明治三十九年五月一日
上田ナライト身上に付先般おさしづ頂き、その中に『今日は気分悪いと言う、今日一日代わろうという日を待ち兼ねて居る。日々に運び足らんから尋ねにゃならん日になりたる』という御言葉御座りますが、如何の事でありますか願明治三十九年十一月二十七日
寺田半兵衞六十七才身上願明治三十九年五月三日
北部内豊岡支教会長妻木岡りゑ五十九才身上願明治三十九年十一月二十八日
旭日支教会長岡本善六辞職に付、山沢為造後会長に御許し願明治三十九年五月八日 朝
敷島分教会長山田伊八郎孫身上願(御運び下されるか申し上げしに付)明治三十九年十一月二十九日
日本橋分教会事情のため一同治まらずに付、本部より監督員として増野正兵衞暫時出張する願明治三十九年五月二十日 夜九時頃
前おさしづを本部員集会の上協議三日なし、上田ナライトの住居飯降裏手に些少なる建物新築を教長へ御願をなし、当分新築せざる事を内務主務局長へ書面を出したるにより建築は出来ぬ、色々協議をなし、中南元に教祖初め本席の御住居遊ばされし所へ教長の承諾下され、その旨本席へ申し上げし処、神様御出まし御話あり明治三十九年十二月六日
本部旧正月節会の事に付一同会議の上、以前通り五日は村内六日七日八日の三日間は信徒だけにして、凡そ三分は鏡餅として御供え、七分は堅物にして分支教会より御供え、それを以て世界たすけの事にさして頂き度く願明治三十九年五月二十一日
上田ナライト中南にて仮住居取り決め度くに付願明治三十九年十二月十三日
河原町分教会の教祖赤衣、裁判所より帰りましたら、本部より行って治めますものか願明治三十九年五月二十六日
先日の御言葉に二名という処、飯降政甚の件に付、二箇年間品行を見定める事に付願明治三十九年十二月二十三日
井筒五三郎子息貞彦身上願明治三十九年五月二十八日
本席俄かに身上御障りにて刻限の御話明治三十九年一月十二日
梅崎梅吉五十二才身上願(釜山港西町三丁目)明治三十九年六月一日
平野楢蔵昨夜三時より俄かに腹痛に付願明治三十九年四月二十六日
佐々木兼太郎三女芳十八才大谷金太郎次男幸嗣二十一才佐々木の方へ養子に貰い受け結婚御許しの願(高知部内高岡支教会長佐々木、浜田支教会前会長大谷)明治三十九年一月十二日
土佐卯之助長女タツノ二十二才天満勝造三男敏一二十二才結婚事情心得のため願明治三十九年六月二十二日
上田ナライト中南の方へ移住に付誰か付き添いの処願明治三十九年十月十七日
松谷捨松長男種吉十五才身上願明治三十九年一月十五日
上田ナライト四十三才身上願明治三十九年七月七日
山本コマツ長女しげの二十二才敷島分教会役員才賀志市松次男大松二十一才結婚願明治三十九年十一月十四日
塩田弥助五十才身上願(南紀支教会部内波切出張所担任)明治三十九年一月二十八日
節会の件に付願(村方の扱い方、以前は午前十時より男女子供に十二時より棟役招待致し、昨年は時局のため鏡餅料として金十五円酒一樽遣わし、当年より改めて棟役一人限りに致してと相談ありますが、いかにして宜しきや願)明治三十九年七月十一日
梶本宗太郎二十七才山沢サヨ十九才結婚願明治三十九年十二月二十五日
永尾たつゑ陰暦十一月二十五日結婚式執行の願明治三十九年二月十三日(陰暦正月二十日)
増野おとも十三才足の痛みに付願明治三十九年八月十七日
増井丑松養子幾次郎十七才身上願明治三十九年三月九日
甲賀山田太右衞門次女ます二十才山田初造弟音松二十六才と結婚願明治三十九年十月十日
永尾よしゑ長女たつゑ、辻市太郎次男留治郎二十六才縁談事情心得まで願明治三十九年三月二十二日
招魂祭十年祭の時には奈良県だけ致しましたが、この度は四師団全部招待致しましたらと相談でありますから、如何の事に致して宜しきや願明治三十九年十月十日 夜
永尾たつゑ縁談御許し願明治三十九年三月二十八日
南紀支教会長下村賢三郎六十二才身上願明治三十九年十一月二十日
上田民蔵長男安次良二十八才梅谷四郎兵衞次女とみゑ縁談事情願明治三十九年四月二十四日
湖東分教会長佐治登喜治良長女つたゑ二十五才林吉三郎三十二才と結婚願明治三十九年十一月二十六日
北分教会移転の予定を以て、大阪府東成郡生野村大字国府字菰田四三八番地の一より六筆の地所坪数一千九百六十九坪を買い受け度く、御許し願