みかぐらうた「九下り目」の意味と現代語訳|原文つきで詳しく解説
九下り目では、世界たすけへ向かう親神様の思いと、欲を離れ、心を定めて進むことが示されます。
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- 九下り目の全体の意味
- 九下り目1つの原文と現代語訳
- みかぐらうた「九下り目1つ」の現代語訳と意味
- 九下り目2の原文と現代語訳
- みかぐらうた「九下り目2」の現代語訳と意味
- 九下り目3の原文と現代語訳
- みかぐらうた「九下り目3」の現代語訳と意味
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このページで解説する歌
九下り目の全体の意味
九下り目では、世界たすけへ向かう親神様の思いと、欲を離れ、心を定めて進むことが示されます。
九下り目1つの原文と現代語訳
原文
一ッ ひろいせかいをうちまわり
一せん二せんでたすけゆく
現代語訳
親神様のたすけ一条の心を持った働き手(よふぼく)が、あるいは親神様ご自身が、この広い世界のあちこちを勢いよく巡り回ります。一銭、二銭というわずかなお供え(報謝・寄進)であっても、あるいは一洗、二洗と人々の心のほこりを繰り返し洗い清めながら、世界中の人々をおたすけして歩くのです。
短い意味
「広い世界をあちこちと巡り歩き、わずかなお供えであっても、あるいは人の心を一度二度と洗い清めながら、おたすけをして回るのである」という、世界たすけへの歩みを歌ったお歌です。
みかぐらうた「九下り目1つ」の現代語訳と意味
みかぐらうた「九下り目」の第1首「一ッ ひろいせかいをうちまわり 一せん二せんでたすけゆく」は、広い世界へとたすけ一条の歩みを進めていく姿を歌ったお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を深く学ぶことで、天理教における「匂いがけ・おたすけ」の実践と親神様の親心について理解することができます。
重要キーワードの解釈
- ひろいせかいをうちまわり:大和(おぢば)にとどまらず、広い世界のあちこちを巡り歩くことです。「うちまわり」には、勢いよくあちこちを巡回するという意味や、陽気に手を打って回るという意味が込められています。
- 一せん二せん(一銭二銭・一洗二洗):この言葉には複数の解釈があります。一つは「一銭、二銭」というわずかな報謝(お供えや寄進)であっても、私欲を忘れてたすけに歩く姿を表すという解釈です。もう一つは「一洗、二洗」として、一度、二度とお話を取り次ぎ、人々の心のほこりを根気よく繰り返し洗い清めてたすけるという意味です。いずれも、たすけ一条の誠真実の行いを表しています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「九下り目1つ」を通して、私たちは自ら足を運んでたすけに歩く信仰の実践について学びます。
- ぢば(お屋敷)にとどまるだけでなく、広い世界へ向かって自ら進んでたすけに歩く(匂いがけ・おたすけ)ことの重要性
- 私欲を捨て、わずかな報謝であっても誠の心を尽くしてたすけ一条に歩む姿勢
- 人々の心を根気よく洗い清め(一洗二洗)、陽気ぐらしへと導く親神様の親心とよふぼく(信仰者)の使命
九下り目2の原文と現代語訳
原文
二ッ ふじゆうなきやうにしてやらう
かみのこゝろにもたれつけ
現代語訳
親神様は、可愛い子供である人間が身上(病気)や事情(悩み)で苦しむことがないよう、一切の難儀不自由を救け、陽気ぐらしをさせてやろうという親心で満ちあふれています。ですから、人間心であれこれと思い悩むのではなく、どのような時も安心して親神様の親心にしっかりと寄りかかり、もたれきって通りなさい。
短い意味
「親神様は、皆が身上事情で難儀不自由しないように救けてやろうと仰せです。安心して、しっかりと親神様のお心にもたれきって通りなさい」という、神様への全託を促すお歌です。
みかぐらうた「九下り目2」の現代語訳と意味
みかぐらうた「九下り目」の第2首「二ッ ふじゆうなきやうにしてやらう かみのこゝろにもたれつけ」は、親神様の絶対的なご守護を信じ、心から寄りかかって信仰の歩みを進めることを促すお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を深く学ぶことで、天理教における「神にもたれる」という信仰姿勢の重要性を理解することができます。
重要キーワードの解釈
- ふじゆうなきやうにしてやらう(不自由なきようにしてやろう):親神様が、身上(病気)や事情(生活の苦難)などの難儀不自由を取り除き、一切の苦しみがないように救けてやろうという、力強い親心の表れです。
- かみのこゝろにもたれつけ(神の心にもたれつけ):親神様の深い親心と自由自在なお働きを完全に信じきり、人間心による心配や思案を捨てて、神様にすべてを委ねる(もたれきる)ことを意味しています。安心しきって信仰の道を進むことが求められています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「九下り目2」を通して、私たちは親神様への全託と安心の境地について学びます。
