「想い出ノート」はじめました
「想い出ノート」はじめました 岡山県在住 山﨑 石根 今年の四月、信者さんが立て続けに二人お亡くなりになり、教会長である私はその方々のお葬式をつとめました。また、この四月にはもともと二件、故人を偲ぶ年祭を行う予定があり、「待ったなし」にやって来たお葬式と合わせて、その準備や段取りにバタバタの月となりました。 天理教の年祭やお葬式では、故人の生涯を思い起こし、生前の功績やお徳を偲ぶために祭文を読み上げます。今回の年祭は二件とも、私の父が教会長の時にお葬式をした方の年祭でした。私は、当時父が書いたものを参考に今回の祭文を作成しながら、「ああ、このご夫婦はこういう人生を通ってきたんだなあ」と、感慨深い気持ちになりました。 当然のことですが、家族の数だけ、否、人の数だけ人生があります。お葬式や年祭を執り行う度に、その人が生きた証を強く感じることができます。 しかし、このような祭文も、故人の情報がなければ書けません。いざ訃報が届き、そこから故人のことを尋ねても、夫婦であれば容易に振り返ることができますが、子や孫が喪主の場合は知らないことも多かったりするのです。 かと言って「お葬式に必要なので、人生について教えてください」とあらかじめ根掘り葉掘り聞くのは、何だか失礼な気もします。私は以前からそんなジレンマを抱いていました。 四年前の春先、ちょうど世の中がコロナ時代に入る頃、牧さんという年配の女性信者さんがお亡くなりになりました。牧さんは遠方にお住まいですが、講社祭というおうちでのお祭りを毎月欠かさず勤めていた熱心な信者さんでした。 晩年は病気のため、同じお話ばかり繰り返されることが多かったのですが、私の曽祖父に導かれてこの信仰に入った話や、ご主人が病気だった時の苦労話など、私にとって非常に関心のある内容でした。 あまりに毎月同じお話を聞くので、細かい内容まで覚えてしまいましたが、「いつかお葬式で必要になる内容だから、きちんと記録しておきたい」との思いに至りました。 そこで「牧さん、来月ICレコーダーを持ってくるから、このお話し録音させてください」とお願いをしたのですが、その翌月に牧さんは突然お亡くなりになり、お話を録音することは叶いませんでした。 世の中がコロナ時代を迎え不安に包まれる中、また遠方で何かと移動や準備が大変な中、家族の方がとても親切にしてくださり、滞りなくお葬式をつとめることが出来ました。また、録音こそ叶わなかったものの、繰り返し聞かせて頂いたお話を元に、きちんと牧さんを偲ぶ祭文を読ませて頂くことも出来ました。 さて、私の教会では数年前から毎月、信者さん方と色々なことを相談する「談じ合い」の時間を設けています。そこで、私のほうからジレンマを抱えていたお葬式について、ある提案をしました。 今、世の中では「終活」や「エンディングノート」と呼ばれる取り組みが注目されています。命の危険が差し迫った時、七割の方は意思伝達ができなくなると言われており、十分な準備が出来ないままに亡くなる方も大勢おられます。そうしたことから、元気なうちに遺産相続、医療や介護の希望、葬儀やお墓についてなど、様々なことを家族に書き残しておく必要があるのです。 教会長である私は、遺産や法律的なこととは直接関係ありませんが、「なぜ信仰をしてきたか」ということについては、故人の信仰を確実に後進に伝える意味で、言葉が無理でも何とか文字で残して欲しいと以前から願っていました。生い立ちからご両親のこと、信仰を続けてきて良かったと思うこと…。お葬式の準備のためではなく、自分自身の信仰を振り返る意味でノートに書き記して欲しいと提案しました。 みんなで相談した結果、このノートには「みちのこ想い出ノート」という名前が付きました。さっそく書式を作り、教会に所属する信者さん方にお手紙を添え、老いも若きも問わず皆さんに送り届けました。すると、たくさんの「想い出ノート」が私の元に返ってきました。 そこにしたためられた内容は、長いことお付き合いのある信者さんであっても、私が初めて知るその方の人生が書き記されていて、驚きと共に何だか胸が熱くなりました。 皆さん時間はまちまちで、すぐに届けてくださった人もいれば、一年かかった人もいます。途中までは書いたけれど、未だに迷っている人もいれば、なかなか筆の進まない人など様々です。 