みかぐらうた「十下り目」の意味と現代語訳|原文つきで詳しく解説
十下り目では、病の根や難儀の元を心から見つめ直し、心を澄ませることの意味が歌われます。
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- 十下り目の全体の意味
- 十下り目1つの原文と現代語訳
- みかぐらうた「十下り目1つ」の現代語訳と意味
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このページで解説する歌
十下り目の全体の意味
十下り目では、病の根や難儀の元を心から見つめ直し、心を澄ませることの意味が歌われます。
十下り目1つの原文と現代語訳
原文
一ッ ひとのこゝろといふものハ
ちよとにわからんものなるぞ
現代語訳
人間の心というものは、親神様の深い親心や思召しを、ちょっと聞いただけではなかなか理解し、悟ることができないものです。それは、人間創造以来の長年の勝手気ままな心遣いによって、心にほこりが積もり、泥水のように濁ってしまっているからです。
短い意味
「人間の心というものは、長年の勝手気ままな心遣いによってほこりが溜まり、親神様の深い思召しをすぐには悟ることができないものである」という、人間の心のありようを教えるお歌です。
みかぐらうた「十下り目1つ」の現代語訳と意味
みかぐらうた「十下り目」の第1首「一ッ ひとのこゝろといふものハ ちよとにわからんものなるぞ」は、人間が親神様の思召しを理解することの難しさと、その原因である「心のほこり」について教え諭されるお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、天理教における心の掃除の重要性を深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- ひとのこゝろ(人の心):人間一人ひとりが自由に使うことを許されている心のことですが、ここでは長年の勝手気ままな心遣いによって、ほこりが積もってしまっている状態を指しています。
- ちよとにわからん(一寸に分からん):少し聞いたくらいでは、あるいは容易には理解できない、という意味です。心にほこりが積もり、泥水のように濁っているため、親神様の真意やたすけの親心がすぐには悟れない人間の現状を指摘しています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「十下り目1つ」を通して、私たちは自身の心の濁りと、親神様の教えを悟る難しさを学びます。
- 自分自身の心でありながら、長年の癖やほこりによって、真実(親神様の思召し)が見えなくなっているという教理
- 親神様の教えを「ちょっと」で分かったつもりになるのではなく、深く心に治める努力が必要であること
- 次のお歌以降で展開される「泥水の掃除」や「身上(病)の元」を知るための前提として、まず人間の心の現状を自覚することの大切さ
十下り目2の原文と現代語訳
原文
二ッ ふしぎなたすけをしてゐれど
あらはれでるのがいまはじめ
現代語訳
親神様は、人間が気づかないところでもこれまでずっと不思議なたすけ(ご守護)を与え続けてこられました。しかし、人間それぞれの心遣いの善悪が、そのまま身上(病気)や事情(悩み)としてはっきりと目に見える形で現れ出るようになったのは、親神様が真実の教えを明かされた今が初めてのことなのです。
短い意味
「親神様はこれまでも不思議なたすけをしてこられましたが、人間の心遣いの善悪が身上や事情としてはっきりと現れ出るようになったのは、今が初めてである」というお歌です。
みかぐらうた「十下り目2」の現代語訳と意味
みかぐらうた「十下り目」の第2首「二ッ ふしぎなたすけをしてゐれど あらはれでるのがいまはじめ」は、親神様のご守護の歴史と、人間の心遣いがそのまま現実に現れるようになった時旬の到来を歌ったお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を深く学ぶことで、天理教において「心通りが現れる」という教えが持つ重要性を理解することができます。
重要キーワードの解釈
- ふしぎなたすけをしてゐれど(不思議な救けをして居れど):親神様は、これまでも人間に対して不思議なご守護やたすけを与え続けてこられた、という意味です。
- あらはれでるのが(現われ出るのが):人間の心遣いの善悪が、そのまま身上(病気)や事情としてはっきりと目に見える形で現れるようになることを指します。また、親神様ご自身がじきじきに表に現れて、自由自在なお働きを見せるという意味も含まれています。
- いまはじめ(今初め):これまで善も悪も同じように通ってきたものが、この度、親神様が真実の教えを明かされたことで、初めて心通りの結果が明確に現れるようになったという教理を示しています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「十下り目2」を通して、私たちは自らの心遣いが現実に及ぼす影響と、親神様のお働きについて学びます。
