111.朝、起こされるのと 111.朝、起こされるのと 教祖が、飯降よしゑにお聞かせ下されたお話に、 「朝起き、正直、働き。朝、起こされるのと、人を起こすのとでは、大きく徳、不徳に分かれるで。蔭でよく働き、人を褒めるは正直。聞いて行わないのは、その身が嘘になるで。もう少し、もう少しと、働いた上に働くのは、欲ではなく、真実の働きやで。」と。 2018.08.15
112.一に愛想 112.一に愛想 教祖が、ある日、飯降よしえにお聞かせ下された。「よっしゃんえ、女はな、一に愛想と言うてな、何事にも、はいと言うて、明るい返事をするのが、第一やで。」又、「人間の反故を、作らんようにしておくれ。」「菜の葉一枚でも、粗末にせぬように。」「すたりもの身につくで。いやしいのとちがう。」と。 2018.08.15
113.子守歌 113.子守歌 教祖は、時々次のような子守歌をお歌いになっていた、という。 一、弁慶は、有馬の国で育てられ、三つの上は四つ五つ、七つ道具を背に負い、五条の橋にと急がれる。 二、甚二郎兵衞は、手盥持って、釣瓶で水を汲んで、手水使うて、神さん拝んで、シャンシャン。 梶本宗太郎が、二十代の時に、山沢ひさから聞いたものである。 2018.08.15
114.よう苦労して来た 114.よう苦労して来た 泉田藤吉は、ある時、十三峠で、三人の追剥に出会うた。その時、頭にひらめいたのは、かねてからお仕込み頂いているかしものかりものの理であった。それで、言われるままに、羽織も着物も皆脱いで、財布までその上に載せて、大地に正座して、「どうぞ、お持ちかえり下さい。」と言って、頭を上げると、三人の追剥は、影も形 2018.08.15
115.おたすけを一条に 115.おたすけを一条に 真明組周旋方の立花善吉は、明治13年4,5月頃自分のソコヒを、つづいて父のせん気をお救け頂いて入信。以来数年間、熱心に東奔西走しておたすけに精を出していたが、不思議なことに、おたすけにさえ出ていれば、自分の身体も至って健康であるが、出ないでいると、何となく気分がすぐれない。ある時、このことを教祖に申し上 2018.08.15
116.自分一人で 116.自分一人で 教祖のお話を聞かせてもらうのに、「一つ、お話を聞かしてもらいに行こうやないか。」などと、居合せた人々が、二、三人連れを誘うて行くと、教祖は決して快くお話し下さらないのが、常であった。 「真実に聞かしてもらう気なら、人を相手にせずに、自分一人で、本心から聞かしてもらいにおいで。」と、仰せられ、一人で伺うと、諄々と 2018.08.15
117.父母に連れられて 117.父母に連れられて 明治15,6年頃のこと。梅谷四郎兵衛が、当時5,6才の梅次郎を連れて、お屋敷へ帰らせて頂いたところ、梅次郎は、赤衣を召された教祖にお目にかかって、当時煙草屋の看板に描いていた姫達磨を思い出したものか、「達磨はん、達磨はん。」と言った。それに恐縮した四郎兵衛は、次にお屋敷へ帰らせて頂くとき、梅次郎を同伴し 2018.08.15
118.神の方には 118.神の方には 明治十六年二月十日(陰暦正月三日)、諸井国三郎が、初めておぢばへ帰って、教祖にお目通りさせて頂くと、 「こうして、手を出してごらん。」と、仰せになって、掌を畳に付けてお見せになる。それで、その通りにすると、中指と薬指とを中へ曲げ、人差指と小指とで、諸井の手の甲の皮を挾んで、お上げになる。そして、 「引っ張って 2018.08.15
119.遠方から子供が 119.遠方から子供が 明治十六年四、五月頃(陰暦三月)のある日、一人の信者が餅を供えに来た。それで、お側の者が、これを教祖のお目にかけると、教祖は、 「今日は、遠方から帰って来る子供があるから、それに分けてやっておくれ。」と、仰せられた。お側の人々は、一体誰が帰って来るのだろうか、と思いながら、お言葉通りに、その餅を残して置い 2018.08.15
120.千に一つも 120.千に一つも 明治十六年の春頃、山沢為造の左の耳が、大層腫れた時に、教祖から、 「伏せ込み、伏せ込みという。伏せ込みが、いつの事のように思うている。つい見えて来るで。これを、よう聞き分け。」とのお言葉を聞かせて頂いた。又、 「神が、一度言うて置いた事は、千に一つも違わんで。言うて置いた通りの道になって来るねで。」と、聞 2018.08.15