副会長選定の願明治三十二年十二月二十七日(陰暦十一月二十五日)
桝井安松二十三才身上願明治三十二年四月十日
林代吉四十四才事情及び身上願(同人は網島分教会会計掛にして、和歌山出張所長兼務の処、この度精神を定めて分教会へ七分勤め出張所へ三分の心を運ぶ事情並びに身上願)明治三十二年六月二十九日
内藤為三郎妻うめ三十五才身上願明治三十二年一月三日
山内治三郎四十五才目の処願明治三十二年十一月六日
古川太十郎二十九才伺