旅寝言 -tabinegoto-

活動レポート・教友の輪

人は言葉を食べて、生きている。

赤ちゃんは、聞こえてくる言葉を自分の中へ取り込んで言葉を覚えます。それが日本語なら日本語、英語なら英語。置かれた環境の言葉を身につけます。私たちは生きるのに必要な言葉を、自分で作り出してはいません。まわりに存在する言葉を耳で食べ、消化・吸収しているのです。それは次第に、「私」の心(世界観)を形作っていきます。

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不自由の女神

手を使えないサッカー。その制約が選手に美しいプレイを創造させます。十七音の文学、俳句。その限定が言葉の力を最大限に引き出す芸術を生みます。厳しい制約(ルール)は人を工夫させ、鍛錬させ、自己を高める契機となる。私たちの実生活もまた、様々な制約の中にあります。それは私たちを新たな境地へと導く、不自由の女神かもしれません。

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活動レポート・教友の輪

あなたは贈与でできている。

私はときどき、自分が空っぽな人間だと思います。自分の文章を空虚だと感じます。あなたは、ふいにそうした気持ちに襲われることはありませんか?自分で自分の価値を認めることはなかなか難しいものです。それでも私は胸を張って生きようと思います。それは、自分のなかに流れる大切な存在を信じるから。私は私だけでできてはいないのだから。

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NOT天研

神の子どもたちはみな遊ぶ。

「夢は?」と聞かれれば、「一生遊んで暮らすこと」と答える。大人になって、よく考えて出した答えだ。もちろん、夜遊び、火遊び、女遊びの類ではない。最近よく聞く「遊びを仕事にしよう」的なものでもない。意味するところは、「何事も遊びであるかのように、楽しめる人間でありたい」ということ。それはきっと、こどもと、神様の振る舞い。

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僕らは遊ぶために生まれてきた。

「人は何のために生きるのか」あなたはどう答えますか?「そんなの答えようがない。そもそも設問が間違っている」そうかもしれません。でも、私はこう答えます、「僕らは遊ぶために生まれてきた」。これは、ロジカルでマジカルな “答え” です。なぜなら、遊びだけがあらゆる問いを遮断するから。「人間の本質は遊びにある」というお話です。

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こどもの哲学を忘れるな。

「こどもの哲学を忘れるな」、僕の心にすっと入って居続けるこの言葉。不思議とネットで検索してもヒットしない。けれど僕は、とても大切なことだと直感した。「なんで?」「どうして?」こどもが繰り返すその言葉を、私たちはいつしか口にしなくなった。だが、問うことをやめてはいけない。切実な問いだけが、新しい世界を拓くのだから。

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信仰心は、量産できない。

「信仰の喜び」がテーマの講演会。講師の私は冒頭で次のように述べました。「信仰の喜びを伝えることは、原理的に不可能です」 なぜでしょうか? ───信仰心は量産できない。でも、それは、「価値がある」ことの裏返しです。他人の歩んだ道は自分の道とはならない。信仰はその意味でハンドメイド。だからこそ、喜びもまたひとしおなのです。

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違っていて、しかも一緒。

新型コロナウイルスのもと、人々は場所を「分散」し、時間を「ずらす」などの努力を重ねてきました。つまり私たちはいま、「それぞれ」で「違う」ことを目指しています。一方、テレワーカーの間で「サボっていると思われていないか不安」という声が。私たちは「それぞれ」であり「一緒」である。共通性こそ、多様性を生む土壌かもしれません。

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書を眺めるには筆を取れ。

「臨書には大きな意味がある。それは “書く” ほうが、より “見られる” ということ」 お手本を真似て文字を書く、臨書。それが「見るために書く」って、不思議ですよね。世の中には私たちが思う以上に、「ぱっと見」では分からないことが、たくさんあるのかもしれません。いくつになっても未知の世界の存在は、人の心を弾ませます。

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見て共に楽しむ。

たとえ無観客であってもスポーツ大会の開催は可能です。聖火リレーの沿道に人がいなくても、それによって聖火が消えることはありません。どうも「観客」は不可欠な要素ではないようです。いっぽう、子どもは何かするたびに「みてー」と声をかけます。他愛もない「みてー」、それはピュアでエッセンシャルな人の営みかもしれません。

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