みかぐらうた「七下り目」の意味と現代語訳|原文つきで詳しく解説
七下り目では、にをいがけ、種まき、心の田地という表現を通して、信仰を広げ育てる意味が歌われます。
このページでは、みかぐらうた「七下り目」の原文、現代語訳、意味と解釈を一つずつ確認できます。全文を通して読みたい方は、みかぐらうた全文と意味一覧もあわせてご覧ください。
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- 七下り目の全体の意味
- 七下り目1つの原文と現代語訳
- みかぐらうた「七下り目1つ」の現代語訳と意味
- 七下り目2の原文と現代語訳
- みかぐらうた「七下り目2」の現代語訳と意味
- 七下り目3の原文と現代語訳
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- みかぐらうた「七下り目10」の現代語訳と意味
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このページで解説する歌
七下り目の全体の意味
七下り目では、にをいがけ、種まき、心の田地という表現を通して、信仰を広げ育てる意味が歌われます。
七下り目1つの原文と現代語訳
原文
一ッ ひとことはなしハひのきしん
にほひばかりをかけておく
現代語訳
これから一言お話しするのは、神恩報謝の行いである「ひのきしん」についてです。あるいは、親神様の教えを一言なりとも人にお取り次ぎして聞かせること自体が、立派な「ひのきしん」となります。まずは、美しい花がよい香りを放つように、周囲の人々に教えの「匂いがけ」をしておきましょう。
短い意味
「親神様の教えを一言でも人にお話しすることは『ひのきしん』になります。まずはそうして教えの匂いをかけておきましょう」という、匂いがけの尊さを歌ったお歌です。
みかぐらうた「七下り目1つ」の現代語訳と意味
みかぐらうた「七下り目」の第1首「一ッ ひとことはなしハひのきしん にほひばかりをかけておく」は、親神様の教えを人に伝える「匂いがけ」が、そのまま「ひのきしん」になるという教理を歌ったお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた意味や解釈を学ぶことで、天理教において教えを広めることの尊さと、自発的な信仰のあり方を理解することができます。
重要キーワードの解釈
- ひとことはなしハひのきしん:「ひとことはなし」は、親神様の教えについて一言なりともお話しし、取り次ぐことです。それがそのまま、親神様に対する報恩感謝の行いである「ひのきしん(日の寄進)」になるという意味です。また「今から一言話をするのは、ひのきしんについてである」という解釈もあります。
- にほひばかりをかけておく:「匂いがけ」のことです。美しい花が自然と良い香りを漂わせるように、たすけ一条の道を歩む者の優しい一言や行動が、周囲の人々に教えの匂いとして伝わり、親神様のみ教えへと導くきっかけになることを表しています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
- 親神様の教えを一言でも人に伝えること(匂いがけ)が、尊い「ひのきしん」になるという確信
- 信仰は相手に強制するものではなく、自らの喜びの態度や言葉を通して自然と「匂い」をかけていくものであるという教理
- 次のお歌以降で説かれる「神の田地」と「ひのきしんの種まき」の教理へ向けての、大切な前振り(導入)となっていること
七下り目2の原文と現代語訳
原文
二ッ ふかいこゝろがあるなれバ
たれもとめるでないほどに
現代語訳
親神様には、世界中のすべての人々を救済したいというたすけ一条の深い親心(思惑)があってのことなのだから、人間心でこの道を妨げたり、止めだてしたりしてはなりません。
短い意味
「親神様による世界たすけの深いお考え(思惑)があってのことなので、誰もこの信仰の道を妨げてはならない」という、神様の深い親心について歌ったお歌です。
みかぐらうた「七下り目2」の現代語訳と意味
みかぐらうた「七下り目」の第2首「二ッ ふかいこゝろがあるなれバ たれもとめるでないほどに」は、親神様の世界たすけに対する深い思惑と、それを妨げてはならないという戒めを教えるお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、人間の浅知恵を超えた親神様の深い親心を理解することができます。
重要キーワードの解釈
- ふかいこゝろ(深い心):世界一列の人間を救済しようとする親神様のたすけ一条の深い親心や、遠い将来までを見通した深い思惑のことです。
- とめるでない(止めるでない):親神様の深い思惑に基づいて進められている道であるから、人間心で止めだてしたり、妨害したりしてはならないという戒めです。また、心底信じ切る心で信仰するのなら、誰も止めることはできないという解釈もあります。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「七下り目2」を通して、私たちは親神様の深い親心への絶対的な信頼を学びます。