当然そこには、その方の通っただけの、歩んだだけの確かな足跡が記されています。それらは良い想い出ばかりではないにしても、そこをどのように思案して乗り越え、今、この瞬間があるのか。その陽気ぐらしへ向けたポイントが必ず描かれているのです。そして何より、このことをきっかけに、信仰について家族同士で話し合う機会が生まれることを願ってやみません。 さて、牧さんのご家族が、早くも「来年の二月に五年祭をしたい」と日程の相談をしてくださいました。 牧さんが出直してからも、ご家族には色々な出来事がありました。息子さんが養子を迎えられたこと。その養子さんに赤ちゃんが生まれたこと。また、生前の牧さんと同じように、息子さんが講社祭を毎月欠かさず勤められ、さらには教会の月次祭にも養子さんたちと共に遠方から駆けつけ、参拝してくださるようになったこと。 牧さんの人生だけでなく、「亡くなられた後に、こんなことがあったんですよ」と祭文で読み上げ、五年の節目の年祭で報告したいと思います。きっと牧さんの霊様だけでなく、牧家のご先祖様も喜んでくださるのではないかと、私は思うのです。 だけど有難い 「華のある人」 テレビ、映画、舞台、あるいは野球やサッカーといったスポーツの世界などを見ると、「華のある人」というのはいるものですね。その人がやって来ると周りまでパッと明るくなるような、なんとも言えない魅力がある。そういう人には、人の心が寄ります。人の心が寄るから、物も寄ります。 たとえば、アテネオリンピックで野球競技の日本代表監督を務めた長嶋茂雄さんがそうです。巨人ファンでなくても、長嶋ファンだという人は多いですね。それだけ魅力があるからでしょう。途中で病気になってアテネへ行けない状態になったのに、監督は代わりませんでした。普通なら、そのまま続けることはあり得なかったと思いますが、周囲から文句も出なかった。まさに「華のある人」です。みんなが「長嶋さんなら」と認めてしまう素晴らしさがあるのです。 私は、道友社発行の『すきっと』という雑誌が「華」という特集を組んだ際に、フジテレビの元プロデューサー・横澤彪さんの話を聞いたことがあります。昔、「オレたちひょうきん族」というバラエティー番組をプロデュースしていた人です。ビートたけしや明石家さんまが出演していて、大変人気がありました。 その横澤さんが、こう言うのです。 「華のある人というのは、まず何より『陽気な人』である。『明るい人』である。暗い人には華はない。また、どんなに苦労していても、苦労が顔に出る人には華はない。役者でも、苦労が顔に出ると華はないんです、あとは下り坂です」 また、こうも言っていました。 「華のある人というのは、人を喜ばせたいという気持ちを持っている人である」 たとえば、落語家の初代・林家三平師匠は、明るく陽気で、人を喜ばせる心が人一倍あったそうです。ネタが受けないときは、草履を投げてでも受けたい、お客さんに喜んでもらいたい。笑ってもらえるなら、なんでもするというのが、あの三平師匠だった。師匠がいるだけで、みんなうれしくて楽しくて、そばへ寄っていったということです。 この話を聞いて思いました。そんな話なら、わざわざ横澤さんを取材しに行かなくても、お道の人こそ「華のある人」のはずです。親神様を信じているのですから、当然、明るく陽気な心になれますね。そして、お道では「人をたすける」ことを学びますから、当然、人に喜んでもらいたい、たすかってもらいたいという心を持っているのです。 では、お道を信仰してさえいれば良いのか。そうではありませんね。教えを実行しないと、人の心も物も寄るような魅力のある人にはなれません。 「信じているが、にをいがけができない」「人をたすけるなんて、おこがましい」と言う人がいます。しかし、それは考えようによっては、災害や事故のときに、自分がたすかって「ああ良かった。でも、人をたすけるなんて気持ちにはなれない」と言っているようなものです。 人のことを思いやれない、考えられないというのは、たすかりにくい姿です。犯罪を起こす人たちは、たいてい後のことは考えていません。人の痛みに気がつけば、そんなことはできないのです。 私たちお互いは、教えを実行させていただいて、「あの人がいると、うれしくなるな」「あの人に会って、話が聞きたいな」「あの人の話を聞くと、何か明るい気持ちになれるな」 そんな華のある人、魅力ある人を目指したいものです。 (終)