陽気ぐらしの扉は自分で…

陽気ぐらしの扉は自分で… 大阪府在住  山本 達則 家族の存在は当たり前で、それ自体に幸せを感じることを、忘れがちになってしまうことが多いように思います。それどころか、時には煩わしい存在になったりする事も少なくないと思います。 家族だからこそ言えること、言ってもらえることがある。それは本当は、自分自身にとってとても大切な存在のはずですが、かけがえのないものなのだと気づく時は、それを失った時だということもあるのではないでしょうか。 でも、それは「当たり前だ」という思いがもたらすのです。全ての人が、当たり前に与えられるわけではありません。 ある家族の話です。 会社員のAさんは、奥さんとの間に高校生の男の子と中学生の女の子、二人の子がいるごく普通の家庭を築いています。Aさんのお母さんは91歳で亡くなりましたが、そのお母さんが晩年に、とても趣深いお話しを聞かせて下さいました。 お母さんは、戦後の混乱期に、実に数奇な人生を歩まれた方でした。彼女は長崎で生まれ、幼い頃に被爆し、その影響で視覚に障害がありました。戦後、一人の男性と出会い、子供を授かります。しかし、男性の家族から厳しい反対にあい、結婚どころか、子供の認知もしてもらえませんでした。彼女はそれでも子供を産み、育てて行くことを決意しました。 今以上に私生児に対する風当たりの強かった当時、その厳しい視線にさらされ、視覚のハンデを背負いながらも、必死にAさんを育てました。 そんな時、お母さんは天理教の教えに出会い、教会に足を運ぶようになりました。そして、会長さんに諭された言葉によって、大きな勇気を得ました。 「あなたもあなたの子供さんも、決して不幸ではなく、ましてや神様から罰を与えられている訳でもありません。『お父さんがいない』というご守護を頂けたんですよ。 父親がいて母親がいて子供がいる、というご守護ももちろんあって、それが当たり前だと思ってしまいがちだけど、決してそうではない。世の中には結婚どころか、出会いすらないという方もいるし、いくら子供が欲しいと思っても、授からない人もたくさんいます。目が普通に見えるのは、当たり前ではない。見えない方もたくさんおられる中で、あなたは見えにくいというご守護を頂いたんです。その上であなたは子供を与えて頂いた。素晴らしいご守護ですよね。 でもね、そのような現実を喜ぶのは言葉で言うほど簡単ではありません。けれど、それを喜べるように心を切り替えて、生活していくのが天理教の教えなんです。今の状況を心の底から喜べるようになったら、きっと神様が次の喜びを下さいますよ」 そして会長さんは、「だから、二人で教会においで」と優しく言って下さったそうです。 それから、二人は教会に住み込みました。お母さんは教会で教えを学び、ひのきしんに励みながら、昼間は外で働いて必死にAさんを育てました。教会には8年間住み込み、その後、お母さんを応援して下さる方が現れ、教会を出て親子二人での生活が始まりました。 親子は本当に仲良く、いつもお互いを労わり合い、教会にもしっかりとつながりながら、日々を過ごしました。 お母さんは、「私は周囲の人から『大変ね』とか『頑張ってね』と励まされることが多い人生でしたけど、実は私自身は大変だと思ったことはないんですよ」と笑顔で話して下さいました。 そしてAさんは、高校卒業後、公務員として務めることになりました。Aさんは真面目に働き、親子でコツコツ貯めたお金で念願のマイホームを手に入れ、その数年後、Aさんは一人の女性と出会い、結婚することになりました。 ほどなく子供も授かり、親子3代仲睦まじい家族の形ができました。お母さんの喜びようは、例えようのないものだったと思います。 そしてお母さんは、息子さん家族の幸せな姿を見ながら、91歳の長寿を全うし、出直しました。自分自身が心から望んだ「家族」に見守られながら、安らかな最期を迎えることが出来たのです。 