- 親神様は常に人間に対して不思議なご守護を与え続けておられるという確信
- 教えが明かされた「今」からは、一人ひとりの心遣いが身上や事情としてはっきりと現れ出る(心通りが現れる)ことへの気づき
- 次のお歌(三ッ)で諭される「水の中の泥(八つのほこり)」を早く出さなければならない理由が、この「心遣いがそのまま現れる」という点にあるという深い教え
十下り目3の原文と現代語訳
原文
三ッ みづのなかなるこのどろう
はやくいだしてもらひたい
現代語訳
親神様から授かった本来は清水のように澄み切っている心(水)の中に混じってしまった泥、すなわち自己中心的な「欲」や八つの「ほこり」。その心の泥を、一日も早くすっきりと掻き出してしまいたいものです。これは、親神様からの「早く心の泥を取り除きなさい」というお促しでもあり、人間側からの「どうか私の心の泥を取り除いてください」という強い願いでもあります。
短い意味
「人間の心という澄んだ水の中に混じってしまった泥、すなわち自己中心的な『欲』や『ほこり』の心を、早くすっきりと掻き出してしまいたい」という、心の掃除を促すお歌です。
みかぐらうた「十下り目3」の現代語訳と意味
みかぐらうた「十下り目」の第3首「三ッ みづのなかなるこのどろう はやくいだしてもらひたい」は、人間の心に溜まった「ほこり」を水の中の泥に例え、それを早く取り除くこと(心の掃除)の必要性を説くお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、身上(病気)や事情の根本原因を取り除くための心遣いについて深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- みづのなかなる(水の中なる):親神様から貸し与えられた、本来は清水のように澄み切っている人間の心を「水」に例えています。
- このどろう(この泥う):澄んだ心を濁らせてしまう「泥」、すなわち自己中心的な欲や「八つのほこり」のことです。前首(二ッ)で示されたように、この心の泥が身上(病)や事情としてはっきりと現れてきます。
- はやくいだしてもらひたい(早く出してもらいたい):この泥を早く掻き出してしまいたい、という意味です。親神様が人間に対して「早く心の泥を取り除きなさい」と促しているお言葉とも、人間が親神様に対して「どうか私の心の泥を掻き出してください」と請願している言葉とも解釈されます。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「十下り目3」を通して、私たちは病の元となる心の濁りと、その掃除の重要性を学びます。
- 人間の本来の心は澄み切った水のようなものであり、欲やほこりがそれを濁らせる泥であるという教理
- 心に溜まった泥(ほこり)に自ら気づき、一日も早く胸の内を反省し(さんげし)て取り除くことの大切さ
- 次のお歌(四ッ)で説かれる「欲にきりない泥水」への戒めと、心が澄み切ることで極楽(陽気ぐらし)に至るという教えに向かうための前提となること
十下り目4の原文と現代語訳
原文
四ッ よくにきりないどろみづや
こゝろすみきれごくらくや
現代語訳
人間の自己中心的な「欲」には際限がなく、それはまるで泥水のように心を濁らせ、苦しみや悩みの原因となります。しかし、その欲という心の泥をきっぱりと取り去り、心を清水のようにすっきりと澄み切らせたならば、今生きているこの現実世界がそのまま、極楽ともいうべき「楽しみづくめの陽気ぐらしの世界」になるのです。
短い意味
「際限のない自己中心的な『欲』の心は、泥水のように心を濁らせます。その泥をきっぱりと払って心を澄み切らせれば、この世は極楽になる」という、心の掃除がもたらす陽気ぐらしの境地を教えるお歌です。
みかぐらうた「十下り目4」の現代語訳と意味
みかぐらうた「十下り目」の第4首「四ッ よくにきりないどろみづや こゝろすみきれごくらくや」は、際限のない欲望を泥水に例え、心を澄み切らせることでこの世が極楽(陽気ぐらしの世界)になることを教えるお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、天理教における心の掃除の目的と、理想世界のあり方について深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- よくにきりないどろみづや(欲に切り無い泥水や):人間の自己中心的な「欲」には際限がないことを指摘しています。欲の心を使っている間は、心が泥水のように濁って真実が見えず、無明暗闇の中で次々と災いや苦しみ(身上・事情)を引き起こす原因となるという教理を示しています。
- こゝろすみきれごくらくや(心澄み切れ極楽や):欲という心の泥を払い、心が清水のように澄み切ったならば、難儀苦しみの世界と思われていたこの世が、そのまま楽しみづくめの極楽になるという意味です。天理教における「極楽」とは、死後の世界にあるのではなく、人間の心が澄み切った結果として現実のこの世に現れる「陽気ぐらしの世界」を指しています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「十下り目4」を通して、私たちは欲を捨てることと陽気ぐらしの関係性について学びます。