- 親神様は常に人間を救け、難儀不自由のない陽気ぐらしをさせたいと願っておられること
- その豊かなご守護をいただくためには、疑いや人間思案を捨てて、神様のお心にしっかりと「もたれつく」必要があること
- 次のお歌(三ッ)で示される、ご守護を妨げる「欲の心」を払う前提として、まずは神様への絶対的な信頼が不可欠であること
九下り目3の原文と現代語訳
原文
三ッ みれバせかいのこゝろにハ
よくがまじりてあるほどに
現代語訳
親神様が難儀不自由のないようにたすけてやろうと、世界中の人々の心の内を見渡してみれば。残念なことに、誰も彼も自己中心的な「欲」が混じってしまっており、心が濁っているのが現状なのです。
短い意味
「世界中をよく見渡してみれば、人々の心の中には自己中心的な『欲』が混じって濁っている」という、人間の心の現状を指摘し憂うお歌です。
みかぐらうた「九下り目3」の現代語訳と意味
みかぐらうた「九下り目」の第3首「三ッ みれバせかいのこゝろにハ よくがまじりてあるほどに」は、親神様が世界中の人々の心を深く見渡したとき、そこに自己中心的な「欲」が混じって濁っている現状を指摘されたお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、親神様のご守護をいただくための心遣いについて理解することができます。
重要キーワードの解釈
- みれバせかいのこゝろにハ(見れば世界の心には):親神様が世界中の人々の心の内を深く見渡してみれば、という意味です。親神様はすべての人間の心を見通されており、そのありのままの姿をご覧になっています。
- よくがまじりてあるほどに(欲が混じりてあるほどに):「欲」とは、天理教において八つのほこりの一つであり、自己中心的な欲求や執着を指します。前首(二ッ)で「不自由なきようにしてやろう」という親神様の温かい親心が示されましたが、現実の人間社会では、そのご守護を妨げる「欲」が人々の心に混じり、濁ってしまっていることを表しています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「九下り目3」を通して、私たちは自身の心の内を見つめ直す大切さを学びます。
- 親神様は人間をたすけたいと願っているにもかかわらず、人間の側が「欲」によって心を濁らせているという現状への気づき
- 「欲」が混じった心のままでは、親神様の澄み切った親心に繋がることができず、真のご守護をいただくことが難しいという教理
- 次のお歌(四ッ)で示される「欲があるならやめてくれ」という親神様の切実なお諭しへと続く、自己反省と心の掃除への促し
九下り目4の原文と現代語訳
原文
四ッ よくがあるならやめてくれ
かみのうけとりでけんから
現代語訳
もしあなたの心の中に、自己中心的な「欲」があるのなら、神様にたすけを願う前に、まずはその欲をきっぱりと捨て去ってください。なぜなら、親神様は人間の真実の心しか受け取ることができず、欲によって濁った心からの願いは、どうしても受け取ることができないからです。
短い意味
「心の中に自己中心的な『欲』があるのなら、きっぱりと捨て去りなさい。欲で濁った心では、親神様が受け取ることができないからです」という、欲を捨てることを促すお歌です。
みかぐらうた「九下り目4」の現代語訳と意味
みかぐらうた「九下り目」の第4首「四ッ よくがあるならやめてくれ かみのうけとりでけんから」は、親神様にたすけを願う前に、まずは八つのほこりの根本である「欲」を捨てるようにと促すお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、親神様のご守護をいただくための正しい心のあり方について深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- よくがあるならやめてくれ:心の中に自己中心的な「欲」があるのなら、神様にたすけを願う前にその欲を取り去ってくれ、という意味です。前首(三ッ)で指摘された人々の心に混じる「欲」に対する、親神様からの切実なお諭しです。
- かみのうけとりでけんから(神の受け取りできんから):親神様は人間の「誠真実の心」を受け取って自由自在なご守護をくださいますが、欲で濁った不純な心は受け取ることができない(ご守護のしようがない)、という教理を示しています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「九下り目4」を通して、私たちはご守護をいただくための心の条件について学びます。
- 親神様のたすけをいただくためには、まず自分自身の「欲」を捨て去る必要があること
- 神様は人間の真実の心のみを受け取られるため、欲が混じったままではご守護を頂けないという厳しい教理
- 次のお歌(五ツ)で示される「思案を定めてついてこい」という促しに向け、自己反省を通じて真実の心を定めていくための重要なステップであること
九下り目5の原文と現代語訳
原文
