病気のタカラ箱
病気のタカラ箱 岡山県在住 山﨑 石根 令和6年12月4日、長男が天理教教会本部の教祖殿にて、おさづけの理を拝戴しました。 おさづけの理とは、病む人に取り次いで病気の回復のご守護を願う、何よりも尊い天の与えです。別席という神様の大切なお話を9回、繰り返し聞かせて頂くことで心を入れ替え、たすけ一条を誓って願い出るところに、天理教教祖「おやさま」から、真柱様を通してお授け下さる効能の理です。 この日を迎えるにあたり、長男も昨年の2月から毎月お話を聞かせて頂き、この日を以て無事に拝戴する運びとなりました。私たち夫婦は、教祖殿の参拝場の後方でドキドキしながらその瞬間を待ちわびていたのですが、妻はこの緊張感を「なんか出産に立ち会っているみたいやわぁ」と表現していました。 また、偶然にもその時、教祖殿で若いお母さんが、赤ちゃんをおんぶひもで抱っこしながら、2歳くらいの男の子に一生懸命おさづけを取り次いでおられました。ふと隣を見ると、妻が「あぁ、何かうちの長男と次男を思い出すわぁ。私もああやって何回も取り次いだなぁ」と感極まって涙を流していました。 というのも、実際に5人いる兄弟の中で、なぜか長男だけが本当によく病気を経験する子どもだったからなのです。彦摩呂さんみたいな比喩表現になりますが、「あんたは、まるで病気の宝箱やなぁ」と言うほど色々な病気を経験し、その度に私たち夫婦はこれまで幾度となく彼におさづけの取り次ぎをしてきたのです。 長男は幼い頃から熱性けいれんを持っていました。病気の知識のない私たち夫婦が、初めて彼の発作を目の当たりにした時は、白目を向いて口から泡を吹き、手足を震わす姿に、気が動転してパニックになったことを今でもよく覚えています。 それが熱性けいれんという病気だと教えてもらい、高熱が出る時に発作が起きるという理由から、発熱の兆候が見られたら必ずけいれん予防の座薬を入れるということを、彼が小学校に上がるまで繰り返していました。 とはいえ子どもなので、気がつかないうちに高熱が出て、発作を起こしてしまうことも度々でした。 熱が出る度に座薬を入れられるので、成長とともに「弟や妹たちはそんなことしないのに、なんで僕だけがこんなことされるん?」と、いつも大泣きしながら訴えていたのが、昨日のことのように思い出されます。 3歳の頃には弱視と診断され、その治療のためにメガネをかけることを余儀なくされ、就学前にはアイパッチという眼帯で片目をふさいで生活するという苦労も経験しました。さらに6歳の時には、盲腸の手術で初めての入院も経験。手術後には成人なら輸血が必要なレベルの貧血という診断を受け、しばらく鉄剤を服用したこともありました。 私は毎日々々、彼の目におさづけを取り次ぎましたし、熱性けいれんが起きる度に、何か病気になる度に、教会家族の誰かが彼におさづけを取り次いできたのでした。 4歳ぐらいの時には不思議な体験もしました。母親を追いかけて階段を上がっている時に、3、4段上から落ちてしまい、気を失いました。その時、妻が神殿まで抱っこして連れて行き、駆けつけた父が一心不乱におさづけを取り次ぐと、最後の柏手と同時に意識を取り戻したのです。 誠に鮮やかな神様のご守護を目の当たりにしながらも、すでに119番に連絡を入れていたので、念のため脳に影響がないかを確認するとの理由で搬送され、生まれて初めて救急車に乗るという経験もしました。 このように、思い出せるだけでも、まるで病気の宝箱のように、なぜか長男だけがたくさんの経験をしました。その都度々々に私たち夫婦や家族のおさづけの取り次ぎがあったことを思う時、「今度はこの子が人だすけのために取り次ぐ側になれるんだなぁ」と、教祖の御前で一入感慨深い気持ちが湧き上がってきました。 おさづけの理の拝戴後、教祖殿で見た親子連れの光景を妻が長男に伝えました。 