- 際限のない欲求が心を濁らせ、人生の苦しみを生み出していることへの深い自覚
- 心の泥(欲やほこり)を取り去り、澄み切らせることこそが、真の幸せに至る唯一の道であるという確信
- 心が澄み切ることで、今生きているこの現実世界が極楽(陽気ぐらしの理想世界)へと変わるという、本教が目指す究極の境地
十下り目5の原文と現代語訳
原文
五ツ いつ/\までもこのことハ
はなしのたねになるほどに
現代語訳
欲の泥を取り去って心を澄み切らせ、この世で極楽(陽気ぐらし)を味わうというこの素晴らしい体験(この事)は。あなた自身の喜びにとどまらず、この先いついつまでも、末代にわたって人々を救うための「話の種(人だすけの材料)」として語り継がれていくようになるのです。
短い意味
「心を澄み切らせて陽気ぐらしを味わうという素晴らしい体験は、この先いついつまでも、人だすけの『話の種』として語り継がれていくのです」という、たすけ一条の道の広がりを教えるお歌です。
みかぐらうた「十下り目5」の現代語訳と意味
みかぐらうた「十下り目」の第5首「五ツ いつ/\までもこのことハ はなしのたねになるほどに」は、心を澄み切らせてご守護をいただく体験が、未来永劫にわたって人だすけの材料となることを教えるお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、天理教における信仰の喜びが、どのように世界へと広がっていくのかを深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- いつ/\までも(いついつまでも):この先ずっと、生涯末代までも、という意味です。親神様の教えや、ご守護をいただいた喜びが、世代を超えて永遠に受け継がれていくことを示しています。
- このことハ(この事は):前首(三ッ、四ッ)で教えられた「心の泥(欲やほこり)を取り去り、心を澄み切らせて極楽(陽気ぐらし)を味わう」という一連の体験や実践を指しています。また、親神様がこの世の表に現れて、胸の掃除の道を教えられたこと自体も意味しています。
- はなしのたねになるほどに(話の種になる程に):自分がいただいた信仰の喜びや不思議なご守護の体験が、そのまま他の人を救うための「おたすけの話の材料」になる、という意味です。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「十下り目5」を通して、私たちは信仰体験を語り伝えること(匂いがけ・おたすけ)の尊さを学びます。
- 心を澄み切らせて陽気ぐらしの喜びを味わう体験は、自分一人のものではなく、他者をたすける力になるという教理
- 親神様の教えとご守護の体験が「話の種」となり、末代までも語り継がれていくという確信
- 次のお歌(六ッ)で示される「むごい言葉を出す」という親神様の厳しいお諭しも、すべては早くこの「話の種」となるような喜びを味わわせたいという親心からきていること
十下り目6の原文と現代語訳
原文
六ッ むごいことばをだしたるも
はやくたすけをいそぐから
現代語訳
親神様が、人間からすれば「むごい(残酷だ、厳しい)」と感じられるような手厳しい言葉をかけたり、身上(病気)や事情を通して厳しいおさとしをされたりすることがあります。しかしそれは決して人間を憎んだり罰したりするためではありません。可愛い子供である人間を一刻も早く陽気ぐらしへと導きたい、一日も早くたすけたいと急き込む親神様の深い愛情からの手引きなのです。
短い意味
「神様が時として厳しい言葉をかけたり、厳しい身上や事情を見せたりするのは、決して人間を苦しめるためではありません。一刻も早く心のほこりを払わせ、たすけたいと急ぐ深い親心からなのです」というお歌です。
みかぐらうた「十下り目6」の現代語訳と意味
みかぐらうた「十下り目」の第6首「六ッ むごいことばをだしたるも はやくたすけをいそぐから」は、親神様からの厳しいおさとしの背後にある、深い親心とたすけを急ぐ思いを説いたお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、身上(病気)や事情(悩み)に対する天理教ならではの捉え方、親神様のお働きについて深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- むごいことばをだしたるも(酷い言葉を出したるも):「むごい」とは、残酷な、ひどい、厳しいという意味です。親神様が直接かけられる手厳しいお言葉だけでなく、人間にとって辛く厳しい身上(病気)や事情などの「おてびき(手引き)」や「お手入れ」全般を含んでいます。人間から見れば悲惨で厳しく感じられる出来事も、親神様からの言葉(メッセージ)なのです。