- 親神様のお働きや教えには、人間の思案を超えた「深い心(思惑)」があるという確信
- 神様の深い思惑による道を、人間心で妨げたり止めだてしたりしてはならないこと
- 次のお歌以降で説かれる「神の田地」や「ひのきしん」の教理の背景に、この深い親心があることを理解する大切さ
七下り目3の原文と現代語訳
原文
三ッ みなせかいのこゝろにハ
でんぢのいらぬものハない
現代語訳
世界中のすべての人間(一列人間)の心の内を見渡してみれば、日々の生活の基盤であり、豊かな実りや恵みを生み出してくれる「田地」を欲しくないと思う者は、誰一人としていないでしょう。
短い意味
「世界中の人々の本心として、豊かな実りをもたらす田地(生活の基盤)を欲しくない者は一人もいないでしょう」という、人間の自然な願いを言い当てたお歌です。
みかぐらうた「七下り目3」の現代語訳と意味
みかぐらうた「七下り目」の第3首「三ッ みなせかいのこゝろにハ でんぢのいらぬものハない」は、世界中の誰もが生活の豊かさや基盤を求めているという人間の本心を言い当てたお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた意味や解釈を学ぶことで、天理教における「でんぢ(田地)」の比喩と、続くお歌で展開される信仰の教理を深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- みなせかいのこゝろにハ:世界中の一列人間の本心として、という意味です。親神様は人間の偽らざる思いをすべて見通されています。
- でんぢ(田地):文字通りの田畑のことだけでなく、物を生み出すもの、人間生活に必要な恵みをもたらす生活の基盤や働き場所を指しています。当時の人々にとって最も重要だった農業を比喩として、誰もが求める「親神様からの豊かなご守護」や「天の与え」を表現しています。
- いらぬものハない:欲しくない者はいない、つまり誰もが求めているということです。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「七下り目3」を通して、私たちは人間の願いと親神様の教えの結びつきを学びます。
- 誰もが生活の安定や豊かさ(田地)を求めるのは、人間の自然な本心であると親神様が認めてくださっていること
- 「田地」という身近で具体的な比喩を用いることで、教理を分かりやすく伝えようとする親心
- この人間の素直な願いを前提として、次のお歌(四ッ以降)で示される「神の田地」と「ひのきしんの種まき」という核心的な教えへと展開していく重要な導入部分であること
七下り目4の原文と現代語訳
原文
四ッ よきぢがあらバ一れつに
たれもほしいであらうがな
現代語訳
もし、日当たりや水はけが良く、豊かな実りを約束してくれるような「よい田地(よきぢ)」があるならば。世界中のすべての人々(一列人間)が、誰も彼もみな等しく「その田地が欲しい」と心から願うことでしょう。
短い意味
「豊かな実りをもたらすような『よい田地』があるならば、世界中の誰もが自分のものにしたいと欲しがるでしょう」という、人々の自然な願いを言い当てたお歌です。
みかぐらうた「七下り目4」の現代語訳と意味
みかぐらうた「七下り目」の第4首「四ッ よきぢがあらバ一れつに たれもほしいであらうがな」は、前首に続き、豊かな実りをもたらす「良い田地」を求める人間の素直な欲求を表現したお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、親神様が人間の本心をどのように受け止め、深遠な教えへと導いてくださるのかを理解することができます。
重要キーワードの解釈
- よきぢ(良き地):日当たりや水はけが良く、土壌が肥えていて豊かな実りをもたらす「良い田地(美田)」のことです。ここから転じて、豊かなご守護や恵みをもたらす信仰の基盤(神の田地)を示唆しています。
- 一れつに(一列に):世界中のすべての人々が例外なく、みな一様に、という意味です。
- たれもほしいであらうがな:誰もが欲しいと思うに違いない、という親神様からの共感を含んだ問いかけです。人間の持つ自然な願いを深く理解し、優しく受け止めてくださる親心が表れています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「七下り目4」を通して、私たちは人間の自然な心と、親神様の温かい眼差しについて学びます。
- 誰もが「良い田地(豊かな恵み)」を求めるのは当然であると、人間の本心を親神様が肯定してくださっていること
- 有形の「田地」という身近な比喩を通して、次第に無形の「神の田地(おぢば)」の尊さへと教理を理解させようとする親心
- 次のお歌(五ツ)で説かれる「わしもあのぢをもとめたい」という強い自発的な願いへと向かうための重要なステップであること
七下り目5の原文と現代語訳
原文
五ツ いづれのかたもおなしこと