五ツ いづれのかたもおなじこと
しあんさだめてついてこい
現代語訳
親神様から見れば、世界中の人間は皆同じように可愛い子供であり、そこに一切の分け隔てや差別はありません。しかし、親神様のご支配は公平であるからこそ、皆がそれぞれ自分の胸の内に欲がないかよく思案し、反省しなければなりません。その上で、しっかりと誠真実の心を定めて、この信仰の道、たすけ一条の道に決心してついて来なさい。
短い意味
「世界中のどこの誰も皆、親神様にとっては同じ可愛い子供です。だから、それぞれがよく思案して心を定め、この信仰の道について来なさい」という、心定めを促すお歌です。
みかぐらうた「九下り目5」の現代語訳と意味
みかぐらうた「九下り目」の第5首「五ツ いづれのかたもおなじこと しあんさだめてついてこい」は、世界中のすべての人を平等に愛する親神様の親心と、それに応えるための人間の「心定め」の重要性を説いたお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、信仰の道に進む際の自発的な決意がいかに大切かを深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- いづれのかたも(何れの方も):世界中のどこの誰であっても、という意味です。「かた(方)」と丁寧に呼ぶことで、親神様が世界一列の人間を尊重し、可愛い子供として信頼してくださっている親心が表れています。
- おなじこと(同じ事):親神様の目から見れば皆同じ可愛い子供であり、差別や隔てがないことを示します。同時に、人間誰しも欲の心を持っているという点でも皆同じであり、親神様の天理(ご支配)も公平であるという教理を含んでいます。
- しあんさだめてついてこい(思案定めて随いて来い):前首(四ッ)で諭された「欲」について自分の胸に手を当ててよく熟慮(思案)し、誠真実の心をしっかりと決心(心定め)したうえで、神一条・たすけ一条の道について来なさい、という意味です。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「九下り目5」を通して、私たちは親神様の公平な愛と、揺るぎない信仰の決意について学びます。
- 親神様はすべての人間を平等に愛し、分け隔てなくたすけようとされていること
- ご守護をいただくためには、誰もが自らの心と向き合い、欲を反省する「思案」が必要であること
- ただ漠然と従うのではなく、自発的に心を定める(心定め)ことで、真の信仰の道へと力強く歩むことができるという教え
九下り目6の原文と現代語訳
原文
六ッ むりにでやうといふでない
こゝろさだめのつくまでハ
現代語訳
親神様は、無理に信仰の道へと出なさい(神様にたすけを願い出なさい)と強制しているのではありません。自分自身の心が本当に納得し、誠真実の心定めができるまでは、無理に行動する必要はないのです。信仰はあくまで一人ひとりの自発的な心から始まるものだからです。
短い意味
「親神様は、無理に信仰の道へ出なさいとは言われません。自分自身の心がしっかりと定まるまでは、じっくりと思案しなさい」という、自発的な信仰と心定めの大切さを教えるお歌です。
みかぐらうた「九下り目6」の現代語訳と意味
みかぐらうた「九下り目」の第6首「六ッ むりにでやうといふでない こゝろさだめのつくまでハ」は、信仰は決して他から強制されるものではなく、自らの自発的な決心に基づくべきであることを教えるお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、天理教における「心定め」の重要性を深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- むりにでやうといふでない:「無理に願い出ようと言うのではない」「無理に道に出なさいと言うのではない」という意味です。親神様は人間に信仰やたすけを求めることを強要することはありません。
- こゝろさだめのつくまでハ:自分自身でしっかりと「心定め(信仰への固い決意)」ができるまでは、という意味です。前首(五ツ)で「しあんさだめてついてこい」と諭されたように、まずは自らの心と向き合い、納得して心を定めることが求められています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「九下り目6」を通して、私たちは信仰の自発性と心作りの大切さを学びます。
- 信仰とは人から言われてするものではなく、自ら進んで心を定めてこそ真実の信仰となるという教理
- 心定めのつかないうちは無理に行動しなくてもよいという、人間の心の成長を待つ親神様の深い親心
- 次のお歌(七ッ)で示される、重大な時旬における「しっかりとした思案」へと向かうための準備段階であること
九下り目7の原文と現代語訳
原文
七ッ なか/\このたびいちれつに
しつかりしあんをせにやならん
現代語訳
今こそ、信仰の道において非常に重大な時旬(このたび)が到来しています。ですから、世界中のすべての人々(一列)は、自らの心のあり方を深く見つめ直し、誠真実の心を定めるために、十分にしっかりと思案(反省)をしなければならないのです。