- はやくたすけをいそぐから(早く救けを急ぐから):親神様が厳しい姿を見せるのは、決して人間を苦しめるためでも、罰を与えるためでもありません。一日も早く人間に心の泥(八つのほこり)を掃除させ、真のたすけ(陽気ぐらし)を与えたいと急き込んでいる深い愛情(親心)から出たものだという教理を示しています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「十下り目6」を通して、私たちは困難や苦難に対する信仰的な受け止め方を学びます。
- 親神様からの手厳しいおさとしや厳しい身上・事情は、一刻も早くたすけたいという親心の表れであること
- 目先の苦しみにとらわれず、その奥にある親神様の「たすけを急ぐ深い思い」を悟る姿勢の大切さ
- 次のお歌(七ッ)で示される「難儀するのも心から」という教えに向かう、自己反省(さんげ)と心の入れ替えの強い促し
十下り目7の原文と現代語訳
原文
七ッ なんぎするのもこゝろから
わがみうらみであるほどに
現代語訳
病気(身上)や悩み(事情)などで難儀し、苦しむことがあったとしても、それは決して他人のせいではありません。すべてはあなた自身のこれまでの心遣い(思い違いや通り違い)から起こってきたことなのです。ですから、他人や周囲を恨むのではなく、自分自身の心のあり方を恨み、しっかりと胸の内を反省(さんげ)しなさい。
短い意味
「身上や事情で難儀するのも、すべては自分自身の心遣いが原因です。ですから、他人を恨むのではなく、我が身を振り返ってしっかりと反省しなさい」という、自己反省を促すお歌です。
みかぐらうた「十下り目7」の現代語訳と意味
みかぐらうた「十下り目」の第7首「七ッ なんぎするのもこゝろから わがみうらみであるほどに」は、私たちが直面する苦難や病の原因が自らの心にあることを説き、他者を恨むのではなく自己反省を促すお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、身上(病気)や事情(悩み)に対する天理教ならではの信仰的な受け止め方を深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- なんぎするのもこゝろから(難儀するのも心から):病気や悩みなどの「難儀」は、決して偶然や他人のせいではなく、すべて自分自身のこれまでの心遣い(思い違いや通り違い、八つのほこり)から起こってくるという教理を示しています。
- わがみうらみであるほどに(我が身恨みであるほどに):難儀に直面したとき、他人や環境を恨んではならないという戒めです。もし恨むのであれば、間違った心遣いをしてきた「我が身(自分自身)」を恨み、自らの胸の内を深く反省(さんげ)しなさいという意味が込められています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「十下り目7」を通して、私たちは苦難に直面した際の正しい心のあり方を学びます。
- 身上や事情の難儀は、すべて自分自身の心遣いの結果(心通り)として現れるという徹底した自己責任の教理
- 困難に出遭ったとき、他人を恨むのではなく、自らの心を振り返り反省(さんげ)することの重要性
- 次のお歌(八ッ)で示される「病はつらいものなれど もとを知りたる者はない」という、病の根本原因(心)へのさらなる気づきへと繋がる重要なステップであること
十下り目8の原文と現代語訳
原文
八ッ やまひはつらいものなれど
もとをしりたるものハない
現代語訳
病気(身上)で苦しむことは、人間にとって非常につらく苦しいものです。しかし、世間の人々はなぜ病気になるのか、そのつらい病気の根本的な原因(元)がどこにあるのかを、はっきりと知っている者はまだ誰もいないのです。
短い意味
「病気というものは非常につらいものですが、その病の根本的な原因を本当に知っている者は一人もいません」という、病の真の原因への気づきを促すお歌です。
みかぐらうた「十下り目8」の現代語訳と意味
みかぐらうた「十下り目」の第8首「八ッ やまひはつらいものなれど もとをしりたるものハない」は、人間にとってつらい病気(身上)の根本原因について、世間の人々がまだ気づいていないことを指摘するお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、病や苦難に対する天理教ならではの捉え方を深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- やまひはつらいものなれど(病は辛いものなれど):病気(身上)で苦しむことは、人間にとって苦患であり、非常につらいものであるという現状を親神様が温かく受け止めてくださっています。前首(七ッ)で示された様々な「難儀」の中でも、特に身の痛みや病のつらさを指しています。
- もとをしりたるものハない(元を知りたる者は無い):それほどつらい病気であるにもかかわらず、人間は目に見える症状や表面的な理由(食べ物や環境など)にとらわれ、その病気がなぜ起こったのかという「真の原因(元)」を知っている者は一人もいない、という教理を示しています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「十下り目8」を通して、私たちは病の元(原因)を探求することの重要性を学びます。
