皆さんは「布教」と聞くと、どのようなイメージを思い浮かべますか? 「なんだか難しそう」「勇気が出ない」と、少し身構えてしまう方もいるかもしれません。
毎年9月は、天理教において「にをいがけ強調の月」と定められています。この記事では、気負わずにできる「自分なりの種蒔き」のあり方について、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
「にをいがけ」は、誰かの背中を押すきっかけ
ある教会長さんは、SNSを通じて出会った方々をおぢばへ案内する活動をされています。驚くことに、その教会では一年を通じて数百人もの方が、自らの意志で初めてのおぢば帰りを果たしているそうです。
その教会長さんは、おぢば帰りの申し込みが増える理由をこう推察しています。「『にをいがけ強調の月』などに、多くの教友が街頭でひのきしんをしている姿を見て、天理教に興味を持って検索する人が増えているのではないか」と。
私たちが路傍で立ち止まり、声をかけるその小さな行動が、巡り巡って誰かの「おぢば帰り」という大きな勇気に繋がっているかもしれない。そう思うと、なんだかワクワクしませんか?
「種蒔き」とは、親心を届けること
『稿本天理教教祖伝逸話篇』には、こんな教えがあります。
あんたは、種市さんや。あんたは、種を蒔くのやで。……種を蒔くというのは、あちこち歩いて、天理王の話をして廻わるのやで。
布教というと、つい「目に見える結果」を求めて焦ってしまうことがあります。しかし、何よりも大切なのは、親神様のご存在と、私たちに対する親心を一人でも多くの方にお伝えするという「思い」そのものなのではないでしょうか。
今、自分にできることから
9月は始まったばかり。日中はまだまだ暑い日が続きますが、一日一時間でも、あるいは身近な誰かに優しく声をかけることでも、それは立派な「種蒔き」になります。
まずは難しく考えず、ご恩報じの思いを胸に、自分ができる精いっぱいの行動を積み重ねてみませんか。今回の記事の詳細は、ぜひ元記事でもチェックしてみてくださいね。