わしもあのぢをもとめたい
現代語訳
世界中のどこの誰であっても、豊かな実りをもたらす良い田地があれば欲しいと思うのは皆同じことです。「私も、あの素晴らしい田地をぜひとも手に入れたい」と誰もが願うに違いありません。親神様は、人間が豊かな恵み(ご守護)を求めるその自然な欲求を優しく受け止め、教祖(おやさま)の口を通して人間の立場から代弁してくださっているのです。
短い意味
「どこの誰であっても皆同じことで、『私もそのような素晴らしい田地(豊かなご守護)を求めたい』と願うに違いない」という、人々の自然な欲求を教祖が代弁したお歌です。
みかぐらうた「七下り目5」の現代語訳と意味
みかぐらうた「七下り目」の第5首「五ツ いづれのかたもおなじこと わしもあのぢをもとめたい」は、豊かな恵みをもたらす「良い田地」を誰もが欲しがるという人間の素直な願いを、教祖(おやさま)が人間の立場に立って代弁されたお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、親神様が私たちの本心を深く理解し、より高い信仰の段階へと導こうとされていることが分かります。
重要キーワードの解釈
- いづれのかたも(何れの方も):世界中のどこの誰であっても、という意味です。「かた(方)」という丁寧な言葉遣いには、親神様が世界中の人間を「可愛い子ども」として尊重し、温かく見守ってくださっている親心が表れています。
- わしもあのぢをもとめたい:「私もあの(良い)田地を求めたい」という意味です。みかぐらうたの中で、人間の側からの言葉の体裁をとっている箇所の一つであり、これは人間の自然な欲求を教祖が代弁し、「そう思うに違いない」と親神様が共感してくださっていることを示しています。「あのぢ(あの田地)」とは、前首で歌われた豊かな実りをもたらす田地であり、ひいては親神様の無限のご守護を意味しています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「七下り目5」を通して、私たちは親神様の温かい共感と、自発的な信仰の始まりについて学びます。
- 誰もが豊かなご守護(良い田地)を求めるのは当然であると、人間の本心を肯定し、共感してくださる親神様の深い親心
- 「わしも求めたい」という言葉が示すように、信仰は神様から強制されるものではなく、自ら進んで「求めたい」と願う自発的なものであるという教理
- この強い願いが、次のお歌以降で説かれる「それぞれの心次第(胸次第)」という、信仰の実践(ひのきしんの種まき)へと繋がっていくこと
七下り目6の原文と現代語訳
原文
六ッ むりにどうせといはんでな
そこはめい/\のむねしだい
現代語訳
親神様は、可愛い子どもである人間に向かって「無理にどうせよ、こうせよ」と強制し、指図することはありません。良い田地(無形の豊かな恵み)を手に入れ、豊かな収穫を得られるかどうかは、ひとえに一人ひとりの心次第(胸次第)であり、自発的に誠真実の働きができるかどうかにかかっているのです。
短い意味
「親神様は無理に『ああしなさい、こうしなさい』と指図したり、強制したりすることはありません。すべては各人の自発的な心次第です」という、自律的な信仰を促すお歌です。
みかぐらうた「七下り目6」の現代語訳と意味
みかぐらうた「七下り目6(六ッ むりにどうせといはんでな)」は、親神様が人間に信仰を強制することなく、一人ひとりの自発的な心と行動に委ねられていることを教えるお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、天理教における信仰の自発性や、「心次第」という教えの核心を理解することができます。
重要キーワードの解釈
- むりにどうせといはんでな:親神様は人間に対して「ああしなさい、こうしなさい」と無理に指図したり、信仰を強制したりすることはない、という意味です。天理教において信仰は、無理強いされるものではなく自発性や自律性に基づくべきであることが示されています。
- めいめいのむねしだい(銘々の胸次第):一人ひとりの心次第であるということです。前首(四ッ、五ツ)で説かれた「良い田地」を手に入れるためには、有形の田地が高価であるように、無形の田地(神様からの豊かなご守護)を手に入れるためにも、それにふさわしい誠真実の心と働きが求められます。親神様からの恵みを頂けるかどうかは、各自の心次第であると教えられています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「七下り目6」を通して、私たちは信仰における自発性と、心遣いの結果について学びます。
- 親神様は決して人間を無理強いせず、各人の自由な意志と判断(心次第)を尊重してくださっていること
- 「良い田地(親神様のご守護)」を得るためには、自ら進んで誠真実の心で行動する必要があること
- 神様の思召を自ら悟り、聞き分けて自発的に行動する時にこそ、鮮やかなご守護が頂けるという教理
七下り目7の原文と現代語訳
原文
