天理教の本部がある奈良県天理市には、おやさとやかたと呼ばれる独特な建物があります。
この建物は5階から8階建ての建築物で、天理市には複数棟立っています。
おやさとやかたの使用用途はさまざまで、病院「憩いの家」、や学校「天理教校学園高校」「天理大学」、参考館「天理参考館」など、天理教の関連のある施設として使われています。
目次
おやさとやかた構想
「おやさとやかた」は、教祖(おやさま)が
「今に、ここら辺り一面に、家が建て詰むのやで。奈良、初瀬七里の間は家が建て続き、一里四方は宿屋で詰まる程に。屋敷の中は、八町四方と成るのやで。」
(『稿本天理教教祖伝逸話篇』八町四方)
と仰せられたのに基づいて、
「神のやかたであるところの元のぢば、その元のぢばを取り囲む子供の住居たるおやさとやかたをめぐらしまして、ここに親も子も共々に、神も人も共々に一つ心になって、陽気ぐらしの実を、否、世界の平和の雛型を進めて行き度い」
(『真柱訓話集』第15巻806頁)
という構想と決意のもとに建てられている建物です。
初瀬とは奈良県桜井市の地名の事。
一里が日本では約3.9kmに相当するので、七里とは27.3km。
天理教教会本部がある三島町から桜井市方面へ約27.3kmまでと考えると、吉野の方までと考えられます。
道のり次第で、家が建て続くかどうかが違ってくるのでこれにつていは確かか分かりません。
一方、八町四方が宿屋で詰まる程には、一町が約110メートルなので、八町で880メートルほど。
現在では、天理教の神殿周辺から880メートル圏内での宿泊施設はおやさとやかた以外には見当たらない。
おやさとやかたは、昭和29年(1954年)から着工され、現在の建物は、教義研究や信者の教化教育、福祉と医療、学校教育、あるいは信者の修行、教庁などの諸施設として使用されている。
おやさとやかたの建築年・建築順
建築年 | 用途 |
1955 | 教義及び資料集成部、天理教音案研究会、天理教校本課 |
1955 | 別席場 |
1955 | 別席場 |
1955 | 別席場、修養科棟 |
1955 | 別席場、修養科棟 |
1962 | 修養科棟 |
1965 | 天理大学 |
1965 | 憩いの家 |
1965 | 憩いの家 |
1967 | 天理大学 |
1969 | 天理小学校 |
1970 | 郡山大教会詰所、中河大教会詰所 |
1972 | 天理教校專修科 |
1975 | 天理教教厅 |
1975 | 嶽東大教会詰所、鹿島大教会詰所 |
1975 | 高知大教会所 |
1979 | 教会長任命講習会および資格認定講習会 |
1980 | 敷島大教会詰所 |
1981 | 南海大教会詰所 |
1983 | 憩いの家 |
1985 | 高安大教会所 |
1992 | 学校本部、一れつ会、少年会本部、学生担当委員会、学生会 |
1993 | 天理教校学園高等学校 |
1993 | 天理教校学園高等学校 |
2000 | 天理参考館 |
2005 | 天理教基礎講座、研修室、展示コーナー、映像ホール、陽市ホール、南右第二棟企画課 |
おやさとやかたの利用状況
・真東棟(地上6階地下1階)
教義及史料集成部、天理教音楽研究会、天理教校本科
・東右第1棟(地上5階地下1階)
天理教校専修科・第二専修科
・東右第4棟(地上5階地下2階)
教会長任命講習会、教会長資格検定講習会
・東左第1棟(地上5階地下1階)
別席場、天理参考館
・東左第2棟(地上5階地下1階)
別席場、天理参考館
・東左第3棟(地上5階地下1階)
別席場、修養科、天理参考館
・東左第4棟(地上5階地下2階)
別席場、修養科、天理参考館
・東左第5棟(地上5階地下2階)
修養科
・西右第2棟(地上8階地下1階)
天理よろづ相談所「憩の家」
・西右第3棟(地上8階地下1階)
天理よろづ相談所「憩の家」
・西右第4棟(地上8階地下2階)
天理よろづ相談所「憩の家」
・西右第5棟(地上8階地下2階)
信者修行所(南海大教会)
・西右第8棟・乾隅棟(地上8階地下1階)
天理教校学園、天理教校附属高校
・西左第3棟(地上8階地下1階)
信者修行所(高知大教会)
・西左第4棟(地上8階地下1階)
信者修行所(郡山大教会、中河大教会)
・西左第5棟(地上8階地下1階)
信者修行所(敷島大教会)
・真南棟(地上6階)
学校本部、一れつ会、少年会本部、学生事務局(学生会、学生担当委員会)
・南右第3棟(地上7階地下2階)
信者修行所(高安大教会)
・南左第1棟(地上5階地下2階)
天理教教庁
・南左第2棟(地上5階地下2階)
天理小学校
・南左第3棟(地上5階地下2階)
天理大学
・南左第4棟(地上5階山下2階)
天理大学
・北左第4棟(地上7階地下2階)
信者修行所(嶽東大教会、鹿島大教会)
・北左第8棟・乾隅棟(地上8階地下1階)
天理教校親里高校
八町四方(はっちょうしほう)
教祖(おやさま)が、おやしきの将来について予言した言葉。
ある時、教祖は、中南の門屋にあった居間の南の窓から、竹藪や田圃ばかりの続く外の景色を眺めておられたが、ふと側の人々に向かい、
「今に、ここら辺り一面に、家が建て詰むのやで。奈良、初瀬七里の間は家が建て続き、一里四方は宿屋で詰まる程に。屋敷の中は、八町四方と成るのやで。」
(『稿本天理教教祖伝逸話篇』八町四方)
と言われたと伝えられている。「おさしづ」にも、
「小さい事思てはならん。年限だんへ重なれば、八町四方に成る事分からん。」
(おさしづ明治27年11月17日)
とあります。
おやさとやかたの規模は、こうしたお言葉にもとづいています。