みかぐらうた「十一下り目」の意味と現代語訳|原文つきで詳しく解説
十一下り目では、ぢば定め、ひのきしん、土持ちを通して、信仰実践と心の普請が歌われます。
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このページで解説する歌
十一下り目の全体の意味
十一下り目では、ぢば定め、ひのきしん、土持ちを通して、信仰実践と心の普請が歌われます。
十一下り目1つの原文と現代語訳
原文
一ッ ひのもとしよやしきの
かみのやかたのぢばさだめ
現代語訳
日の本(日本)の大和国庄屋敷村にある、親神様が鎮まる館(おやしき)において、この世と人間を創造された元の地点を特定する「ぢば定め」が行われるのです。ここを中心に、世界たすけのための普請が進められていきます。
短い意味
「日本国の大和にある庄屋敷村の、親神様が鎮まる神の館において、人間創造の元の地点である『ぢば定め』が行われる」という、ぢば定めの歴史的・教理的意義を歌ったお歌です。
みかぐらうた「十一下り目1つ」の現代語訳と意味
みかぐらうた「十一下り目」の第1首「一ッ ひのもとしよやしきの かみのやかたのぢばさだめ」は、親神様が鎮まる館(やかた)における「ぢば定め」について歌われたお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、天理教において「ぢば」がいかに重要な地点であるかを深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- ひのもとしよやしきの(日の本庄屋敷の):単に日本国の庄屋敷村という地名を指すだけでなく、親神様がこの世と人間を創められた元の場所(ぢば)を強く意識した表現です。
- かみのやかた(神の館):親神様が鎮まる場所、すなわち「おやしき」を意味します。
- ぢばさだめ(ぢば定め):明治8年(1875年)陰暦5月26日に行われた、人間創造の元の地点(ぢば)を特定し確定する出来事のことです。この地点を中心にして、たすけ一条のための普請が進められることになります。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「十一下り目1つ」を通して、私たちは信仰の根源である「ぢば」の意義について学びます。
- 親神様が人間を創造された元の地点「ぢば」が、明確に定められたという歴史的・教理的な重要性
- 単なる場所ではなく、親神様が鎮まり、世界たすけの根本となる「神の館」としてのぢばの尊さ
- 次のお歌(二ッ)以降で展開される、「ひのきしん」や「土持ち」が、すべてこの「ぢば」を中心に行われるという教えの出発点であること
十一下り目2の原文と現代語訳
原文
二ッ ふうふそろうてひのきしん
これがだいゝちものだねや
現代語訳
天地の理を象った一夫一婦の夫婦が、互いに心を揃え和合して、親神様への報恩感謝の行いである「ひのきしん」に励むこと。この夫婦揃っての真実の行いこそが、一番必要な時に必要なご守護が芽生えてくる、何よりも第一の「物種(無形の徳の種)」となるのです。
短い意味
「夫婦が心を一つに揃えて、報恩感謝の『ひのきしん』に励むこと。これがあらゆる幸せやご守護を生み出す第一の『物種(ものだね)』になるのです」という、夫婦和合とひのきしんの重要性を教えるお歌です。
みかぐらうた「十一下り目2」の現代語訳と意味
みかぐらうた「十一下り目」の第2首「二ッ ふうふそろうてひのきしん これがだいゝちものだねや」は、夫婦の和合と、揃ってひのきしん(報恩感謝の行い)をすることの重要性を教えるお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、天理教において夫婦和合がいかに尊い「徳の種」となるかを深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- ふうふそろうて(夫婦揃うて):天地の理を象って定められた夫婦が、互いに心を合わせ、和合して歩むことを意味します。人生の幸福はすべて夫婦の和合から生まれるとされ、本教における最も大切な生活の基盤です。
- ひのきしん:日々の生活の中で、親神様への報恩感謝の思いを自発的な行動に表すことです。
- ものだね(物種):一番必要な時に必要なものが生えてくる無形の「種」のことです。夫婦が心を揃えてひのきしんに励むことが、将来にわたる豊かなご守護や徳が芽生える第一の種になると教えられています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「十一下り目2」を通して、私たちは夫婦和合と信仰の実践の結びつきについて学びます。
- 夫婦が心を一つに揃える「和合」こそが、陽気ぐらしの根本であるという教理
- 夫婦揃って親神様に真実を尽くす(ひのきしん)ことが、未来の幸せを生み出す第一の「物種」になること
- 次のお歌(三ッ)で示される、世界中から寄り集まってくるひのきしんの輪へと広がる、信仰の身近な基盤づくりであること
十一下り目3の原文と現代語訳
原文
三ッ みれバせかいがだん/\と
