明治二十二年六月二十日
松村吉太郎帰宅の願明治二十二年七月九日(陰暦六月十二日)
虫札めどう札は、中山会長か、前川菊太郎書認めの上教祖の御前の御供え申し、中山会長に御息を頂きて出しましても宜しきや伺明治二十二年七月二十三日(陰暦六月二十六日)午後十一時二十五分
刻限御話明治二十二年七月
大和国添下郡郡山町五丁目万田まつ二十五才身上願明治二十二年八月二十四日
兵神分教会所にて参詣人不思議なる御自由あり、いかなる御知らせなるや、清水与之助、増野正兵衞、中井宗七より伺明治二十二年九月十九日(陰暦八月二十五日)
増野松輔足障り伺、(増野正兵衞八日の日おぢばへ夫婦連にて参詣、その日松輔徴兵検査より帰る道にて、不意の足障りに付伺)明治二十二年十月十四日(陰暦九月二十日)午前八時二十分
本席身上御障りに付願明治二十二年十月二十九日(陰暦十月六日)
檪枝の堀内与蔵村田方へ入込みの願明治二十二年十一月九日(陰暦十月十七日)
永尾たつゑ身上今一段速やかならぬに付願明治二十二年十一月三十日
増野いと左の腹に差し込むに付願明治二十二年十二月二十五日
村田かじ身上腹痛に付願明治二十二年一月三十日
増田つね願(郡山柳町)明治二十二年三月十八日
寺田半兵衞願(大阪北区網島町)明治二十二年六月十六日
西岡善造二十三才身上皮癬に付願明治二十二年七月二十五日(陰暦六月二十八日)
今川聖次郎本月二十四日より一度腹痛み下だりに付身上願明治二十二年八月二十日(陰暦七月二十四日)
宮森与三郎三十三才身上願明治二十二年十月十五日 午前九時
中川茂吉三十才(元斯道会第八十号周旋方)明治二十二年十二月二十日
辻かめ身上願明治二十二年
和田平三郎明治二十二年一月十一日
西浦弥平小人三治郎八才願明治二十二年一月二十三日
増野正兵衞足のくさ目かい障り伺明治二十二年二月八日(陰暦正月九日)
おやしき門前に本席御住居所新築に付、今日より取り掛かる願明治二十二年二月二十一日(陰暦正月二十二日)午前七時
本席身上御障りに付願明治二十二年三月十七日(陰暦二月十六日)
兵神分教会の儀、世界の道速やかに御許し下され、地所の処誠に不思議のように御許し下されましたに付、中井宗七、清水与之助、増野正兵衞の三名講社一統の代りに御礼を申上げおさしづ明治二十二年三月二十八日
平野楢蔵願明治二十二年四月二十三日(陰暦三月二十四日)
増野正兵衞五日前より胸悩み、居所悪しく、南京虫にさゝれし処、おぢばへ出て宜しきに付伺明治二十二年五月九日 午前七時三十分
郡役所より大和国講長名前書出すべき旨、役場より照会に付おさしづ明治二十二年五月三十日(陰暦五月一日)
兵神分教会おさしづに、元々ぢば一つつとめ六名のおさしづの趣、周旋方一同へ談じ、一日の日開講式六名へ談示し、後々定め方に付願明治二十二年六月二十三日
井筒梅治郎身上願明治二十二年七月九日
兵神分教会所十柱の神様の左側に、教祖赤衣を別の社拵えて祀る御許し願明治二十二年七月二十四日(陰暦六月二十七日)午前一時二十分
刻限御話(桝井伊三郎、大工音吉身の障りに付願、引き続いて御聞かせあり)明治二十二年八月一日(陰暦七月五日)
近江国甲賀郡宇田村へ、京都河原町分教会所の支教会所御許し願(甲賀支教会)明治二十二年八月二十五日(陰暦七月二十九日)
本席口中左の上歯痛み頬腫上り身上御障りに付願明治二十二年九月十九日(陰暦八月二十五日)
前夜飯降さと、よしゑの事情より両名直にさんげの際御話あり明治二十二年十月十四日(陰暦九月二十日)
刻限御話明治二十二年十月三十日(陰暦十月七日)
上田ナライト身上障り願明治二十二年十一月九日(陰暦十月十七日)午後十時半
刻限御話明治二十二年十一月 頃
豊田村辻かめ伺明治二十二年十二月二十六日
兵神分教会明年一月五日頃に、節会の御祝致し度に付伺明治二十二年二月二日
村田忠三郎願明治二十二年三月二十日
峰畑為吉伺(宇陀郡見田村)明治二十二年六月二十七日
岡本やゑ二才身上願(中之庄村)明治二十二年七月二十八日
深谷源次郎下咳の悩み伺明治二十二年八月二十日
紙谷九兵衞身上伺(五十八才の時七月十日よりふら/\と致し、首よりつかえ、又、腰にて痛み、外の処速やかになると、又々足より右の足を痛み、日々の処身の処は、ぼち/\と仕事致して居ります。右の願)明治二十二年十一月二日
古沢弥兵治三十五才(近江国甲賀郡上村斯道会周旋方)明治二十二年十二月二十日(陰暦十一月二十八日)
宮森ヒサ身上願明治二十二年頃五月二十日 午後一時
天野家内願