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    • 明治三十二年一月二十二日
      春野喜市別宅致し度きに付可否の願
           
    • 明治三十二年二月二十四日
      城島分教会長後任事情に付願(上村吉三郎出直し以来芯無くして只今の処総整理員としてありますが、その後任定めるに付、元上村の継統に致さんならんものでありますや、又は役員の重立つ者で定めて宜しきや、役員同等の者沢山ありますが、如何に致しまして宜しきや、増野正兵衞心得まで願)
           
    • 明治三十二年四月五日
      兵神分教会長清水与之助本部へ引き越し後、副会長富田伝次郎を以て役員一統協議御許しの願
           
    • 明治三十二年四月二十六日
      西浦弥平五十六才身上願
           
    • 明治三十二年五月三十一日
      前増野のおさしづよりだん/\本部役員協議の上城島分教会の事であろうとの事に付願(今分教会にては未だ会長定まらんに付、後任とすべき人はたゞ今にて三名あります。山田伊八郎は古き人なり、又加見兵四郎は講社多分あり余程道のため尽力のせる人なり、又峰畑為吉は副会長の名もあり教会に余程功ある人なり。目下取定めに心配致し居ります。この処願)
           
    • 明治三十二年七月十二日
      中台おちよ流産後悪しく願
           
    • 明治三十二年八月十七日
      上田民蔵小人なをえ身上願
           
    • 明治三十二年九月十五日
      本席昨日夕方より俄かに御障りあり、先日と同じ腰痛みの御障りに付願
           
    • 明治三十二年十月十一日
      土佐卯之助身上の願
           
    • 明治三十二年十一月三日
      昨夜の刻限のおさしづに付、本部員一同打ち揃いの上願
           
    • 明治三十二年十二月六日
      桝井政治郎及び小児ナヲヱ二人共身上願
           
    • 明治三十二年十二月二十二日
      平野トラ本月十五日出直しに付、後々の治め方心得まで願
           
    • 明治三十二年四月一日
      伊東勇吉三十七才身上願
           
    • 明治三十二年六月一日
      教祖赤衣奉祀に付願(宇陀郡榛原町字井足高田清平より、これまで教祖御存命中頂戴せし赤衣を、この度東和支教会教祖の御社へ祀り替えの事情願)
           
    • 明治三十二年九月八日
      森下友蔵伜両名出直し事情に付伺(兵神部内神戸出張所)
           
    • 明治三十二年十月二十一日
      関口定松並びに妻つる身上、尚小人の処申し上げ願
           
    • 明治三十二年一月二十五日
      辻由松妻アサヱ三十三才身上願
           
    • 明治三十二年二月二十五日
      城島部内東和支教会所に於て日清戦争の際宇陀郡地方の戦死者記念碑建設する事村長より願い出に付願
           
    • 明治三十二年四月七日
      山田作治郎身上願
           
    • 明治三十二年四月二十七日
      桝井安太郎身上願
           
    • 明治三十二年六月五日
      山名部内高室清助渡清に付諸井国三郎より心得のため願
           
    • 明治三十二年七月二十三日
      天理教独立願書に添付する教会起源及び沿革、教祖履歴、教義の大要に付御願
           
    • 明治三十二年八月二十一日
      日本橋分教会長の事情に付永尾楢次郎、喜多治郎吉の両名出張する事願
           
    • 明治三十二年九月十九日
      田中忠蔵の屋敷買い入れる事願
           
    • 明治三十二年十月十二日
      寺田半兵衞身上の願(永尾楢次郎葬祭の翌日より胸腹痛み少々上げ下しして胸痛み左の顔痺れ左の親指痺れしに付)
           
    • 明治三十二年十一月八日
      井筒五三郎妻たね二十一才流産後身上障りに付願
           
    • 明治三十二年十二月六日
      田原支教会長久保小三郎長男楢治郎、勝田奈良吉長女マスヱとの縁談事情に付再願の願
           
    • 明治三十二年十二月二十三日
      諸井政一身上の願
           
    • 明治三十二年四月二日
      内田太平伜久蔵身上願(上市出張所担任伜)
           
    • 明治三十二年六月一日
      井岡喜一郎十九才身上願(田原村字誓多林)
           
    • 明治三十二年九月十日
      浅井勝太郎次女つる身上願
           
    • 明治三十二年十月二十五日
      永尾徳松四十一才身上願
           
    • 明治三十二年一月二十六日
      西浦弥平身上の願
           
    • 明治三十二年二月二十五日
      諸井国三郎身上願
           
    • 明治三十二年四月八日
      井筒五三郎目が赤くなりまばゆく身上に付願
           
    • 明治三十二年五月一日
      梅谷四郎兵衞顔に物出来身上願
           
    • 明治三十二年六月六日
      独立願に付教長御心得のため御願なされし処、右のおさしづにより本部員一同へ御話し下され、その上分教会長を招集し、分教会へも同様伝え合い、本部員教会長一同打ち揃い出席の上御願
           
    • 明治三十二年七月二十四日
      園原上田ナライトの運び方の事に付願
           
    • 明治三十二年八月二十一日
      檪本梶本宗太郎家族共本部へ引き越しに付、後の処浅田徳二郎へ委して引き越さして貰う願
           
    • 明治三十二年九月十九日
      増井りん事情願(増井りん以前神様のおさしづより教長の御許しを受け別席も運び居られ本部員同様というおさしづもありますが、教長より本部員の辞令を受け居らず、たゞ詰所で札を掛けたるだけにて本部員の辞令交付の事御願いすべきや伺)
           
    • 明治三十二年十月十三日
      増野正兵衞日本橋分教会出張御許し願
           
    • 明治三十二年十一月十五日
      飯降政甚新建家へ移るの願
           
    • 明治三十二年十二月七日
      清水与之助本部へ常詰の事に付心得まで願(先のおさしづなり又以前のおさしづより思案致しますと兵神分教会長を副会長富田伝次郎へ譲りまして、本部へ常詰致した方が宜しき事と思いますが、この事取り違い致してはなりませんから心得まで願)
           
    • 明治三十二年十二月二十四日
      村田幸助四十八才身上願
           
    • 明治三十二年四月二日
      杉本ふよ七十二才身上願
           
    • 明治三十二年六月三日
      加見兵四郎伜秀二郎身上願
           
    • 明治三十二年九月十二日
      岩朝脇次郎四十九才歯痛みに付願
           
    • 明治三十二年十月二十六日
      高橋直秀六十才身上願
           
    • 明治三十二年一月二十七日
      桝井おさめ胸つかえせつのうなるに付願
           
    • 明治三十二年二月二十七日
      西浦弥平身上願
           
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