もつこになうてひのきしん
現代語訳
世界を見渡してみれば、親神様のたすけ一条の道に目覚めた世界中の人々が、次から次へとだんだんにおぢば(元の理の地)へと寄り集まってきます。そして皆が心を一つにして、もっこを担いで土を運ぶ「ひのきしん(親神様への報恩感謝の行い)」に喜び勇んで励んでいるのです。
短い意味
「見渡してみると、世界中の人々が次から次へと勇んでおぢばに集まり、もっこを担いでひのきしんに励んでいる」という、信仰の喜びが広がる姿を歌ったお歌です。
みかぐらうた「十一下り目3」の現代語訳と意味
みかぐらうた「十一下り目」の第3首「三ッ みれバせかいがだん/\と もつこになうてひのきしん」は、世界中の人々が次々と集まり、勇んでひのきしんに励む姿を歌ったお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、天理教における「ひのきしん」の広がりと喜びについて深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- みれバせかいがだん/\と:世界中の人々(親神様の子供たち)が、次から次へとだんだんに寄り集まってくる様子を表しています。教えが広まり、自発的に親神様のもと(おぢば)へ帰ってくる人々の姿です。
- もつこになうて(もっこ担うて):「もっこ」とは土を運ぶための道具です。おぢばの普請(ふしん)のために、もっこを担いで土を運ぶ姿を描写しています。ここで運ばれる土は、単なる物質としての土だけではなく、「誠真実」という心の土を運ぶ姿も意味しています。
- ひのきしん:親神様への報恩感謝の思いを、日々の自発的な行動に表すことです。このお歌の手振りは馳せ参じる運びの姿であり、元なるおぢばへ帰り、喜び勇んで土持ちのひのきしんをする様子が教えられています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「十一下り目3」を通して、私たちは信仰の喜びが自発的な行動となって現れる姿について学びます。
- たすけ一条の道が世界へと広がり、多くの人々が自発的におぢばへと集まってくるという教理
- もっこを担いで土を運ぶという具体的な姿を通して、誠真実の心を親神様に捧げることの大切さ
- 次のお歌(四ッ)で説かれる「欲を忘れてひのきしん」へと続く、純粋な感謝の心から生まれる行動の尊さへの気づき
十一下り目4の原文と現代語訳
原文
四ッ よくをわすれてひのきしん
これがだいゝちこえとなる
現代語訳
自己中心的な「欲」の心をすっかりと忘れ去り、親神様への報恩感謝の行いである「ひのきしん」に自発的に励むこと。この純粋な真実の行いこそが、自分自身の心という畑にまいた種を育て、豊かなご守護という実りをもたらすための、第一の無形の「肥(こえ・肥料)」となるのです。
短い意味
「自己中心的な『欲』をすっかり忘れて、親神様への報恩感謝の行いである『ひのきしん』に励むこと。これこそが、自分自身の徳を育てる何よりの第一の『肥(こえ)』になるのです」というお歌です。
みかぐらうた「十一下り目4」の現代語訳と意味
みかぐらうた「十一下り目」の第4首「四ッ よくをわすれてひのきしん これがだいゝちこえとなる」は、欲を忘れて自発的にひのきしんに励むことが、私たちの徳を育てる無形の「肥料」になるということを教えるお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、天理教において「ひのきしん」がどれほど重要な信仰実践であるかを深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- よくをわすれて(欲を忘れて):自己中心的な欲(八つのほこりの根本)をすっかり忘れ去ることです。前首(二ッ)の「ふうふそろうて」という夫婦単位の行いに対し、ここでは個人(一名一人)の心からの行いが強調されています。
- ひのきしん:親神様からのご守護に対する報恩感謝の思いを、日々の自発的な行動(行い)に表すことです。
- これがだいゝちこえとなる(これが第一肥となる):欲を忘れてひのきしんに励む行いが、自分自身の徳を育てる第一の「肥(こえ=肥料)」になるということです。目に見える物質的な肥料(金肥や人肥など)ではなく、日々の無形の行いが未来の豊かなご守護を育む無形の肥料になると教えられています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「十一下り目4」を通して、私たちは無欲の行いがいかに大きな徳となるかを学びます。
- 見返りを求める欲を捨てて、純粋な感謝の心でひのきしんを行うことの尊さ
- ひのきしんという無形の働きが、自らの心の畑を豊かにする無形の「肥料」になるという教理
- 次のお歌(五ツ)で示される、いついつまでも続く「土持ち(切りなし普請)」へと向かうための、純粋な喜びの姿勢であること
十一下り目5の原文と現代語訳
原文
五ツ いつ/\までもつちもちや
まだあるならバわしもゆこ
現代語訳
