明治二十四年三月二十九日(陰暦二月二十日)
本席御出京の際付添の者神道本局へ当教会一等教会昇級願取り扱い御許しの事願明治二十四年四月十六日
増田甚七小人きぬゑ身上願明治二十四年四月二十五日
上原佐助身上障り事情に付願明治二十四年五月八日 夜
本席身上の御障りに付願明治二十四年五月二十日
高見宇市、西田おため縁談事情願明治二十四年五月三十一日
増野正兵衞胸しんどく又小人身上も障りに付伺明治二十四年六月十一日
松村すて、萱振村芦田松治郎と縁談の儀伺明治二十四年六月三十日
山沢サヨ腹痛みに付願明治二十四年七月九日
梅谷分教会御勤日陰暦二十二日御勤に付衣物の紋、幕の紋、鳴物の事情の願明治二十四年九月九日
増野正兵衞本日中山会長御住居古家取り払いに付二階建ちに立ち退きの後、屋根より飛び下り右の足を挫き痛め障りに付願明治二十四年九月二十七日
島ケ原支教会設置に付願明治二十四年十月八日
教祖湯殿修復の願明治二十四年十月二十一日
天水組講社分教会設置の願(網島分教会)明治二十四年十一月一日 夜
梶本松治郎、土佐高知分教会の帰途大阪より、だん/\身上の障り上げ下だしに付願明治二十四年十一月十日(陰暦十月九日)
中山本部長御身上の願明治二十四年十一月十五日
桝井伊三郎小人つゆ身上願明治二十四年十一月二十五日(陰暦十月二十四日)午前一時
刻限御話明治二十四年十二月七日
網島分教会陰暦二十五日月次祭御許し願明治二十四年十二月二十五日
高安分教会節会二十五年一月五日に執行の願明治二十四年一月六日
加藤徳平娘よそ十九才身上に付事情願明治二十四年二月二十七日
麻植娘十七才礒吉二十五才縁談伺(阿波国)明治二十四年四月十八日
東保太郎身上願明治二十四年五月三十一日
宇野善助五十六才身上願明治二十四年七月六日
柏木六左衞門身上願明治二十四年八月二十四日
沢田重左衞門伺明治二十四年九月二十一日
深谷徳次郎二十二才身上事情願明治二十四年十月十一日
深谷徳次郎二十二才身上悩み願明治二十四年十一月一日
深谷徳次郎二十二才足の痛みより願明治二十四年十一月二十九日
瀬戸新七伜吉蔵身上願明治二十四年頃
増田甚七小人身上に付伺明治二十五年一月十三日 午後五時半
前夜おさしづに基づき本席一条の件願明治二十五年一月二十二日
高安部内光道講第三号に於て支教会設置の儀願(大県支教会)明治二十五年二月七日(陰暦正月九日)朝
陰暦正月七日永尾きぬゑ安産、八日の晩よしゑ腹痛に付願明治二十五年二月十三日
村田長平、宮森井戸掘りに腰痛め身上願明治二十五年二月二十三日
永尾よしゑ身上の願明治二十五年三月一日
城島部内紀州の岩出村にて支教会設置願(紀陽支教会)明治二十五年三月七日
山本利三郎願明治二十四年八月四日
大和新聞より申し来りし事に付伺明治二十四年八月七日
今村斧太郎事情の願明治二十四年九月五日
増野正兵衞いんきんにて夜々痛みかゆくて寝(やす)む事出来ざるに付願明治二十四年一月十四日
山本利三郎願明治二十四年一月二十八日 夜九時
刻限明治二十四年二月十日(陰暦正月二日)
上原佐助願明治二十四年二月二十一日
上原佐助亡養父一年祭に付帰国の伺明治二十四年三月四日(陰暦正月二十四日)
桝井伊三郎身上願明治二十四年三月二十三日(陰暦二月十四日)
兵神分教会部内三木支教会出願中の処、県庁より返書に付願明治二十四年三月二十九日(陰暦二月二十日)
同じ随行中東京講社にて寄付の事件に付取扱人御許し願明治二十四年四月十六日 夜
桝井伊三郎小人つゆ急に身上障りに付願明治二十四年四月二十七日
飾東支教会にて教祖五年祭を陰暦四月一日の月次祭の日に兼ねての願明治二十四年五月九日
諸井国三郎歯の悩みに付願

