明治二十年

明治二十年十二月二十一日 午前十時半
池田村講元植田平一郎おさづけ

明治二十年十二月二十一日 午前十時半池田村講元植田平一郎おさづけさあ/\/\、順序々々順序いかなる順序、自由自在々々々々。いかなる心、さあさあ一日々々々々日しいかり/\と、さあ/\/\受け取れ/\。さあ/\/\さあ、さづけ/\たすけ一条のため、あしきはらひたすけたまへ天理王命、三遍づつ三遍、三々九遍の理を渡そ。しいかり受け取

明治二十年五月十七日(陰暦四月二十五日)
松尾芳松身上願

明治二十年五月十七日(陰暦四月二十五日)松尾芳松身上願さあ/\遠く所事を以て尋ね出る。さあ/\事を以て尋ね出る処、これ諭する。悟りようがある。諭しの処、身の内処/\にて、分からん処が出来る。さあいかなる。遠くだん/\聞くとも遠く聞く。分かり難ない。尽せども/\分からん。随分分からんではない。諭する処時談言葉でも、身の内話かり

明治二十年十月二十四日 午前八時
紙谷安治郎身上、足底豆の時の伺

明治二十年十月二十四日 午前八時紙谷安治郎身上、足底豆の時の伺さあ/\/\めん/\、身上の処、一度二度の処の障りというものは、聞くや否直ぐと癒るは身の障り、直ぐとならんはほこりである。めん/\心に諭する処に、めん/\案じがありてはどんならん。めん/\身の処定めが付けねばならん。又々内内の処にも、見定め付けて、ほんにという処を

明治二十年十一月二十日(陰暦十月六日)
山田伊八郎身上願(右の足の付け根障りに付伺)

明治二十年十一月二十日(陰暦十月六日)山田伊八郎身上願(右の足の付け根障りに付伺)さあ/\身の内の処、この理はどういう処、大抵成る成らんの道も通り、一つは銘銘の多くの中、その中まあどんと気掛かり、あちらからもこちらからもどう、兄弟の中からもどう、さあすうきり何も彼も苦がすうきり遁れたるで。さあ道は一条であるで。さあ尋ねに来る

明治二十年十二月六日
山出庄五郎脳の痛みに付き引き続き御話(真心組大代村講元)

明治二十年十二月六日山出庄五郎脳の痛みに付き引き続き御話(真心組大代村講元)さあ/\尋ねるから理を聞かす。いずれ国の中理が分かれば自由自在。広く多くは元の理を聞かそう。元々何にも無い。早く聞き分け。人間心更に無いと、人間心更に無いという理を聞き分け。人間心と言うおか、神の心と言うおか、言う理を聞き分け。ちゃんと言うおか誰と言

明治二十年
秋岡亀治郎妻とめ四十二才病気身上願

明治二十年秋岡亀治郎妻とめ四十二才病気身上願さあ/\前に一度のさしづ。何遍でもならん。一時成る成らんの処でも、聞き分けが第一。これだけ運ぶのに、一つの心には案じては一つの理が回る。理を運べ。皆んな案じる一つの事情、はさんで難儀さそ、困らそとの神は無い。世界見れば、どんな理もある。それを見て銘々内々にて、世界も内も理を見て一つ

明治二十年
西田長三郎妻四十一才身上願(夜前八時頃よりけにて胸苦し。式上郡駒村)

明治二十年西田長三郎妻四十一才身上願(夜前八時頃よりけにて胸苦し。式上郡駒村)さあ/\誠一つ十分と思う処、十分前々十分道は通り難くい。速やか誠神一条話、とんと十分話伝え、一つこの道を通らずして思う処無き澄み切ったる水をさぐらん。一つ曇り、又曇り、一寸一つ誠暇要る。良き後人道すがら、よう道聞き分け。今一応暇が要る。一つ心を運び

明治二十年二月十九日(陰暦正月二十七日)

明治二十年二月十九日(陰暦正月二十七日)願さあ/\/\/\いかなる伺い、尋ねる処、どういう事情。いかなる処にも運び、今一時尋ねる処、一つの話、ならん/\すうきりならん。内々これよう聞き分け。さあよう聞き分け/\/\/\。これ/\/\何を話をしようにも、幾重の話する。よう聞き分けねば分かり難ない。幾重にも言葉替えるで。さあ/\

明治二十年三月十七日(陰暦二月二十三日)午後三時
刻限御話

明治二十年三月十七日(陰暦二月二十三日)午後三時刻限御話治めるで/\。いかなる事も今までや、どういう事も今までや。世界から出けて来る事なら、是非はあるまい。扉を開いて出て居る。見ても聞いても案じるでない。皆神の働きやで。

明治二十年三月二十二日 夜四時頃
刻限御話

明治二十年三月二十二日 夜四時頃刻限御話何よの事も、何から何の事聞き遁しする故に、堪えるに堪えられん。聞き遁さず、百度二百度三百度やない。堪えるに堪えられん。銘々それ/\早く、何の願、大抵の事はそれよりそれへ伝え。伝えるだけはせねばならん。いつまでも/\書いた如く、こういう事が聞いては伝え。出る前に伝え。