おさしづ

明治四十年五月十七日(陰暦四月六日)午前三時半
十二時過ぎより本席身上激しく障りの処三時に到り俄かに激しく相成り、教長初め一同揃うて居ります、何か御聴かし下さる事ありますか、と願

明治四十年五月十七日(陰暦四月六日)午前三時半十二時過ぎより本席身上激しく障りの処三時に到り俄かに激しく相成り、教長初め一同揃うて居ります、何か御聴かし下さる事ありますか、と願ウヽヽヽ、さあ/\/\/\/\、ウヽヽヽ、さあ/\毎夜々々の話毎夜々々の話し掛け一条々々、さあ/\もうこれ一寸一回は一寸一回、話結ばにゃなろうまい。一

明治二十二年三月二十日
峰畑為吉伺(宇陀郡見田村)

明治二十二年三月二十日峰畑為吉伺(宇陀郡見田村)さあ/\身上々々、さあ/\身上尋ねる処、さあ/\これよう聞き分け/\。事情世界諭する理、理があればこそ/\。なれど、めん/\の身上に一つの理があってはどんならん。めん/\身の障る処から、世界諭す処の理と、めん/\の身上に不足の理があってどんならん。めん/\世界諭する理を、これよ

明治四十年六月六日(陰暦四月二十六日)午前四時半
本席苦痛激しくに付、教長始め一同出席す

明治四十年六月六日(陰暦四月二十六日)午前四時半本席苦痛激しくに付、教長始め一同出席すオ-イ。アヽヽヽ。同じく五時頃教長より何か御知らせ下さる事ありますや、皆々揃うて居りますから、と御願い申し上げらる口が語る事出来ん/\。ウワヽヽヽヽ、(本席御手にて百日と字をお書きになり、)

明治二十二年六月二十七日
岡本やゑ二才身上願(中之庄村)

明治二十二年六月二十七日岡本やゑ二才身上願(中之庄村)さあ/\小人々々、さあ/\小人の身の処、一時どうなろうこうなろうと思う処、どういう事一時思う処、一つの理を聞き取らねばならん。ようこの事を聞き取れば余儀無き処を通り来たる処、小人の処、一時早くと思う処、順々一つの理を運べ。余程大層。さあ/\これまで余程尽せども、一時なると

明治二十二年七月二十八日
深谷源次郎下咳の悩み伺

明治二十二年七月二十八日深谷源次郎下咳の悩み伺さあ/\事情々々皆事情ありて道を通る。これまでの道幾重の道も通りても、立て替えて幾重の道もある。道理事情の道を暫くの間通るようと、先ず一時暫くの処通るようと、知らし置こ。

明治二十二年八月二十日
紙谷九兵衞身上伺(五十八才の時七月十日よりふら/\と致し、首よりつかえ、又、腰にて痛み、外の処速やかになると、又々足より右の足を痛み、日々の処身の処は、ぼち/\と仕事致して居ります。右の願)

明治二十二年八月二十日紙谷九兵衞身上伺(五十八才の時七月十日よりふら/\と致し、首よりつかえ、又、腰にて痛み、外の処速やかになると、又々足より右の足を痛み、日々の処身の処は、ぼち/\と仕事致して居ります。右の願)さあ/\身上々々一時尋ねる処、長らえて/\、未だ身は発散せん/\。聞き分けてくれ。一寸の事情は大層である。一時では

明治二十二年十一月二日
古沢弥兵治三十五才(近江国甲賀郡上村斯道会周旋方)

明治二十二年十一月二日古沢弥兵治三十五才(近江国甲賀郡上村斯道会周旋方)さあ/\だん/\返やし/\の席をしい、さあ一日の日生涯、心一つの理を以ちて一つ席、席に順序生涯の理を諭しよ。生涯の理には、よく聞き分け。難し事は言わん。どうせこうせこれは言わん言えんの理を聞き分けるなら、何かの理も鮮やかと言う。人間という身の内という、皆

明治二十二年十二月二十日(陰暦十一月二十八日)
宮森ヒサ身上願

明治二十二年十二月二十日(陰暦十一月二十八日)宮森ヒサ身上願さあ/\身上一寸心得ん。どういう事で幾重の話する。理を伝え。どういう事を聞き分けて、一寸何であろうまい。長らえていんねんの理を以て、今まで一寸どうなる。一日の日もある。十分理を運んで、一日と言う。嬉しい一日、尋ぬる一日、前前から理を聞かす。何も案じる事は要らん。めん

明治二十二年頃五月二十日 午後一時
天野家内願

明治二十二年頃五月二十日 午後一時天野家内願さあ/\いかなるも心得のため、さあ/\どういう事であろ。さあ/\実があれば実がある。どういう事もあろまい。さあ/\早く/\/\身の処分かろまい/\。尽すなれども、早く尽せども、痛む悩む処はどういう事という。何かの処身の悩む処、早く/\/\。今の事やない。案じる事は心一つは定め。一寸

明治二十三年一月十三日
増野正兵衞腹痛下り咳出で障りに付伺

明治二十三年一月十三日増野正兵衞腹痛下り咳出で障りに付伺さあ/\尋ねる事情/\、日々尋ねる処、日々思う処よう道を通り来て、治まり一つの処、十分聞くや聞かず、どういう理である。よう聞きてどんな事も案じる事は要らん。一寸の道、一寸の理によってこれある。何にも案じる事は無い。年限の事情、どういう事も道と言う、年々の理である。思う理