短い意味
「今こそ大変重要な時旬であるから、世界中のすべての人々は、自らの心を深く見つめ直し、しっかりと思案しなければならない」という、自己反省と心定めを促すお歌です。
みかぐらうた「九下り目7」の現代語訳と意味
みかぐらうた「九下り目」の第7首「七ッ なか/\このたびいちれつに しつかりしあんをせにやならん」は、現在が重大な時旬であることを告げ、世界中の人々に深い思案と自己反省を促すお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、信仰の道を進む上で欠かせない「心の思案」の重要性を深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- なか/\このたび:「なか/\(中々)」は、すこぶる、大変な、という意味です。今が親神様にとって大変重大な「時旬」であることを表しています。また「なかなか(十分に)しっかり思案せよ」と後に続く言葉を強調する意味も含まれています。
- いちれつに(一列に):世界中のすべての人々が、皆等しく対象であることを意味しています。
- しつかりしあんをせにやならん:ただ頭で考えるだけでなく、これまでの心の使い方や前首までに諭された「欲」を深く反省(さんげ)し、親神様の思召を悟って誠真実の心を定めなければならないという強い促しです。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「九下り目7」を通して、私たちは重大な時旬における自己反省と心作りの大切さを学びます。
- 現在が親神様のお働きの上で大変重大な時旬であるという自覚を持つこと
- ただ無目的に信仰するのではなく、自らの心と深く向き合い、欲を反省する「しっかりとした思案」が不可欠であるという教理
- 前首(六ッ)で「心定めのつくまでは」と諭されたように、十分に思案を重ねて心を定めることが、真の信仰へと進む土台となること
九下り目8の原文と現代語訳
原文
八ッ やまのなかでもあちこちと
てんりわうのつとめする
現代語訳
山の中のような辺鄙な場所や、これまで全く親神様の教えが届いていなかった未信者の人々の中においても。今ではあちらこちらで「なむ天理王命」と神名を唱え、熱心におつとめ(おたすけのつとめ)を勤めるようになったのです。
短い意味
「これまで教えの届いていなかった山の中や未信者の間でも、あちらこちらと親神様(天理王命)の神名を唱えておつとめをするようになった」という、信仰の広がりを喜ぶお歌です。
みかぐらうた「九下り目8」の現代語訳と意味
みかぐらうた「九下り目」の第8首「八ッ やまのなかでもあちこちと てんりわうのつとめする」は、これまで教えが届いていなかった場所にも信仰が広がり、人々がおつとめを勤めるようになった姿を歌ったお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、天理教における教えの広がりと「おつとめ」の意義を深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- やまのなかでも(山の中でも):物理的な山間僻地や山奥を意味するだけでなく、これまで親神様の教えが全く届いていなかった未開拓の場所や、未信者の人々の中を指しています。
- あちこちと:大和(おぢば)だけでなく、あちらこちらで次第に信仰の輪が広がっている様子を表しています。
- てんりわうのつとめする(天理王のつとめする):「なむ天理王命」と神名を唱えて、おたすけのための「おつとめ」を熱心に勤めるようになったことを意味します。おぢばから遠く離れた場所でも、おつとめを通して親神様のご守護を頂けることが示されています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「九下り目8」を通して、私たちはお道の広がりと信仰の実践について学びます。
- 親神様のたすけ一条の教えが、今まで道のついていなかった場所(山の中)にも確実に広がっていくという確信
- どこに住んでいても「なむ天理王命」と神名を唱え、おつとめを勤めることで親神様と繋がり、おたすけの働きができるという教理
- 次のお歌(九ッ)で諭される「胸の分かりたものはない」という現状に向け、形だけのおつとめではなく、真に親神様の親心を理解して勤めることの重要性
九下り目9の原文と現代語訳
原文
九ッ こゝでつとめをしてゐれど
むねのわかりたものハない
現代語訳
あちらこちらの国々所々で熱心におつとめを勤めてはいるものの、まだ親神様の世界たすけという真意(胸の内)を本当に分かっている者は誰もいない。しかし、せっかく「なむ天理王命」と神名を唱えて信仰に励むのであるならば、一日も早く本元である「こもと(元のぢば・お屋敷)」へと帰ってきて、親神様の本当の思いを尋ね出なさい。
短い意味
「ここ(国々所々)でおつとめをしていても、神の真意を分かっている者はいない。せっかく神名を唱えて信仰するのなら、早く元のぢば(本元)へ尋ねておいで」という、おぢば帰りとお尋ねを促すお歌です。