「お母ちゃんはな、なんかあんたら兄弟を思い出して、涙が出てきたわぁ。ほんま大きなったなぁ」と言いながら、妻は再び涙を流していました。 「これまでいっぱい色んな人におさづけしてもらってきたんやから、今度はあんたがおさづけいっぱいしてなぁ」と、顔をくしゃくしゃにしながらお願いする妻に、長男は、「おーん」と照れくさそうな返事をするだけでしたが、この妻の涙に何かを感じてくれたはずだと信じてやみません。 天理教の教えを知らない人からすれば、「こんなに病気ばかりして、辛い人生だ」と思うかも知れませんが、私たちの教えは「この病気の経験があったからこそ」と、喜びに変えられる信仰なのです。 私は長男に、「あんたは病気の宝箱のような人生だっただろうけど、やっぱり病気っていうものは経験した人しかその辛さや苦しさって分かってあげられないから、人の何倍も色んな病気を経験しているあんたは、人の何倍も病気をする人の気持ちが分かるはずなんやで。だからこそ、もしかしたら神様が、おさづけを取り次がせるために、あんたにそういうかけがえのない経験をあえて与えてくれたんかも知れへん。そういう意味ではホントの宝やなぁ…」と伝えました。 彼に想いが届いたかどうか分かりませんが、これは私たち夫婦の本音です。おやさま、彼に病気という宝物をくださり、ありがとうございました。そして、どうかこの子をおたすけの出来る子にお育てくださいませ。 だけど有難い「分かる」 「分かる」という言葉は、辞書を見ると、「理解する」「承知する」「了解する」「判明する」といった意味があります。「窓を閉めてね」「分かった」、「ご飯できたよ」「分かった」、「勉強しなさいよ」「分かった」と、こんなふうに使いますね。珍しい使い方としては、「話の分かる人」という表現があります。辞書には、こうしたことが書いてあります。しかし載っているのは、ここまでです。 私は「分かる」という言葉には、もっと深い意味があると思うのです。それは「納得する」とか、「得心する」という意味です。そういう意味が、この言葉には確かにあったはずなのです。辞書だけではありません。いまの若い人たちに、この意味の「分かる」は通じないのではないかと思うことがあります。それでもなかには、心にしっかり治まっている人もいるようです。 全盲のピアニスト、辻井伸行さんが、アメリカのヴァン・クライバーンピアノコンクールで優勝しました。彼がそのときの記者会見で話した内容に、私は心を打たれました。「もし、一日だけ目が見えるとしたら、何が見たいですか?」という質問に対して、「両親や友人の顔が見たい」「海とか花火が見たい」などといくつか答えを挙げた後で、「でも、心の目で見ているから、いまのままで十分です」と言ったのです。私は驚きました。この二十歳の青年は、生きていることの素晴らしさ、ご守護の有難さが分かっているのです。 親神様は、 めへ/\のみのうちよりのかりものを しらずにいてハなにもわからん (三 137) と仰せくださいます。いま私たちは、こうして元気な体を貸し与えていただいています。たとえ病気であっても、事情に悩んでいても、親神様のご守護をすでに十分頂いています。このことが有難いということを、本当に分かっているでしょうか。 わかるよふむねのうちよりしやんせよ 人たすけたらわがみたすかる (三 47) ここで仰せられる「分かる」は、「窓を閉めてね」「分かった」というような意味ではないのです。心の底から、ああそうやなあ、本当やなあ、と得心することなのです。 なぜ、人をたすけたら自分がたすかるのか。これは実行しなければ分かりません。やってみて初めて分かるのです。それが分かったら人生の意味が分かる、人生の目的が分かる。そして、幸せを実感できるのです。かしもの・かりものの理が分かり、おたすけの値打ちが分かる人間に成人させていただきましょう。 (終)