親神様からのメッセージ【みかぐらうた第二節】【天理教の教え】

前回のみかぐらうた 第一節に引き続き、今回は、「ちょとはなし」から始まるみかぐらうた 第二節についてお話ししました。   0:00 オープニング 0:10 いつ作成された? 1:06 お歌の意味 8:05 まとめ 9:33 終了画面 #天理教の教え#天理教#宗教 ★天理教濃飛分教会は、岐阜県岐阜市にある天理教の教会です。 当教会では、ホームページやTwitterで悩み相談を受け付けています。詳細は下記のホームページ、または、Twitterのプロフィールをご確認ください。 【ホームページ】https://nohhi.org/consultation/ 【Twitter】https://twitter.com/tenrikyonohhi 【Facebookページ】https://www.facebook.com/nohhi.org ★このチャンネルでは、天理教の教えや活動について、分かりやすく説明する動画を配信していきます。 天理教についての疑問や質問などありましたら、メッセージを送ってください。動画作成の参考にさせていただきます。 ★プロフィール 1979年生まれ 岐阜県出身 天理教濃飛分教会の会長の孫として生まれ、高校まで教会で生活する。 天理大学国際文化学部英米学科を卒業後、在外公館派遣員として在南アフリカ共和国日本国大使館にて勤務。 25歳から天理教校本科にて、天理教学を学ぶ。 27歳から天理教教会本部にて勤務。うち約5年間は天理教アメリカ伝道庁(ロサンゼルス)にて書記として勤務。 36歳の時、天理教教会本部の勤めを終え、天理教濃飛分教会に戻る。 40歳で天理教濃飛分教会の会長に就任。 天理教の教会長としてのつとめの他、養育里親、イライラしない子育て講座講師( TFA)、地域の見守り、水防団員などとしても活動をしている。 ★関連動画 天理教の教え関連 天理教の教え関連 「天理教の教え1 かしものかりもの」https://youtu.be/Prp7JAHGbTs 「天理教加古大教会6月月次祭祭典講話」https://youtu.be/9Hc5D3g9-84 「2018信州総文祭 天理教校学園高校マーチングバンド ミニコンサート」https://youtu.be/qfmHShlI4as 「ご存知ですか?天理教 話し手:松村登美和」https://youtu.be/TwFoiDsc05s 「【宗旨クローズアップ】天理教」https://youtu.be/Ry2zzbOeqmU 「Movie+(04)「天理教青年会 全世界一斉布教月間」(2018年6月1日~30日)」https://youtu.be/6DEu5MPOVG8 「陽気ぐらしセミナー2014」https://youtu.be/d3oElQwUODs 「【天理教】宗教法人の運営事情|vol.470」https://youtu.be/cPu5-02-v0s 「天理教の勧誘が来たので天理教について解説したくなりました」https://youtu.be/m7fkTOzaifg 「参院 東日本大震災復興特別委員会 天理教災救隊について」https://youtu.be/wejATubiX14 ★今回引用した箇所 天地東西南北の事に就て  或時、高井様など、御前にありて、『この地と天とは、どの位のへだたりがあるものならん』と語り合いしかば、教祖様仰せには、 『ぢはぢいとしてゐるから、ぢイといふ。てんはてんじかはるもの故、てんといふで。又人間の心のくを以てくもと云ふで。くもがいくへも出た時は、ひくうみえるやろ。一点の雲もなく、につ本晴れといふ日にはなんぼう高いとも、わからんやうに見えるやろ。これが天やで。人間の心も、その通りやで』と。  天は水、地は火と、聞かせらる。されば、ひくき白雲も、高き青みきりたる空も、皆水なれば、天といふべきならんか、と悟りて、又『東西南北、どの位へだたるものに有之や』と御伺ひ申し上げしに、 『人間が両手ひろげてねたごとくや』と、聞かせられたり。人間、両手ひろげてねれば、東西南北、同じ程なり。是れ丸き理を、聞かせられしにや。又『地球は、人間の体の如くや。金類の出るは、人間の身にすれば、爪や。温泉といふは、キウシヨのやうなもの、草木は毛の如く、水道は血すじやで。おなじ理やで』 と、御聞かせ被下たる事あり。げに、おやさまのからだ(躰)なりかし。 『正文遺韻』P283 一寸咄  この年に『一寸咄』と『よろづよ』とを御聞かせ被下ましたので、『よろづよ』は、十二下りのだしと仰せられて、十二下りのはじめに、つとめる事になりましたのでござります。  又、『一寸咄』は、これから数年後に、かんろだいのつとめのだしと、御聞かせ被下ましてござります。よつて、かんろだいのおつとめには、一寸咄がさきへつくのであつて、しんじつ、手をどりさづけといふて、かんろだいをとなへて、さすつて被下処の、おさづけがござります。それにもやはり、一寸はなしをとなへて、それからかんろだいを三遍となへて、おさすり被下ます。かれこれ思ひましても、神様がだしと被仰る理は、けす事はできません。 『正文遺韻』P49 天理教教祖伝逸話篇 一〇九 ようし、ようし  ある時、飯降よしゑ(註、後の永尾よしゑ)が、「ちよとはなし、と、よろづよの終りに、何んで、ようし、ようしと言うのですか。」と、伺うと、 教祖は、  「ちよとはなし、と、よろづよの仕舞に、ようし、ようしと言うが、これは、どうでも言わなならん。ようし、ようしに、悪い事はないやろ。」 と、お聞かせ下された。

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