明治二十三年八月七日
鴻田忠三郎願明治二十三年八月十七日
喜多治郎吉胸痛み、四五日障るに付願明治二十三年八月二十九日(陰暦七月十四日)朝
中山会長東京より御帰会の上御願明治二十三年九月五日(陰暦七月二十一日)
兵神分教会内三木及黒川、山田、喜多村真明講一手の上三木に支教会設置願(三木支教会)明治二十三年九月二十日
鴻田忠三郎願明治二十三年十月三日
河原町分教会部内甲賀支教会の伺明治二十三年十月二十八日
増野いと神戸へ気の保養のため一寸帰しました処、神戸に暫く置いてくれと申します、前さしづに暫くはならんともお聞かせにあづかりしが御許し下さるものや、如何のものでありますや願明治二十三年十一月十四日
清水与之助身上頭芯へ痛みの願明治二十三年十一月二十八日
村田長平身上願明治二十三年十二月六日
志紀分教会地方庁へ出願の件願明治二十三年十二月二十七日
増野正兵衞普請の模様変りに付願明治二十三年一月二十九日
小笠又右衞門頭咽喉の障り伺明治二十三年四月九日
山添寅吉三十九才(近江国蒲生郡山本村斯道会周旋方)明治二十三年五月二十一日
今川聖次郎腕痛む身上願明治二十三年八月二十三日 午後四時
美尾谷嘉右衞門身上願(道ノ口村、百六十一号講元父)明治二十三年十二月三十一日
河合六兵衞身上願明治二十三年一月十一日
二三日前より奈良警察より二名及布留巡査等村内を廻り、おやしき内へも度々入り込むに付、村方の事を探偵するや、又おやしきの事を探偵致しますや伺明治二十三年一月二十六日
飯降さと身上願明治二十三年三月十七日(陰暦正月二十七日)
おさづけ順序に付、本席は二月三月世界どうも通り難くいと御聞かしあり、そこでひっそ/\にしてと御話ありましたが、本席順席如何致しまして宜しきや伺明治二十三年三月二十四日(陰暦二月四日)
山沢サヨ身の障り願明治二十三年四月十六日 午前九時
永尾たつゑ目のふちたゞれ鼻つまり、快よく眠らぬに付願明治二十三年四月二十三日 午後十時頃
梶本うの身上障りに付願明治二十三年五月八日
喜多よし足の障りに付願明治二十三年五月二十日
柏原分教会設置出願の願(中河分教会)明治二十三年六月三日(陰暦四月十六日)午後三時
本席御身上腹突張り頭痛に付願明治二十三年六月十五日(陰暦四月二十八日)午後八時三十分
本席五六日前より腹差し込み、本日左の歯厳しく痛むに付願明治二十三年六月二十七日
辻忠作、栄蔵、かめ、この間より咳出で病いに付願明治二十三年七月六日 朝
姫路支教会地所の願(飾東支教会)明治二十三年七月十八日
梅谷四郎兵衞願明治二十三年八月七日
寺田城之助身上願明治二十三年八月十九日 午前二時三十分
刻限明治二十三年八月三十日 午後十一時
刻限明治二十三年九月五日
飯降政甚身上の願明治二十三年九月二十一日
小松駒吉養母出直に付伺明治二十三年十月五日(陰暦八月二十二日)午後九時
本席身上御障り願明治二十三年十月二十八日
村田長平願明治二十三年十一月十七日(陰暦十月六日)
親族一同御引寄せに付、中山会長、前川菊太郎、梶本松治郎お寄せの上、たまへ身上障りに付御伺あり(前おさしづに基き縁談の事を御知らせ下されますか御願)明治二十三年十一月二十八日
村田かじ身上願明治二十三年十二月七日(陰暦十月二十六日)夜十時
会長たまへ御結婚御盃を本席より御始めなされし際の御話明治二十三年十二月二十七日(陰暦十一月十六日)
寺田国太郎咳出で息どしきより願明治二十三年一月三十日
植谷元治郎二十二才(山城国愛宕郡大原村周旋方)明治二十三年四月十日(陰暦二月二十一日)
磯村卯之助眼に黒星廻り紅色を発するに付伺明治二十三年五月二十三日
村田忠七伺(郡山)明治二十三年八月二十五日
増田とみ二十三才(郡山柳町三丁目)明治二十三年十二月三十一日
今川聖次郎長女ヤス身上伺(手も足も少しも動かぬ。おぢばへ御伺いに出る。御願中身上は救かる。神が悩みを付けて引き寄せたのである。)明治二十三年一月十三日
遠州山名分教会部下支教会を榛原郡白羽村に小栗市重、支教会長として設けること御許しの願(白羽支教会)明治二十三年一月二十六日
増野いと左の腹骨の痛みに付伺明治二十三年三月十七日(陰暦正月二十七日)
御守はこれまで教祖の御衣物を御守に用い来たりしに、皆出して了いになり、この後は如何に致して宜しきや伺明治二十三年三月二十七日(陰暦二月七日)午後九時三十分
本席御身上より刻限明治二十三年四月十六日
増野正兵衞小人道興目かい乳を上げるに付伺