小説家・三島由紀夫が天理教に抱いた「好意」の正体とは?

名作『金閣寺』の発表から70年。日本文学を代表する作家・三島由紀夫氏の作品の中に、天理教に関連する描写が登場することをご存じでしょうか。実は三島氏は、天理教に対して特別な想いを寄せていました。

なぜ、偉大な文豪が天理教に関心を持ったのか。その背景には、信仰者であった一人の「伯母」の存在がありました。

文豪が惹かれた「信仰者の姿」

三島氏の著書やインタビューを紐解くと、『金閣寺』での教会描写や、『愛の渇き』に登場する「ひのきしん(※1)」や「よろづよ八首(※2)」の引用など、天理教との深い関わりが見えてきます。

三島氏はインタビューの中で、「天理教に対しては宗教として一番の好意と関心を持っています」と公言しています。その理由は、教理を体系的に学んだからというよりも、身近な伯母の生き方に感銘を受けたことにあったようです。

「親類中一番幸福な人」である伯母は、明るく朗らかで、物欲がなく、自分のことはほっておいても他人のお世話をせずにおられない非常に思いやりの深い人であったという。

「この人はなぜ、こんなに穏やかで人を想えるのだろう」。その疑問の答えが、伯母の信仰にありました。三島氏はその人柄に触れ、天理教という教えに対して自然と信頼と好意を抱くようになったのです。

私たちの「日常」が、教えの証となる

教えを言葉で伝えることはもちろん大切です。しかし、この逸話は私たちに一つの大切な気づきを与えてくれます。それは「信仰者の日常の姿こそが、何よりも力強いメッセージになる」ということです。

ふとした振る舞いや、穏やかな眼差し、目の前の人に寄り添う姿勢。そうした日々の「通り方」そのものが、誰かにとっての「お道との出会い」になります。私たちが生きる姿そのものが、教えを雄弁に物語っているのかもしれませんね。

(※1)ひのきしん:日々の生活の中で行う、感謝の心による奉仕活動のこと。
(※2)よろづよ八首:天理教のおつとめの中で唱えられる、大切な教えが込められた歌。

今回のコラムの詳細については、元記事(三島由紀夫氏と天理教 – 視点 | 天理時報オンライン)はこちらからご覧いただけます。信仰者として、日々の生き方をあらためて見つめ直すきっかけにしてみてはいかがでしょうか。