明治二十三年七月十七日(陰暦六月一日)
おさづけ順序の後にて心得のため御話明治二十三年八月五日(陰暦六月二十日)
裏地西側へ材木入れ仮小屋御許しの願明治二十三年八月十七日
高安分教会建築明十八日上棟致し度願明治二十三年八月二十六日(陰暦七月十一日)
山田伊八郎より家内の事情伺明治二十三年九月四日
桝井伊三郎内々事情に付願(七条村へ帰る内々の話に付押しての願)明治二十三年九月十九日 朝
梶本松治郎より伺明治二十三年十月一日
内々本席順序前夜刻限の事情願明治二十三年十月二十五日(陰暦九月十二日)
消防の火の見櫓御許し願明治二十三年十一月十四日
兵神分教会部下三木支教会長人気寄らずに付清水与之助願明治二十三年十一月二十八日
永尾よしゑ背中痛み寝起も仕兼ねるにより願明治二十三年十二月二日
春野ゆう昨日身上速やかなれば席を許すによって連れて出よとの事に付、身も御救け下されしに付願明治二十三年十二月二十七日
兵神分教会部下加古支教会節会の願明治二十三年一月二十二日(陰暦閏十二月二日)
大西由五郎五十六才(大和国吉野郡平沼田村心勇講周旋方)明治二十三年四月八日(陰暦二月十九日)
吉田栄助四十二才(兵庫県神戸市三之宮町兵神分教会周旋方)明治二十三年五月二十日
峰畑為吉妻まつ三十一才身上願(宇陀郡見田村)明治二十三年八月九日 午後十時五十分
阪倉佐助伜房吉二十三才身上願(兵庫)明治二十三年十二月二十日
深谷源兵衞七十六才身上願(源次郎父)明治二十三年一月九日
桝井伊三郎身上障り願明治二十三年一月二十六日
河原町分教会部内甲賀支教会の儀に付伺明治二十三年三月十五日(陰暦正月二十五日)
阿波国板野郡斎田村支教会開筵式の願(撫養支教会)明治二十三年三月二十二日(陰暦二月二日)夜
本席おさづけ順序、夏は朝か暮に御許し下されるや願明治二十三年四月十五日
増野松輔国許より帰国致させるよう申し来り、今は修行中に付、その由申送りし処、又申来りしに付、一度帰しました方宜しきや、又その由今一度申送る方宜しきや願明治二十三年四月二十三日(陰暦三月五日)九時二十分
本席御身上の御障り伺明治二十三年五月七日
河原町部下宇治田原支教会事情の願(西野清兵衞より)明治二十三年五月十九日
裏門新築御許しの願明治二十三年六月三日 朝
増田つね身上の願明治二十三年六月十四日
井筒梅治郎小人ふみ身上はしかに付願明治二十三年六月二十七日 午前八時
梅谷四郎兵衞下阪に付願明治二十三年七月六日 朝
二階建と教会所の間、雨除け御許しの願明治二十三年七月十七日(陰暦六月一日)
辻忠作肥一条の事に付願明治二十三年八月七日
鴻田忠三郎願明治二十三年八月十七日
喜多治郎吉胸痛み、四五日障るに付願明治二十三年八月二十九日(陰暦七月十四日)朝
中山会長東京より御帰会の上御願明治二十三年九月五日(陰暦七月二十一日)
兵神分教会内三木及黒川、山田、喜多村真明講一手の上三木に支教会設置願(三木支教会)明治二十三年九月二十日
鴻田忠三郎願明治二十三年十月三日
河原町分教会部内甲賀支教会の伺明治二十三年十月二十八日
増野いと神戸へ気の保養のため一寸帰しました処、神戸に暫く置いてくれと申します、前さしづに暫くはならんともお聞かせにあづかりしが御許し下さるものや、如何のものでありますや願明治二十三年十一月十四日
清水与之助身上頭芯へ痛みの願明治二十三年十一月二十八日
村田長平身上願明治二十三年十二月六日
志紀分教会地方庁へ出願の件願明治二十三年十二月二十七日
増野正兵衞普請の模様変りに付願明治二十三年一月二十九日
小笠又右衞門頭咽喉の障り伺明治二十三年四月九日
山添寅吉三十九才(近江国蒲生郡山本村斯道会周旋方)明治二十三年五月二十一日
今川聖次郎腕痛む身上願明治二十三年八月二十三日 午後四時
美尾谷嘉右衞門身上願(道ノ口村、百六十一号講元父)明治二十三年十二月三十一日
河合六兵衞身上願明治二十三年一月十一日
二三日前より奈良警察より二名及布留巡査等村内を廻り、おやしき内へも度々入り込むに付、村方の事を探偵するや、又おやしきの事を探偵致しますや伺明治二十三年一月二十六日
飯降さと身上願明治二十三年三月十七日(陰暦正月二十七日)
おさづけ順序に付、本席は二月三月世界どうも通り難くいと御聞かしあり、そこでひっそ/\にしてと御話ありましたが、本席順席如何致しまして宜しきや伺明治二十三年三月二十四日(陰暦二月四日)
山沢サヨ身の障り願