みかぐらうた「九下り目9」の現代語訳と意味
みかぐらうた「九下り目」の第9首「九ッ こゝでつとめをしてゐれど むねのわかりたものハない / とてもかみなをよびだせば はやくこもとへたづねでよ」は、国々所々で信仰する人々に対し、本元である「おぢば」へ帰り、親神様の真意を尋ねることを促すお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、天理教における「おぢば帰り」の重要性を深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- こゝでつとめをしてゐれど:前首(八ッ)の「山の中でもあちこちと」を受け、「ここで(国々所々のそれぞれの場所で)おつとめをしているけれど」という意味です。
- むねのわかりたものハない:形だけのおつとめをしていても、親神様の世界たすけの思召(胸の内)を本当に理解し、心が澄み切っている者はまだいない、という親神様のもどかしさが表れています。手振りでは、閉じていた自我の心がつとめによって開かれ、親神の思召が悟れる姿を示します。
- とてもかみなをよびだせば:「とても」は「とはいっても」「せっかく〜するからには」という意味です。せっかく「なむ天理王命」と神名を唱え、たすけを求める信仰の道を歩んでいるのであるならば、という意味です。
- こもとへたづねでよ(こもとへ尋ね出よ):「こもと」とは本元、本家、すなわち親神様が鎮まる「元のぢば(お屋敷)」を指します。ぢばへ帰り、親神様の本当の教えを直接尋ねてきなさい、という親心からの呼びかけです。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「九下り目9」を通して、私たちはおぢばに帰って教えを求めることの大切さを学びます。
- 形だけのおつとめや信仰にとどまらず、親神様の真意(胸の内)を深く理解しようとする姿勢が求められていること
- 信仰の歩みを進める中で、疑問や迷いが生じたときは、本元である「こもと(ぢば)」に帰って教えを尋ねることの大切さ
- 次のお歌(十下り目)以降へ続く、自らの心と向き合い、根本的な病や悩みの元を知るための「おぢば帰り」の促し
九下り目10の原文と現代語訳
原文
とてもかみなをよびだせば
はやくこもとへたづねでよ
現代語訳
あちらこちらでおつとめをしていても、神の真意はなかなか分からないものです。せっかく「なむ天理王命」と神名を唱えて信仰に励み、たすけを求めるのであれば、一日も早く本元である「こもと(元のぢば・お屋敷)」へと帰ってきて、親神様の本当の教えや思召しを尋ね出なさい。
短い意味
「せっかく神名を唱えてたすけを求めて信仰するのなら、一日も早く本元である元のぢばへ帰って、親神様の本当の思いを尋ねなさい」という、おぢば帰りを促すお歌です。
みかぐらうた「九下り目10」の現代語訳と意味
みかぐらうた「九下り目」の第10首「とてもかみなをよびだせば はやくこもとへたづねでよ」は、信仰に励む人々に対し、本元である「おぢば」へ帰り、親神様の真意を尋ねることを促すお歌です。数え歌の形式をとる各下り目の中で、九下り目には例外的に「十ド」という数字が入りませんが、このお歌が九下り目を締めくくる第10首として位置づけられています(「十(と)ても」と解釈されることもあります)。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、天理教における「おぢば帰り」と、自ら教えを尋ね求める姿勢の重要性を深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- とても:「とはいっても」「せっかく〜するからには」という意味です。各下り目の最後は「十ド」などと数字が詠み込まれるのが通常ですが、このお歌は例外となっており、「十(と)ても」という数字の響きが重ね合わされているとも解釈されています。
- かみなをよびだせば(神名を呼び出せば):「なむ天理王命」と親神様の御名を唱え、おつとめをしてたすけを求めているのであるならば、という意味です。
- こもとへたづねでよ(こもとへ尋ね出よ):「こもと」とは本家本元、すなわち親神様が鎮まる「元のぢば(お屋敷)」を指します。ただ訪問する(訪ねる)だけでなく、親神様の本当の思いや真実の教えを直接「尋ねて」きなさい、という親心からの強い呼びかけです。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「九下り目10」を通して、私たちは本元へ帰って教えを求めることの大切さを学びます。
- 九下り目の締めくくりとして、国々所々での信仰から、本元である「こもと(ぢば)」への帰参が強く促されているという教理
- ただ神名を唱えてたすけを待つだけでなく、自ら進んでぢばへ帰り、教えの真意を「尋ねる」主体的な求道心が求められていること
- 次のお歌(十下り目)以降で展開される、病の元や心の掃除という深い教えへと向かうための、おぢば帰りの切実な呼びかけ