お母さんは生前、Aさん家族の姿を見ながら、いつも「凄いね、凄いね」と口癖のように言っていたそうです。Aさんが「何がそんなに凄いの?」と聞くと、「二人が出会って、結婚して、子供も授かって、一つ屋根の下で仲良く生活出来るって、凄いことよ。お母さんは、それをあなたにしてあげられなかったもの」と。 そして、お母さんの出直す直前の言葉をAさんが教えて下さいました。 「お母さんは、もしかしたら人と比べて大変な人生だったかも知れないけど、人よりたくさんの喜びもあったのよ。だって、人が当たり前に手にしているものでも、無いことが多かったから、それが得られた時の喜びはとても大きかったの。 お母さんは、あなたにたくさんいい思いをさせてもらって、嬉しいことの多い人生だった。ありがとう」 「当たり前」だと思っている姿に、心の底から感謝の気持ちが湧いてきた時。それが、陽気ぐらしへの扉を、自ら押し開けようとしている時なのかも知れません。 人を救けるのやで 欲の心を取り払った捨て身の覚悟が大きなご守護につながるというお話が、『教祖伝逸話篇』には数多く残されています。 明治15年3月頃のこと。胸を病んで医者から不治と宣告された小西定吉さんは、近所の人からにをいをかけられ、病身を押して、夫婦揃っておぢばへ帰り、教祖にお目通りさせて頂きました。妻のイエさんは、この時二人目の子供を妊娠中でした。 イエさんが安産の許しである、をびや許しを頂いた時、定吉さんが「この神様は、をびやだけの神様でございますか」とお伺いすると、教祖は、「そうやない。万病救ける神やで」と仰せられました。そこで定吉さんは、「実は、私は胸を病んでいる者でございますが、救けて頂けますか」とお尋ねしました。すると教祖は、「心配いらんで。どんな病も皆御守護頂けるのやで。欲を離れなさいよ」と、親心溢れるお言葉を下さいました。 このお言葉が強く胸に食い込んだ定吉さんは、心の中で堅く決意をしました。家へ帰ると、手許にある限りの現金をまとめて、全て妻のイエさんに渡し、自分は離れの一室に閉じこもって、紙に「天理王尊(てんりおうのみこと)」と書いて床の間に張り、「なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと」と、一心に神名を唱えてお願いしました。 部屋の外へ出るのは、用を足す時だけで、朝夕の食事もその部屋へ運ばせて、連日お願いをしました。すると不思議にも、日ならずして顔色も良くなり、咳も止まり、長い間の苦しみからすっかりお救け頂いたのです。 また、妻のイエさんも楽々と男の子を安産させて頂いたので、早速おぢばへお礼詣りに帰らせて頂き、教祖にお礼を申し上げると、「心一条に成ったので、救かったのや」と仰せられ、大層喜んで下さいました。 定吉さんが、「このような嬉しいことはございません。この御恩は、どうして返させて頂けましょうか」と伺うと、教祖は、「人を救けるのやで」と仰せられました。そこで再び定吉さんが、「どうしたら、人さんが救かりますか」とお尋ねすると、教祖は「あんたの救かったことを、人さんに真剣に話さして頂くのやで」とお諭し下さいました。(教祖伝逸話篇100「人を救けるのやで」) 「みかぐらうた」に、   よくのないものなけれども  かみのまへにハよくはない(五下り目 四ッ)   なんでもこれからひとすぢに  かみにもたれてゆきまする (三下り目 七ッ) とあります。 私たちに欲の心のあることを、親神様は重々ご承知です。その上で、「神の前」で真剣にたすかりを願う時、欲の心は自然に取り払われるのだと教えて下さいます。定吉さんの捨て身の覚悟の一すじ心の祈りを、親神様はお受け取り下さったのです。 その後、定吉さんが教祖の仰せ通りに、自分の救かった話を取り次ぎながら、人だすけの上に邁進したことは言うまでもありません。 (終)

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