七ッ なんでもでんぢがほしいから
あたへハなにほどいるとても
現代語訳
どうでもこうでも親神様の思いにかなう「よい田地(豊かな恵みやご守護)」が欲しいからには、その代価(あたえ)がどれほど必要だとしても、喜んで誠真実の心と行いを出し切らせていただきます。
短い意味
「どうしても素晴らしい田地(親神様の豊かなご守護)が欲しいので、その代価となる誠真実がどれほど必要だとしても、喜んで尽くさせていただきます」という、人間の強い決意を表したお歌です。
みかぐらうた「七下り目7」の現代語訳と意味
みかぐらうた「七下り目」の第7首「七ッ なんでもでんぢがほしいから あたへハなにほどいるとても」は、親神様からの豊かなご守護(良い田地)を求めるために、惜しみなく「誠真実」の代価を払うという人間の決意を歌ったお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、ご守護をいただくための信仰の姿勢を深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- なんでもでんぢがほしいから:「なんでも」とは「どうでもこうでも」「ぜひとも」という意味です。豊かな実りをもたらす親神様からのご守護(良い田地)を心から求める、人間の強い願いを表しています。
- あたへハなにほどいるとても(与えは何程要るとても):「あたへ(与え)」とは、田地を手に入れるための代価、すなわち「誠真実の心と働き」のことです。代価がどれほど高くても喜んで出させていただきますという、自発的で積極的な信仰の決意が示されています。親神様は人間のこの「誠真実」を代価として受け取ってくださるのです。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「七下り目7」を通して、私たちは親神様のご守護をいただくための「代価(誠真実)」について学びます。
- 親神様の豊かな恵み(良い田地)をいただくためには、それにふさわしい「誠真実」という代価が必要であるという教理
- ただご利益を与えられるのを待つのではなく、自ら進んで誠真実を尽くすという強い信仰の決意の大切さ
- 次のお歌(八ッ)で示される「神の田地(おぢば)」への種まき(ひのきしん)に向かう、具体的な実践への促し
七下り目8の原文と現代語訳
原文
八ッ やしきハかみのでんぢやで
まいたるたねハみなはへる
現代語訳
この元の屋敷(ぢば)は、親神様の田地(豊かな恵みをもたらす特別な場所)です。世間では蒔いた種がすべて育つとは限りませんが、この神の田地に蒔いた種(日々の心遣いやひのきしんなど)は、善いものも悪いものも、一つ残らず皆生えてくるのです。
短い意味
「この元初まりの屋敷(おぢば)は、親神様の田地です。ここに蒔いた種は、善い種も悪い種も一粒万倍となってすべて生えてくるのです」という、おぢばの理と種まきの結果を教えるお歌です。
みかぐらうた「七下り目8」の現代語訳と意味
みかぐらうた「七下り目」の第8首「八ッ やしきハかみのでんぢやで まいたるたねハみなはへる」は、天理教の聖地である「おぢば(元の屋敷)」が親神様の田地であり、そこでの行いや心遣いが必ず結果として現れることを教えるお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、日々の「種まき(ひのきしんや心遣い)」の重要性を深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- やしき(屋敷):人間創造の元初まりの場所であり、親神様がお鎮まりくださる「ぢば」のある所を指します。
- かみのでんぢ(神の田地):親神様からの豊かなご守護や恵みが生み出される特別な場所のことです。この田地に尽くし、運ぶ「ひのきしん」の理は、一粒万倍となって返ってきます。
- まいたるたねハみなはへる(蒔いた種は皆生える):世間では「蒔かぬ種は生えぬ」と言いますが、蒔いた種がすべて育つとは限りません。しかし、神の田地である「おぢば」では、蒔いた種は一つ残らず生えてきます。誠真実の種(良い行い)を蒔けば末代の徳となり珍しいたすけが現れますが、不足の種(悪い心)を蒔けば不足の芽が出ることへの戒めでもあります。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「七下り目8」を通して、私たちはおぢばの特別な理と、日々の行い(種まき)の大切さを学びます。
- おぢば(屋敷)は親神様の田地であり、無限のご守護が生み出される場所であること
- おぢばに蒔いた種(心遣いやひのきしん)は、善悪ともに必ず生えて結果となるという教理
- だからこそ、悪い種(不足や欲)ではなく、誠真実という良い種を自発的に蒔き続ける姿勢が大切であること
七下り目9の原文と現代語訳
原文
九ッ こゝハこのよのでんぢなら
わしもしつかりたねをまこ
現代語訳
この元のやしき(おぢば)が、親神様の豊かなご守護によって天の与えが芽生え実る「この世界の田地」であると教えられたからには。私も、この神の田地にしっかりと、誠真実の種(ひのきしんや、たすけ一条の行い)を進んで蒔かせていただこう。
