共に生きる

共に生きる 埼玉県在住  関根 健一 今年で23歳になる我が家の長女は、出産時のトラブルで、一時仮死状態となった影響で脳性麻痺が残り、今でも身体の障害と知的障害があり、車椅子で生活しています。 日常では言語によるコミュニケーションに困ることもあまりなく、社交性も高いほうで、初めて会った人にもきちんと自己紹介をします。最近は、福祉サービスで移動支援をお願いし、ヘルパーさんと一緒にショッピングモールや映画館へ出かけるなど、家族と離れて楽しむ時間も増えてきました。 ある日、タレントさんが気になるお店に入ってグルメを味わったり、商品を見たりする、いわゆる「街ブラ番組」を家族で見ている時のことです。その回は、我が家からもほど近い川越の街を紹介していました。 おしゃれなカフェを見つけたタレントさんが、中に入って店主おすすめの抹茶ラテを楽しむ場面を見ていた時、長女がふと「かわいいジュースだね」とつぶやきました。言われてみれば、グラスの中には抹茶のグリーン、季節に合った桜のピンク、ホイップクリームの白などが幾つもの層をなしていてとてもカラフルで、よく言う「SNS映え」するメニューでした。 学生時代を川越で過ごした私は、お店の周りの風景を観てすぐに場所が分かったので、「今度みんなで行ってみようか?」と提案しました。すると家族みんなが喜んで賛成し、その話題でひとしきり盛り上がりました。 しかし、長女と一緒に出かけるには、そのお店は車椅子で入れるのか?という確認が必要になります。そこで、タレントさんがお店を出入りする場面を確認すると、階段があって細い通路を通らなければならないことが分かり、さっきまで盛り上がっていた雰囲気も一気に諦めムードに変わっていきました。 もちろん、お店に行って店員さんに相談すれば、車椅子ごと持ち上げるのを手伝ってくれたり、裏口からスロープで上がれたりする可能性もあります。しかし、そこまでして行きたいお店か?と考えて二の足を踏んでしまったり、過去にお店に入れなかった時のガッカリした気持ちを思い出したりして、諦めてしまうことは少なくありません。 結局、長女とのお出かけは大きなショッピングパークなどの、バリアフリーが整った施設になることが多く、路地裏を入った隠れ家的なお店は考えにくいのが現状です。 それでも、長女が生まれた頃に比べると、障害者を取り巻く環境が少しずつ良くなってきているのは事実で、私が子供の頃と比べれば格段の差です。 長女が小学部に入学する一年前、特別支援教育の推進のために学校教育法が改正され、「養護学校」という名称が「特別支援学校」に変わりました。私は、障害児を取り巻く環境については肌感覚でしか理解していなかったので、特別支援学校のPTA会長になったことをきっかけに、それまでの障害児の教育環境について調べてみました。 すると、40数年前に養護学校が義務教育になる以前は、障害児は就学を免除されていた、すなわち義務教育を受けなくていい時代が続いていたことが分かりました。制度上「免除」と言ってはいますが、実質的には障害児は学校に通うことを拒否されていたと言っていいかも知れません。そんな時代に「我が子が人として当たり前に教育を受けられるように」と、声を上げた人たちがいたのです。 今でも問題がないとは言い切れませんが、少なくとも現在はすべての障害のある子供たちが教育を受けられる社会になっています。 最近では、障害者が飛行機や電車など交通機関の利用がままならなかったことに声を上げ、SNS上で議論が巻き起こることがしばしばあります。時代に応じ形は変わっても、常に誰かが声を上げてきたおかげで社会は少しずつ変わってきたのです。 私は仕事で建築の設計に携わっていますが、一定の基準に該当する建物の場合、車椅子でも快適に過ごせるようにという法律や条例に則って設計をしなければなりません。 