第二章 たすけ一条の道
月日にハせかいぢうゝハみなわが子
たすけたいとの心ばかりで
八 4
親神は、一れつの人間に、陽気ぐらしをさせたいとの親心から、教祖をやしろとして表に現れ、よろづいさいの真実を明かして、珍しいたすけ一条の道を教えられた。
つとめてもほかの事とわをもうなよ
たすけたいのが一ちよばかりで 一六 65
この親心から、よろづたすけの道として教えられたのが、つとめ一条である。
このよふをはじめかけたもをなぢ事
めづらし事をしてみせるでな
六 7
このよふをはじめてからにないつとめ
またはじめかけたしかをさめる
六 8
このつとめは、親神が、紋型ないところから、人間世界を創めた元初りの珍しい働きを、この度は、たすけ一条の上に現そうとて、教えられたつとめである。即ち、これによつて、この世は、思召そのままの陽気な世界に立て替つてくる。
つとめでもどふゆうつとめするならば
かんろふだいのつとめいちゞよ 一〇 21
このつとめは、かんろだいをしんとして行う。
にんけんをはじめかけたるしよこふに
かんろふたいをすゑてをくぞや 一七 9
かんろだいとは、人間宿し込みの元なるぢばに、その証拠としてすえる台で、人間の創造と、その成人の理とを現して形造り、人間世界の本元と、その窮りない発展とを意味する。
しんぢつのつとめの人ぢう十人の
心を神がうけとりたなら六 18
それからハどのよな事もたん/\と
神のをもわくみなときゝかす
六 19
にち/\に神の心わせゑたとて
人ぢう十人そろいなけねば
六 20
このつとめは、又、かぐらづとめとも教えられ、親神の創造の理をかたどり、選ばれた十人のつとめ人衆が、夫々、面をつけ、歌に調子を合せて、奏でる九つの鳴物の調べに心を揃え、親神の守護の理を手振にあらわしてつとめる。実に、かぐらづとめは、人間創造の元を慕うて、その喜びを今に復えし、親神の豊かな恵をたたえ、心を一つに合せて、その守護を祈念するつとめである。
みなそろてはやくつとめをするならバ
そばがいさめバ神もいさむる
一 11
つとめ人衆が、親神にもたれ、呼吸を合せてつとめる時、その心は、自と溶け合うて陽気になり、親神の心と一つとなる。この一手一つに勇む心を受け取つて、親神もまた勇まれ、神人和楽の陽気がここに漲る。
またさきのよふきづとめをまちかねる
なんの事ならかぐらつとめや
四 29
かぐらづとめは、又、よふきづとめとも仰せられる。まことに、よふきづとめは、親神の思召さながらの陽気をたたえて、その成就を祈願するつとめである。
どのよふなたすけするのもみなつとめ
月日ゆうよにたしかするなら
七 83
しんぢつの心あるなら月日にも
しかとうけやいたすけするぞや
七 84
つとめ人衆が、思召通りに陽気につとめる時、親神は、その真心を受け取つて、自由自在の守護を現される。
このつとめせかいぢううのたすけみち
をしでもものをゆハす事なり
四 91
にち/\にはやくつとめをせきこめよ
いかなるなんもみなのがれるで 一〇 19
とのよふなむつかしくなるやまいでも
つとめ一ぢよてみなたすかるで 一〇 20
されば、よふきづとめは、又、たすけづとめとも教えられ、いかなる願もかなえられるつとめである。
たすけでもあしきなをするまてやない
めづらしたすけをもているから 一七 52
このたすけどふゆう事にをもうかな
やますしなすによハりなきよに 一七 53
たすけづとめは、ただ、身上のさわりや、災難や、苦悩をたすけるつとめであるばかりでなく、進んでは、病まず、死なず、弱らない、珍しい守護をなされるつとめである。
しんぢつの心しだいのこのたすけ
やますしなずによハりなきよふ
三 99
このたすけ百十五才ぢよみよと
さだめつけたい神の一ぢよ
三 100
そのゝちハやまずしなすによハらすに
心したいにいつまでもいよ
四 37
またさきハねんけんたちた事ならば
としをよるめハさらにないぞや
四 38
人々の心が澄みきつて、真実の心となつた暁には、たすけづとめによつて、甘露を授けられる。これを頂けば、人は、よく百十五歳の定命を保ち、なお、心次第によつては、いつまでも生きさせてやろうと教えられる。
このつとめなにの事やとをもている
せかいをさめてたすけばかりを
四 93
はや/\と心そろをてしいかりと
つとめするならせかいをさまる 一四 92
このつとめは、人間個々の身上や事情に限らず、更に、豊かな稔りや平和の栄えなど、広く世界の上に、親神の恵を及ぼすつとめである。
ここに、恵は遍く一れつに及び、人類は、ひとしく親神の子として、兄弟姉妹であることに目覚め、互に立て合い扶け合うて、世界は、一つ心の陽気ぐらしの世と立て替る。
親神は、更に又、いき・てをどりのさづけによつて、身上たすけの道を教えられた。
このさきハなんほむつかしやまいても
いきとてをどりみなたすけるで 一二 50
どのよふなむつかしくなるやまいでも
これなをらんとゆうでないぞや 一二 51
即ち、さづけは、親神が一名一人の心の真実を見定めて、たすけ一条のために渡される、こうのうの理である。人々が、授かつたその日の心を生涯の理に治めて、陽気普請のよふぼくとなり、天の理を取り次がせて頂くところ、親神は、願う心の誠真実を受け取り、自由自在の守護をもつて、いかなる難病をもたすけられる。さづけの理は、たすけ一条を誓う一日の日の真心に授けられる、生涯末代の宝であつて、この理をうけて、親神のよふぼくの馳せ巡るところ、広い世界に不思議なたすけは相ついで現れる。
まことに、つとめとさづけとは、親神が、世界一れつに、陽気ぐらしをさせてやりたい、との切なる親心によつて教えられた、たすけ一条の道である。これによつて、病の根は切れ、あしきは祓われて、世界は陽気によみがえる。
かくて、世界人類は、親神の篤き守護をたたえて、心ますます勇み、親神は、又、これを受けて、恵は、いよいよ深く、ここに、神人は共に和楽して、陽気溢れる世界が、この地上に実現される。
あしきをはらうてたすけせきこむ
いちれつすましてかんろだい