「袖振り合うも」の教え。日常の些細な出会いに魂の深みを見つける

日々の暮らしの中で、誰かとふと触れ合ったり、すれ違ったりしたことはありませんか?そんな些細な出来事さえも、実は深い縁で結ばれているのかもしれません。

今回は、天理時報の連載「成人へのビジョン」から、教会長さんの心温まるエピソードをご紹介します。おつとめの最中にふと感じた気づきから、現代を生きる私たちが大切にしたい「人と人とのつながり」について一緒に考えてみませんか。

おつとめ中に気づいた「ずれ」と「距離」

ある月次祭(つきなみさい)での出来事です。ご夫婦でおつとめ(てをどり)を勤めていた際、奥様の袖がふと触れました。「妻が近づいてきたのかな」と思った筆者でしたが、確認してみると、奥様は正しい位置で真っ直ぐ前を見つめていました。寄っていたのは、自分の方だったのです。

その瞬間のことを、筆者はこう振り返ります。

「ああ、私たちらしいな」と、ふと心が軽くなりました。そしてすぐ、正しい位置へと身体を戻しました。

自分の心の「ずれ」を素直に認め、修正する。そんな何気ない動作の中に、夫婦として、信仰者としてのあり方が見えてきます。

「いんねん」という名の目に見えない絆

昔から「袖振り合うも他生の縁」と言われます。お道でも、夫婦や親子となるのは、前世からの深い「いんねん(因縁)」があるからこそだと教えられます。

現代はデジタル化が進み、人と人が直接触れ合う機会は少なくなりました。「目に見える現実がすべて」と考えがちですが、信仰の視点を持つと、目の前の景色は少し違って見えてきます。すべての出会いを「親神様が用意してくださった陽気ぐらしへの道」と受け止めることで、何気ない日常に魂の奥行きが生まれるのです。

損得を超えた「恩の報じ合い」を目指して

信仰の世界には「恩の報じ合い」という言葉があります。前世でどのような縁があったのかは誰にも分かりませんが、この言葉には、損得勘定を超えた豊かな響きがあります。

日々の生活で心が「ずれた」としても、それに気づき、また元の位置に戻せばいい。そんな温かい眼差しで周りと接することが、私たちをより豊かな「陽気ぐらし」へと導いてくれるはずです。

筆者による、心に響くエッセイの全編は、ぜひ元記事でご覧ください。
元記事(袖振り合うも – 成人へのビジョン 47 | 天理時報オンライン)はこちら