「たんのう」すれば悪いいんねんを解消できる?どうすれば「たんのう」できるの?【教典第八章 part1】【天理教の教え】

前回の動画では、ほこりの心づかいがつもり重なり、悪いいんねんになると言うお話をいたしました。今回は、その悪いいんねんを良いいんねんにするにはどうすれば良いのかということについてお話しいたします。 【逸話篇の世界を旅する7】茶木谷吉信・正代分教会長 「結構や、結構や(後編)」 https://youtu.be/djC-tT9JyAE 0:00 オープニング 0:17 心を澄ます 3:33 たんのう 8:14 前生いんねんのさんげ 14:26 終了画面 #疑問や質問はコメント欄で受付中#天理教#宗教 ★天理教濃飛分教会は、岐阜県岐阜市にある天理教の教会です。 当教会では、ホームページやTwitterで悩み相談を受け付けています。詳細は下記のホームページ、または、Twitterのプロフィールをご確認ください。 【ホームページ】https://nohhi.org/consultation/ 【Twitter】https://twitter.com/tenrikyonohhi 【Facebookページ】https://www.facebook.com/nohhi.org ★天理教教会本部をご案内します。 天理教教会本部の中って入っても良いの?と聞かれることがよくあります。 実は、天理教教会本部は、1年365日24時間いつでも参拝することができます。 しかし、中に入っても立派な法具があるわけでもなく、解説パネルがあるわけではありません。誰かに案内してもらわないとどこを見て良いのかもわかりません。 そこで、お互いの都合の良い日時に天理教教会本部をご案内いたします。ご希望の方は、濃飛分教会のホームページからメッセージを送ってください。 ★イライラしない子育て講座を受講しませんか? こんな言葉を使っていませんか? ・ちゃんとしなさい! ・お利口さんにしててね ・早く食べなさい! もしかしたらあなたの指示は子どもに伝わっていないかもしれません。 あなたに合わせた子育て講座を、実費または無料で開催いたします。 zoomを使ったオンライン開催も可能です。 お問い合わせは、濃飛分教会のホームページからメッセージをお送りください。 ★このチャンネルでは、天理教の教えや活動について、分かりやすく説明する動画を配信していきます。 天理教についての疑問や質問などありましたら、メッセージを送ってください。動画作成の参考にさせていただきます。 ★プロフィール 1979年生まれ 岐阜県出身 天理教濃飛分教会の会長の孫として生まれ、高校まで教会で生活する。 天理大学国際文化学部英米学科を卒業後、在外公館派遣員として在南アフリカ共和国日本国大使館にて勤務。 25歳から天理教校本科にて、天理教学を学ぶ。 27歳から天理教教会本部にて勤務。うち約5年間は天理教アメリカ伝道庁(ロサンゼルス)にて書記として勤務。 36歳の時、天理教教会本部の勤めを終え、天理教濃飛分教会に戻る。 40歳で天理教濃飛分教会の会長に就任。 天理教の教会長としてのつとめの他、養育里親、イライラしない子育て講座講師( TFA)、災害救援ひのきしん隊員、地域の見守り、水防団員などとしても活動をしている。 ★逸話全文 一九九 一つやで 兵神真明講周旋方の本田せいは、明治十五年、二度目のおぢば帰りをした。その時、持病の脹満で、又、お腹が大きくなりかけていた。 それをごらんになった教祖は、  「おせいさん、おせいさん、あんた、そのお腹かかえているのは、辛かろうな。けど、この世のほこりやないで。前々生から負うてるで。神様が、きっと救けて下さるで。心変えなさんなや。なんでもと思うて、この紐放しなさんなや。あんた、前々生のことは、何んにも知らんのやから、ゆるして下さいとお願いして、神様にお礼申していたらよいのやで。」 と、お言葉を下された。それから、せいは、三代積み重ねたほこりを思うと、一日としてジッとしていられなかった。そのお腹をかかえて、毎日おたすけに廻わった。  せいは、どんな寒中でも、水行をしてからおたすけにやらせて頂いた。だんだん人が集まるようになると、神酒徳利に水を入れて、神前に供え、これによって又、ふしぎなたすけを続々とお見せ頂いた。