将来末代にかけて、いついつまでも果てしなく続くのが土持ちのひのきしんです。親神様が望まれる世界たすけの普請(心の普請)には際限がありません。「まだ土持ちの御用があるならば、私もぜひ行かせていただこう」と、自発的に喜び勇んで報恩感謝の行い(ひのきしん)に進み出ることが大切なのです。
短い意味
「いついつまでも果てしなく続く土持ちのひのきしんである。まだ土持ちの御用があるならば、私も喜んで行かせていただこう」という、尽きることのない信仰の喜びを教えるお歌です。
みかぐらうた「十一下り目5」の現代語訳と意味
みかぐらうた「十一下り目」の第5首「五ツ いつ/\までもつちもちや まだあるならバわしもゆこ」は、ひのきしん(土持ち)が将来末代まで続く切りなし普請であることを教え、自ら進んで御用に向かう信仰の姿勢を歌ったお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、天理教において「ひのきしん」がいかに果てしない喜びの道であるかを深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- いつ/\までも(いついつまでも):将来にかけていつまでも、末代までも続くことを意味します。親神様が目指す世界たすけの普請(心の普請)には際限がなく、どこまでも伸びていく「切りなし普請」であることを表しています。
- つちもちや(土持ちや):前首で歌われた、もっこを担いで土を運ぶ「ひのきしん」のことです。この土持ちは単なる物理的な土運びではなく、親神様への報恩感謝の「尽くし」と、いんねんの「果たし」という真実の心を運ぶ無形の働きを意味しています。
- まだあるならバわしもゆこ:「まだ土持ちの御用があるのなら、私も行かせていただこう」と、人々が次から次へと自発的に喜び勇んでひのきしんへと向かう姿です。信仰の喜びがおのずと行動に表れる尊い姿勢が示されています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「十一下り目5」を通して、私たちは永遠に続くひのきしんの喜びと自発的な信仰の姿勢を学びます。
- たすけ一条の道(心の普請)は、いついつまでも続く「切りなし普請」であるという教理
- 御恩報じの尽くしと、いんねん果たしの真実の心をこめて、果てしなくひのきしんに励むことの尊さ
- 次のお歌(六ッ)で示される、「無理に止めるやない」という、自ら進んでひのきしんに向かう者を歓迎する親神様の親心に通じること
十一下り目6の原文と現代語訳
原文
六ッ むりにとめるやないほどに
こゝろあるならたれなりと
現代語訳
信仰はあくまで自発的なものですから、ひのきしん(土持ち)をさせていただきたいと勇み立つ者を、当人の心に反して無理に止め立てするようなことは決してありません。親神様への報恩感謝の思いから、自ら進んで行おうという真実の心があるのならば、どのような立場の者であっても、誰彼の区別なく構いません。皆、喜んでひのきしんに進み出なさい。
短い意味
「自ら進んでひのきしん(土持ち)をしようとする者を、無理に止め立てするようなことはしません。報恩感謝の心があるのなら、誰であっても歓迎します」という、自発的な信仰行動を勧めるお歌です。
みかぐらうた「十一下り目6」の現代語訳と意味
みかぐらうた「十一下り目」の第6首「六ッ むりにとめるやないほどに こゝろあるならたれなりと」は、ひのきしん(土持ち)への参加が誰にでも開かれていること、そして自発的な心を親神様が歓迎されていることを教えるお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、天理教において「ひのきしん」がいかに自由で開かれた喜びの行いであるかを深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- むりにとめるやないほどに(無理に止めるや無いほどに):当人の「ひのきしんをさせていただきたい」という勇んだ心に反して、無理に止め立てをするようなことは決してしない、という意味です。親神様は自発的に向かってくる者を優しく受け入れてくださいます。
- こゝろあるなら(心あるなら):親神様への報恩感謝の思いから、自ら進んでひのきしん(土持ち)に向かおうとする「真実の心」「信仰の心」があるならば、という意味です。人に強制されるのではなく、自発的な発心であることが大切であると教えられています。
- たれなりと(誰なりと):身分や立場、これまでの来歴などに関係なく、誰彼の区別なく、どのような人であっても(歓迎する)、という意味です。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「十一下り目6」を通して、私たちはひのきしんにおける自発性と平等の精神を学びます。
- ひのきしん(土持ち)は、人から強制されて行うものではなく、自らの報恩感謝の「心」から進んで行うものであるという教理
- 真実の心から進み出る者であれば、親神様は誰であっても等しく受け入れ、喜んでくださるという広く温かい親心
- 次のお歌(七ッ)で示される「なにかめづらしつちもちや」へと続く、誰もが喜び勇んで参加できる「ひのきしん」の尊さ
