明治三十七年四月二十二日
平野楢蔵身上眼なり脳が上ぼせ耳が聞こえ難くう御座りますという処の願明治三十七年九月三十日
中和分教会従来植田楢松分教会長たりし処都合にて辞職に付、後担任平野楢蔵に変更願明治三十七年七月一日
村田熊三郎妻せい三十一才身上願明治三十七年四月二十八日
おさづけ御運び済みし後のおさしづ明治三十七年十月二十二日
富田伝次郎妻たき六十才身上願明治三十七年七月十五日
越智久八妻ヒサヨ三十才身上願(高知部内愛豫支教会長妻)明治三十七年五月十三日
本席宅の南の東方へ親神様を祀る所一間半建て出し願明治三十七年十一月二日
本席身上御障りに付願明治三十七年九月十一日
福原惣太郎三十七才身上願(湖東部内筑紫支教会理事)明治三十七年五月十六日
桝井政治郎妻スヱ三十九才安産後の身上障りに付願明治三十七年十一月五日
この間結構におさしづを頂きしに付、昨夜居合わす本部員協議を遂げましたが、何分に目下人少なにて、十月大祭には役員皆本部へ帰ります故一同揃いました上、十分協議を為し御願いに出ますと願明治三十七年九月十二日
鶴巻吉三郎三十八才身上願(湖東部内北蒲原出張所長)明治三十七年五月二十二日
本部墓所に桁行八間梁行三間の祭場建築願明治三十七年十一月二十七日
増田亀次郎身上願明治三十七年十月十九日
吉岡岩蔵五十九才身上願(兵神部内加古支教会会計)明治三十七年二月六日
本部にてこれまで寄付者に御与えして居りました瀬戸物の盃を塗物の盃にさして頂き度く願明治三十七年五月二十二日
山沢為造家を他へ移す願明治三十七年十二月十四日
過日のおさしづにより、一同協議の上第一部下を養成するに対し、以前教会に関係ある本部員整理のためその教会に赴き、関係の無き教会は教長の命により、神様の御許し頂戴の上それぞれ教会に養成するため出張する願明治三十七年二月二十五日(陰暦正月十日)
この度神道本局より天理教会長に対し内務省の達しには、教長是非上京せよとの事に付、明日より上京する事御許しの願明治三十七年七月八日
高安分教会長松村吉太郎今般都合により中谷に変更の願明治三十七年十二月十六日
本部節会の事に付一同協議の結果本部長へ申し上げ、本年は日露の戦役にて国家多端の折柄に付、本年に限り節会見合わす事願明治三十七年三月三日
泉支教会役員茶谷佐平妻さだ四十八才身上願明治三十七年七月十一日
増井幾太郎四十二才小東フミ二十八才結婚御許しの儀願明治三十七年十二月十七日
寺田半兵衞身上願明治三十七年三月四日
旭日支教会元永原講へ教祖赤衣御下付相成りし処、支教会の教祖殿へ御祀りする願明治三十七年七月二十七日
本席身上御障りに付願明治三十七年十二月二十二日
松村ノブ三十七才身上願明治三十七年三月十七日
宇佐部内都郷布教所を犀川と改称の上、移転及び担任変更願明治三十七年八月五日
兵神分教会長富田伜米太郎長男米雄生後九十日咽喉身上願明治三十七年十二月三十一日
増田亀次郎三十六才身上願明治三十七年三月二十日
中津支教会長泉田藤吉身上願明治三十七年八月九日
船場部内島船出張所担任城戸清次郎を以て一度府庁へ願い致せし処却下に付、分教会長兼務の願明治三十七年三月二十八日
大谷久則二十五才池馬之助次女おすゑ二十四才縁談事情願(高知部内浜田支教会大谷、同高岡支教会理事池)明治三十七年三月二十六日
山本利八八十六才身上願明治三十七年八月二十三日
日露戦争に付、天理教会に於て出征軍人戦死者の子弟学資補助会組織致し度く願明治三十七年三月三十日
上田与三郎五十二才妻くに四十九才身上願(奈良支教会)明治三十七年三月二十九日
教長御上京の時内務省宗教局長より金米糖御供の事に付種々話しの結果、洗米と改め下付する事一同協議の上願明治三十七年九月十日
深谷源次郎六十二才身上願明治三十七年五月九日
山中栄蔵四十七才木下おきく三十七才結婚願明治三十七年四月三日
御供の事に付おさづけの上より一統協議致し、種々教長へ申し上げ、教長のお話し下されし上より、洗米に改めさして頂き度き事に付、一統決議の上御願明治三十七年九月十五日(陰暦八月六日)
増野道興昨年東京方へ学問修行に出ました処御詫び申し上げ、本年も再度修行に上京致し度く、もっとも在京中に脚気病悩み帰宅後全癒、十五日前に左の肩怪我致し居り、再度上京の儀御許し願明治三十七年五月二十五日
村田幸助養子に付伺(村田幸助の養子を貰い受けしに、やむを得ざる事情から、その者は親里へ返し、今度改めて南本武平の六男留吉二十二才を貰い受け度き儀願)明治三十七年四月十日
湖東分教会長佐治登喜治良次男正則四才身上願明治三十七年九月二十六日
仲田楢吉四十一才身上願明治三十七年六月十一日
安村甚松五十才身上願(郡山部内中背支教会長)明治三十七年四月二十一日
堺支教会担任高井猶吉の処、理事南野好松に変更願明治三十七年九月二十七日
諸井国三郎三女甲子緑川直次次男忠次郎を養子にとの内談整い居りますに付、国三郎心得まで願明治三十七年六月十九日
北嶋友五郎妻三十七才身上願(撫養部内香川支教会長)