- 病気はただ身体の不調というだけでなく、その奥に必ず目に見えない根本的な原因(元)があるという気づき
- 世間の知識や常識では知り得ない「病の元」を、親神様がこの道において明かそうとされていること
- 次のお歌(九ッ、十ド)で明かされる「病の元は心から」という本教の核心的な教えへと向かう、自己探求の重要な前段階であること
十下り目9の原文と現代語訳
原文
九ッ このたびまでハいちれつに
やまひのもとハしれなんだ
現代語訳
この度、親神様がこの世の表に現れて、真実のたすけの道筋を明かしてくださるまでは。世界中のすべての人々(一列)は、なぜ病になるのかという、病気の根本的な原因(元)を知ることができないでいたのです。
短い意味
「この度、親神様が真実の教えを明かしてくださるまでは、世界中の誰も、病気の根本的な原因(元)を知らないでいました」という、人間が病の真の原因を知らなかったことを指摘するお歌です。
みかぐらうた「十下り目9」の現代語訳と意味
みかぐらうた「十下り目」の第9首「九ッ このたびまでハいちれつに やまひのもとハしれなんだ」は、親神様が教えを説き明かすまで、人間は誰も病の根本的な原因を知らずにいたことを示すお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、天理教において身上(病気)の元がどのように教えられたのかを深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- このたびまでハいちれつに(この度までは一列に):親神様が教祖(おやさま)をやしろとしてこの世の表に現れ、真実の教えを明かされる「この度」までは、世界中のすべての人間(一列)が、という意味です。
- やまひのもとハしれなんだ(病の元は知れなんだ):病気の本当の原因を知ることができなかった、という意味です。前首(八ッ)で「もとをしりたるものハない」と指摘されたように、人間の浅知恵では身上(病気)の根本原因に辿り着くことができなかったという現状を示しています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「十下り目9」を通して、私たちは親神様による真実の啓示の尊さを学びます。
- 親神様が教えを明かされるまでは、人類の誰も病の本当の元(原因)を知り得なかったという事実への気づき
- 病を単なる身体の不調として捉えるのではなく、見えない「元」を探求する姿勢の重要性
- 次のお歌(十ド)でついに明かされる「やまひのもとハこゝろから」という核心的な教理に向けた、重要な前段階であること
十下り目10の原文と現代語訳
原文
十ド このたびあらはれた
やまひのもとハこゝろから
現代語訳
とうとうこの度、親神様がこの世の表に現れて教えを説き明かされたことにより、あるいは一人ひとりの心遣いが身上(病気)としてはっきりと現れるようになったことにより。これまで世界中の誰も知らなかった「病気の根本的な原因(元)は、自分自身の心にある」という真実が、ついに明らかになったのです。
短い意味
「とうとうこの度、親神様によって、これまで誰も知らなかった『病の根本原因は人間の心にある』という真実が明らかになりました」という、病の元が心にあることを教えるお歌です。
みかぐらうた「十下り目10」の現代語訳と意味
みかぐらうた「十下り目」の最後を締めくくる第10首「十ド このたびあらはれた やまひのもとハこゝろから」は、親神様によってついに「病の元」が人間の心にあることが明かされたことを教えるお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、天理教における身上(病気)の捉え方と、心遣いの重要性を深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- このたびあらはれた(この度現れた):「この度」とは、親神様が教祖(おやさま)をやしろとしてこの世の表に現れ、真実の教えを明かされた時旬を指します。また、一人ひとりの心遣いの結果が、身上(病気)や事情としてはっきりと目に見える形(心通り)で現れ出たことを意味しています。
- やまひのもとハこゝろから(病の元は心から):前首(八ッ、九ッ)で「誰も病の元を知らない」と指摘されたことへの答えです。病気というものは単なる肉体の不調ではなく、自己中心的な欲や八つの「ほこり」といった、自分自身の心遣い(思い違い)が根本的な原因となって起こってくるという、本教の核心的な教理を示しています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「十下り目10」を通して、私たちは病と心との深い関係性について学びます。
- 病気は決して偶然や他人のせいではなく、自らの心遣いの間違いを知らせる親神様からの「おてびき」であるという気づき
- 「病の元は心にある」と自覚し、我が身を振り返って心のほこりを掃除(自己反省・さんげ)することの重要性
- 十下り目全体を通して教えられる「心の泥(欲)」を出す掃除を実践することで、澄み切った陽気ぐらしの境地へと向かうことができるという教え