十一下り目7の原文と現代語訳
原文
七ッ なにかめづらしつちもちや
これがきしんとなるならバ
現代語訳
これまでに見たことも聞いたこともない、まことに珍しい土持ちのひのきしんです。金銭や物を供えるのではなく、この自発的な喜びの労働(土持ち)がそのまま親神様への「寄進」として受け取っていただけるのであるならば、こんなに有難く結構なことはありません。皆で喜び勇んで働かせていただきましょう。
短い意味
「今までに見たこともない珍しい土持ちのひのきしんです。この誠の行いがそのまま親神様への『寄進』となるのなら、こんなに結構なことはありません」という、ひのきしんの喜びと尊さを教えるお歌です。
みかぐらうた「十一下り目7」の現代語訳と意味
みかぐらうた「十一下り目」の第7首「七ッ なにかめづらしつちもちや これがきしんとなるならバ」は、自ら進んで汗を流す「土持ち(ひのきしん)」が、そのまま親神様への尊い寄進となるという教理を歌ったお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、天理教において「ひのきしん」がどれほど素晴らしい喜びの行いであるかを深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- なにかめづらし(何か珍し):これまでに見たことも聞いたこともないような、まことに珍しい、という意味です。単なる肉体労働ではなく、世界たすけの普請(心の普請)に携わるという前代未聞の尊い働きであることを示しています。
- つちもちや(土持ちや):もっこを担いで土を運ぶ「ひのきしん」のことです。自発的に汗を流し、親神様へ報恩感謝の誠を捧げる行動を表しています。
- きしん(寄進):一般的には社寺に金品を寄付することを指しますが、本教では、物やお金ではなく、報恩感謝の喜びから湧き出る自発的な「働き(ひのきしん)」そのものが、親神様への最高の寄進になると教えられています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「十一下り目7」を通して、私たちは真の「寄進」のあり方と、ひのきしんの喜びについて学びます。
- 金銭や物質がなくても、自らの身体を使って真実の心を運ぶ「土持ち」が、親神様への立派な寄進(お供え)になるという教理
- 貧富や立場に関係なく、誰もが平等に参加でき、喜び勇んで行える「ひのきしん」の珍しさと有り難さへの気づき
- 次のお歌(八ッ)で示される、屋敷の土を掘り取って場所を変えるだけの無欲の働きが、大きな徳の種となるという教えに向かうこと
十一下り目8の原文と現代語訳
原文
八ッ やしきのつちをほりとりて
ところかへるばかりやで
現代語訳
元のやしき(おぢば)の土を掘り取って、あちらからこちらへと場所を変えて運ぶだけのことです。金銭や物を寄進するのではなく、ただ純粋な喜びから身体を動かして働くこと、その真実の行い(ひのきしん)こそが親神様に受け取っていただける尊い寄進となるのです。
短い意味
「元のやしきの土を掘り取って別の場所へ運ぶだけのことです」というように、物やお金ではなく、自ら身体を動かして働く「ひのきしん」の喜びと尊さを教えるお歌です。
みかぐらうた「十一下り目8」の現代語訳と意味
みかぐらうた「十一下り目」の第8首「八ッ やしきのつちをほりとりて ところかへるばかりやで」は、屋敷の土を運ぶという具体的な土持ちの作業を通して、「ひのきしん」の真の意義を教えるお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、天理教において身体を使って働くことの尊さを深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- やしきのつちをほりとりて(屋敷の土を掘り取って):世界たすけの根本である「元のやしき(おぢば)」における土持ちのひのきしんの姿を表しています。また、神の田地である屋敷の土(豊かな徳)を各人の心の畑に頂戴するという深い意味も含まれています。
- ところかへるばかりやで(所変えるばかりやで):高い所の土を掘って低い所へ運ぶなど、土の場所を変えるだけのことである、という意味です。特別な品物を供えるのではなく、ただ純粋に身体を動かす働きそのものが尊いのだということを示しています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「十一下り目8」を通して、私たちは「ひのきしん」という行いの本質について学びます。
- 金品がなくても、自らの身体を使って働くことが親神様への最高の寄進になるという教理
- 神の田地である「やしきの土」を運ぶことで、自らの心の畑にも豊かな徳の土を頂けるという解釈
- 次のお歌(九ッ)で示される、これほど尊い理を今まで誰も知らなかったという、親神様の残念な思いへの気づき
十一下り目9の原文と現代語訳
原文
九ッ このたびまではいちれつに
むねがわからんざんねんな
現代語訳