こうして、数年間、熱心におたすけに東奔西走していたが、明治十九年秋、四十九才の時、又々脹満が悪化して、一命も危ないという容態になって来た。そして、苦しいので、「起こせ」とか、「寝させ」とか言いつづけた。それで、その頃の講元、端田久吉が、おぢばへ帰り、仲田儀三郎の取次ぎで、教祖に、お目にかかり、事の由を申し上げると、 教祖は、  「寝させ起こせは、聞き違いやで。講社から起こせ、ということやで。死ぬのやない。早よう去んで、しっかりとおつとめしなされ。」 と、仰せ下された。そこで、端田等は急いで神戸へもどり、夜昼六座、三日三夜のお願い勤めをした。が、三日目が来ても、効しは見えない。そこで、更に、三日三夜のお願い勤めをしたが、ますます悪くなり、六日目からは、歯を食いしばってしまって、二十八日間死人同様寝通してしまった。その間毎日、お神水を頂かせ、金米糖の御供三粒を、行平で炊いて、竹の管で日に三度ずつ頂かせていた。  医者に頼んでも、「今度は死ぬ。」と言って、診に来てもくれない。然るに、その二十八日間、毎日々々、小便が出て出て仕方がない。日に二十数度も出た。こうして、二十八日目の朝、妹の灘谷すゑが、着物を着替えさせようとすると、あの大きかった太鼓腹が、すっかり引っ込んでいた。余りの事に、すゑは、「エッ」と、驚きの声をあげた。その声で、せいは初めて目を開いて、あたりを見廻わした。そこで、すゑが、「おばん聞こえるか。」と言うと、せいは、「勿体ない、勿体ない。」と、初めてものを言った。  その日、お粥の薄いのを炊いて食べさせると、二口食べて、「ああ、おいしいよ。勿体ないよ。」と言い、次で、梅干で二杯食べ、次にはトロロも食べて、日一日と力づいて来た。が、赤ん坊と同じで、すっかり出流れで、物忘れして仕方がない。  そこで、約一ヵ月後、周旋方の片岡吉五郎が、代参でおぢばへ帰って、教祖に、このことを申し上げると、教祖は、  「無理ない、無理ない。一つやで。これが、生きて出直しやで。未だ年は若い。一つやで。何も分からん。二つ三つにならな、ほんまの事分からんで。」 と、仰せ下された。  せいは、すっかり何も彼も忘れて、着物を縫うたら寸法が違う、三味線も弾けん、という程であったが、二年、三年と経つうちに、だんだんものが分かり出し、四年目ぐらいから、元通りにして頂いた。  こうして、四十九才から七十九才まで三十年間、第二の人生をお与え頂き、なお一段と、たすけ一条に丹精させて頂いたのである。 註 夜昼六座とは、坐り勤めとてをどり前半・後半の一座を、夜三度昼三度繰り返して勤めるのである。これを三日三夜というと、このお願い勤めに出させて頂く者は、三昼夜ほとんど不眠不休であった。 ★関連動画 天理教の教え関連 「【教理を学ぶ】冨松幹禎・本部員 (株)養徳社社長 「いんねんについて」」https://youtu.be/_FjPIFcLMCg 「【衝撃発言】教会お戻し!?天理教後継者として育ったヤツらのお話。」https://youtu.be/zSMJwzGQaPM 「よ~キッチン!#1「天理ラーメンをつくろう」」https://youtu.be/qgPf44R-dHk 「天理教加古大教会7月月次祭祭典講話」https://youtu.be/F4iscIq7poI 「おつとめ」https://youtu.be/hT4306ViI38 「【逸話篇の世界を旅する5】番外編「八つのほこりを科学する」講師 正代分教会長 茶木谷吉信」https://youtu.be/EQSn9UxGSuM 天理教ではない方の動画 「日本第二位の信者数を誇る「天理教」の闇」https://youtu.be/pxgwsDOF-rY 「信者数日本2位のマンモス宗教。天理教の総本山・天理市にいったら、何もかもが想像以上だった」https://youtu.be/FtEtEgKPh6k 「天理教の勧誘が来たので天理教について解説したくなりました」https://youtu.be/m7fkTOzaifg 「参院 東日本大震災復興特別委員会 天理教災救隊について」https://youtu.be/wejATubiX14

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