短い意味
「このおぢばが、親神様の豊かなご守護が芽生える『この世の田地』であると聞かせていただいたからには、私もしっかりと誠真実の種(ひのきしん)を蒔かせていただこう」という、人間の決意を歌ったお歌です。
みかぐらうた「七下り目9」の現代語訳と意味
みかぐらうた「七下り目」の第9首「九ッ こゝハこのよのでんぢなら わしもしつかりたねをまこ」は、親神様のご守護があふれる「おぢば」を田地に例え、そこに「誠真実の種」を蒔こうとする信仰者の強い決意を表したお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、天理教における「種まき」と「ひのきしん」の重要性を深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- こゝ(此処):親神様がお鎮まりくださる元初まりの場所、「元のやしき(おぢば)」を指しています。
- このよのでんぢ(この世の田地):単なる農地ではなく、親神様の無限のご守護や天の恵みが生み出される特別な場所(神の田地)のことです。
- わしもしつかりたねをまこ(私もしっかり種を蒔こう):第5首(五ツ)や第7首(七ッ)と同様に、人間の立場からの言葉として歌われています。親神様の教えに心から納得し、自発的に「誠真実の種(ひのきしんやたすけの行い)」を蒔かせていただこうという強い決意が示されています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「七下り目9」を通して、私たちは自発的な信仰の実践の大切さを学びます。
- おぢばが、豊かなご守護が芽生える「この世の田地」であるという教理への深い納得
- 親神様から命じられるのではなく、「私もしっかり種を蒔こう」と自ら進んで行動する自発的な信仰姿勢
- この誠真実の種まき(ひのきしん)が、次のお歌(十ド)で示される、肥料を置かずとも豊かな収穫(ご守護)を得られるという究極の喜びへと繋がっていくこと
七下り目10の原文と現代語訳
原文
十ド このたびいちれつに
ようこそたねをまきにきた
たねをまいたるそのかたハ
こえをおかずにつくりとり
現代語訳
とうとうこの度、世界一列の人々が皆そろって、よくぞこの元のやしき(ぢば)へ誠真実の種を蒔き(ひのきしんをし)に帰って来てくれました。この神の田地に誠真実の種を蒔いた者は、目に見える肥料(金肥や人肥など)を置かずとも、親神様の自由自在なご守護によって一粒万倍の豊かな恵み(天の与え)を作り取ることができるのです。
短い意味
「とうとうこの度、世界中の人々が揃ってぢばへ誠真実の種(ひのきしん)を蒔きに来てくれた。この種を蒔いた者は、肥料をやらなくても豊かなご守護を受け取れるのである」という、豊かな実りを約束するお歌です。
みかぐらうた「七下り目10」の現代語訳と意味
みかぐらうた「七下り目」の最後を締めくくる第10首「十ド このたびいちれつに ようこそたねをまきにきた たねをまいたるそのかたハ こえをおかずにつくりとり」は、親神様がおぢばへ帰参してひのきしんをする人々をねぎらい、その誠の種がもたらす豊かな実り(ご守護)を約束してくださるお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、天理教において「ひのきしんの種まき」がどれほどの恵みをもたらすのかを深く理解することができます。
重要キーワードの解釈
- このたびいちれつに:「このたびは、みんなそろって」という意味です。世界中の人々がこの理に目覚め、打ち連れて帰ってくる姿を喜ばれる親神様のお心が表れています。
- ようこそたねをまきにきた:よくぞ、誠真実の種(尽くす、運ぶ、たすけるなどのひのきしんの行い)をお屋敷(神の田地)に蒔きに来てくれた、という親神様からの温かいねぎらいのお言葉です。
- こえをおかずにつくりとり:「こえ」とは金肥や堆肥など目に見える肥料のことです。通常の農業では肥料なしに十分な収穫は得られませんが、ぢばという「神の田地」に蒔いた無形の誠真実の種は、人間の力や目に見える肥料に頼らなくとも、親神様のお働きによって一粒万倍の不思議なご守護となって返ってくるという確かな請け合いを意味します。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「七下り目10」を通して、私たちはひのきしん(種まき)の喜びと親神様のご守護の確かさを学びます。
- ぢば(神の田地)に誠真実の種を蒔くこと(ひのきしん)を、親神様が「ようこそ」と大いに喜んで受け取ってくださるという確信
- 蒔いた誠真実の種は、目に見える肥料や人間の力に頼らなくとも、親神様のご守護によって必ず豊かな実り(たすけ)となって現れるという教理
- 七下り目全体を通して説かれた「田地」と「種まき」の比喩の結論として、自発的なひのきしんが自他のたすかりと陽気ぐらしに直結することが示されている点