この度、親神様がこの世の表に現れて真実の教えを明かされるまでは、世界中のすべての人間は、親神様が「一列の子供をたすけたい」と願う深い胸の内(たすけ一条の思召し)を本当に理解できていませんでした。欲の心にとらわれ、心を澄み切らせてひのきしんへと向かう者がいなかったことは、親神様にとってまことに残念で、もどかしいことであったのです。
短い意味
「この度、親神様が真実の教えを明かされるまでは、世界中の人々は誰一人として、神のたすけ一条の深い親心を理解できていなかった。まことに残念なことであった」という、親神様のもどかしい思いを歌ったお歌です。
みかぐらうた「十一下り目9」の現代語訳と意味
みかぐらうた「十一下り目」の第9首「九ッ このたびまでハいちれつに むねがわからんざんねんな」は、親神様が真実の教えを明かすまで、人間が神の深い親心を理解できずにいたことへの「残念な」思いを歌ったお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、天理教において親神様の「たすけ一条」の思いを悟ることの重要性を深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- このたびまでハいちれつに(この度までは一列に):親神様が教祖(おやさま)を通して真実の教えを明かされる「この度」までは、世界中のすべての人間(一列)が、という意味です。
- むねがわからんざんねんな(胸が分からん残念な):人間の自己中心的な欲にとらわれ、親神様の「世界一列の子供をたすけたい」という深い親心(胸の内・思召し)を理解できなかったことを指しています。神の真意が分からず自ら進んで「ひのきしん」に励む者がいなかったことへの、親神様のもどかしさや残念な思いが込められています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「十一下り目9」を通して、私たちは親神様の親心と、それに気づくことの大切さを学びます。
- 教えが明かされるまで、人間は真実(親神様の思召し)を知らずに迷っていたという事実への気づき
- 親神様が「残念」に思われるほど、人間に対して「たすけたい」という強い愛情を持っておられること
- 次のお歌(十ド)で示される、真実を悟って喜び勇んでひのきしんに励み、豊かな実りを頂くことの喜びを際立たせるための教えであること
十一下り目10の原文と現代語訳
原文
十ド ことしハこえおかず
じふぶんものをつくりとり
やれたのもしやありがたや
現代語訳
とうとう今年は、親神様の教えを深く悟り、目に見える金肥や人肥に頼るのではなく、誠真実の行いである「ひのきしん」に励んできました。その無形の働きを親神様が第一の「肥」としてお受け取りくださったおかげで、十分な豊年満作(豊かなご守護)を頂戴することができました。まことに頼もしく、心からありがたいことです。
短い意味
「とうとう今年は、目に見える肥料を施さなくても、ひのきしんの真実によって十分豊かな収穫を得ることができました。何と頼もしく、ありがたいことでしょう」という、豊かなご守護と喜びを歌ったお歌です。
みかぐらうた「十一下り目10」の現代語訳と意味
みかぐらうた「十一下り目」の最後を締めくくる第10首「十ド ことしハこえおかず じふぶんものをつくりとり やれたのもしやありがたや」は、ひのきしんの真実によって得られる豊かなご守護と、その喜びや感謝を歌ったお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、天理教における「ひのきしん」の功徳と、無形の肥がもたらすご守護の大きさを深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- ことしハこえおかず(今年は肥置かず):「ことし(今年)」とは、ひのきしんの理合いを胸に治め、実践に励んできた結果として迎えた実りの時旬を指します。「こえ」は目に見える物質的な肥料のことです。金肥などの肥料を施さなくても、という意味です。
- じふぶんものをつくりとり(十分物を作り取り):十分な収穫を得られた、という意味です。ひのきしんという「無形の肥」を施した結果として、思いもよらない豊年満作(身上の健康や事情の好転など、自由自在なご守護)を頂戴したことを表しています。
- やれたのもしやありがたや:こんなに頼もしく、嬉しい、ありがたいことはない、という心からの感謝と歓喜の言葉です。親神様のご守護に対する深い感泣が込められています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「十一下り目10」を通して、私たちはひのきしんの実践がもたらす大いなる喜びについて学びます。
- 親神様のご守護をいただくためには、物質的な力よりも「ひのきしん」という誠真実の無形の肥が第一であるという教理
- ひのきしんの真実をお受け取りいただいた結果として、必ず豊かな実り(ご守護)が与えられるという確信
- 十一下り目全体で教えられた「土持ち(ひのきしん)」の実践が、最終的に「頼もしい、ありがたい」という深い感謝と陽気ぐらしの喜びに行き着くという信仰のあり方