一般の個人経営のお店では、すべての人が快適に過ごせるような環境作りはなかなか難しいのが現状ですが、「バリアフリー」や「ユニバーサルデザイン」という言葉が浸透してきたことで、一般的にも障害者に対する考え方が変わったように思います。 少し前、日本で「ニート」という言葉が使われ始めた頃に、ニートが一気に増えたというデータがあります。これは、実数が増えたということ以外に、認知されるようになったために対象者が顕在化したという側面もあるようです。世の中の状況が変化し、起きてきた現象に名前がついたことで対象が顕在化し、人々の意識が変わる。社会の常識は、その状況を表す言葉と一緒に変化してきたとも言えます。 最近よく耳にするようになった「共生社会」という言葉があります。差別のない、誰もが暮らしやすい社会の象徴として語られる言葉ですが、ある福祉施設で働く知人から、こんな意見を聞きました。 「共生社会という言葉は、文字通りに捉えれば『共に生きる』という意味で、どちらが上でも下でもないはずだが、昨今この言葉の使われ方を見ていると、安全な場所にいる側が、上から目線で『共に暮らしてあげよう』と言っているような傲慢さを感じる」 私はこれを聞いて、ハッとさせられました。こうした小さなすれ違いや、感覚の相違はまだまだ残っています。共生社会という言葉の浸透とともに、障害のある人が安心して暮らせる社会になるには、もう少し時間がかかるようです。 では、本質的な共生社会とはどのようなものなのか? 自分なりに想像してみると、心に浮かんできたのは天理教の教えにある「陽気ぐらし」でした。 陽気ぐらしとは、大自然を司る親神様の恵みに感謝し、そのご守護によって生かされて生きている喜びを身体いっぱいに感じながら、私たち一人ひとりが互いに尊重し合い、たすけ合って暮らす、慎みのある生き方です。 共生社会の実現を目指すという目標は、親神様によってすでに私たちに向けて示されている。そう言えるのではないでしょうか。一人の信仰者として、共生社会の理想像とも言える「陽気ぐらし」の実現を目指していきたいと思います。 慈愛のてびき 人間はどこから来て、どこへ行くのか。この世界の始まりに関しては、多くの人が関心を持っていることと思いますが、その興味の中で、人生の意義についても考えが及ぶのではないでしょうか。 私たちは陽気ぐらしをするべく、親神様によって創造されたことを知りました。それが、私たち皆が例外なく、幸せを求めてやまない理由です。しかし、その望みは必ずしも直ちに成就するものではありません。誤って、自ら方向を狂わせてしまうからです。 『天理教教典』には、次のように記されています。 親神は、知らず識らずのうちに危い道にさまよいゆく子供たちを、いじらしと思召され、これに、真実の親を教え、陽気ぐらしの思召を伝えて、人間思案の心得違いを改めさせようと、身上や事情の上に、しるしを見せられる。   なにゝてもやまいいたみハさらになし  神のせきこみてびきなるそや (二 7)   せかいぢうとこがあしきやいたみしよ  神のみちをせてびきしらすに (二 22) 即ち、いかなる病気も、不時災難も、事情のもつれも、皆、銘々の反省を促される篤い親心のあらわれであり、真の陽気ぐらしへ導かれる慈愛のてびきに外ならぬ。(第六章「てびき」) 我が子が地図も持たず、自分勝手にやみくもに歩いていこうとする危うさを、をやとしては黙って見ていられないのです。そして、今にも落ちていきそうな崖っぷちに立つ子供を、襟首をつかんででも安全な場所へ引き戻そうとします。いかに子供が嫌がっても、そうせずにはいられないのが親心なのです。 私たちは苦悩を抱えていない時には、足元を見つめずに過ごしています。身を病んではじめて、いまさらのように自分自身を省みるものです。病気や事情に遭った時には、そこに親神様のたすけたいばかりの慈愛の手が差し伸べられていることを信じ、喜びの人生を開くきっかけとしたいものです。 (終)

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