SNSたすけ
SNSたすけ 千葉県在住 中臺 眞治 四年前、世間はコロナ禍となり、私たち家族も「ステイホーム」ということで、教会の中で過ごしていましたが、元々信者さんが一人もいない教会なので、何をしたらいいのか分からないという日々でした。そうした状況の中、私自身、神様から何かを問われているような気がして、夫婦でよく相談をしていました。 そんなある日、天理教青年会主催の「SNSたすけセミナー」が開催され、私も参加しました。「SNSたすけ」とは、SNS上で「生きる気力がない」というようなメッセージを発信している方とつながりを持ち、相談に乗る活動です。そして、必要な場合には教会で受け入れ、衣食住を提供しながら、その方が生き抜いていけるように手だすけをします。 私どもの教会には空いている部屋がいくつかあるので、これなら自分たちにも出来ると思い、妻と半年ほどの相談期間を経て、コロナ禍の令和3年3月に始め、現在まで29名を受け入れました。 活動を始めて間もない頃、ある30代の女性、Aさんとつながりができました。Aさんはすでに自ら命を絶つ日を決めていて、その日までのカウントダウンを日々SNS上で更新しながら、一緒に死んでくれる人を募っていました。 もしかしたら、教会の中で自殺してしまう可能性もあり、妻にその不安を話しましたが、最終的には二人で覚悟を決め、教会でお預かりすることになりました。 教会で暮らし始めてからも、カウントダウンは日々更新され、心配な状況は続きましたが、うちの子供たちを可愛がってくれたり、他の入居者の方とテレビを見ながら大笑いしたりと、楽しそうな姿も見られました。 日によって色々なことがありましたが、数週間が経った頃、Aさんがふと「今は死にたいなんて全く思わないです」と話してくれたことがあり、私たち夫婦もとても嬉しい気持ちになりました。おそらくAさんは、教会で入居者の方や私たち家族と共に過ごすうちに、それまで感じていた孤独感や絶望感が徐々に心の中から消えていったのだと思います。 その後、Aさんのお父さんが教会へお礼に来てくださいました。 「心配でしたが、家族にはどうすることも出来ませんでした。この教会にお世話になっていなかったら、娘は生きていなかったと思います」と、涙を浮かべて話してくださいました。 私たちが何か特別なことをしたわけではありません。振り返ってみると、神様がAさんにとってちょうどいい人との縁を、その時その時に応じてつないでくださっていたのだと思います。 Aさんはその後、一年ほど教会で暮らしながら仕事に通っていました。そして教会を出た一年後に結婚し、先日、生まれたばかりの赤ちゃんを連れて教会を訪ねて来られ、共に喜びを分かち合いました。 SNSたすけでは、Aさんのように嬉しい出会いや別れもあれば、やるせなさが残る出会いや別れもあります。しかし、それらの縁はすべて神様がつないでくださっているのだと思う時、このおたすけは、私たち夫婦にとっての有難い学びの場であると感じることができるのです。 また、こうした活動は私たち夫婦の力だけでできるものではありません。アドバイスをして下さる方、寄付などで協力をして下さる方、トラブルがあっても許して下さる近隣住民の方など、活動を理解し、応援して下さる方々のおかげで継続できている活動です。そのことを思う時、私たちもたすけて頂いているのだなあと温かい気持ちになり、困っている人を前にした時には、自分にできることを何かさせてもらおうという気持ちになるのです。 私自身、コロナ禍を振り返ってみて思うことがあります。この期間、「ソーシャルディスタンス」や「ステイホーム」が叫ばれ、人との距離をとることが大切にされる一方で、孤立や貧困の問題が浮き彫りになり、そうした報道が連日のようにされていました。 こうした社会状況にも神様の親心が込められているのだとすれば、私たち夫婦が神様から問われていたのは、信仰の有無にかかわらず色々な人と出会い、たすけ合うという生き方であったのではないかと感じています。 天理教の原典「おふでさき」では、 たん/\となに事にてもこのよふわ 神のからだやしやんしてみよ (三 40、135) にち/\にをやのしやんとゆうものわ たすけるもよふばかりをもてる (十四 35) と記され、この世の中は神様の懐住まいであり、神様は人間に陽気ぐらしをさせてやりたいという思いいっぱいでご守護を下さり、導いて下さっているのだと教えられます。 つまり、平穏無事な日々はもちろんですが、目の前で起こる困難にも、陽気ぐらしをさせてやりたいという神様の親心が込められているのであり、それに対してどう応えさせてもらうのか、と思案することで陽気な生き方へと軌道修正していくことができるのだと思います。 悲しみや苦しみに遭遇した時には、「どうしてこんなことが起こるのか」と落ち込んでしまうこともあります。悲しみが深ければ、それが神様の親心だとはとても思えない時もあるでしょう。そうした中で、どう応えさせてもらおうかと思案を重ねるのは簡単なことではありません。 しかし、それでもなお、「たすけるもよふばかりをもてる」とまで仰せられる、その温かい親心だけは忘れずに生き抜いていくことが、大切なのではないかと感じています。 むらかたはやくにたすけたい 天理教教祖・中山みき様「おやさま」が教えられた「みかぐらうた」に、 むらかたはやくにたすけたい なれどこゝろがわからいで (四下り目 六ッ) なにかよろづのたすけあい むねのうちよりしあんせよ (四下り目 七ッ) とあります。 村方とは、地元の人、お屋敷周辺に住まう人々のことです。近くにいる者なら尚更早くたすけたいが、なかなか神の思惑を分かってくれない、そのもどかしさが表れています。 それまでも教祖に身近に接していた近隣の人にすれば、月日のやしろとなられてからの行動は、到底理解できるものではありませんでした。「貧に落ち切れ」との親神様の思召しのままに、食べ物や着る物、金銭まで次々に施され、ついには家形まで取り払う様を側で見て、「あの人もとうとう気が違ったか。いや、憑きものやそうな」と嘲笑を浴びせ、ついには訪ねる者さえいなくなったのでした。 そうした中、教祖自らお針の師匠をつとめられ、決して教祖が憑きものでないことを人々に理解させたり、さらに安産のご守護である「をびや許し」をきっかけとして、おたすけを願い出る人が少しずつ出始めたのです。 直筆による「おふでさき」には、 村かたハなをもたすけをせへている はやくしやんをしてくれるよふ (四 78) せかいぢう神のたあにハみなわがこ 一れつハみなをやとをもゑよ (四 79) とあります。 村方の人々が、親神様を真実の親として慕い仰ぐようになれば、教祖のされることに疑いを持たず、子供として素直についていくことができる。そのために教祖は不思議なたすけを相次いで見せられ、やがて教祖を生き神様と慕い寄る大勢の人々で、お屋敷は賑わうようになっていったのです。 さらに教祖は、「なにかよろづのたすけあい」と、信心の歩みの目指すべき姿として、「たすけ合い」ということを仰せになり、それについて心の底からよく思案をするようにと教えられています。 「おふでさき」に、 このさきハせかいぢううハ一れつに よろづたがいにたすけするなら (十二 93) 月日にもその心をばうけとりて どんなたすけもするとをもゑよ (十二 94) とあります。 世界中の誰もが人をたすける心になって、たすけ合いを実践できれば、親神様はその心を受け取って、どんなたすけもすると仰せられます。そこに至るまでにまず、「むらかた」と示される、身近な人々に親神様の思召を伝えること。その大切さを、教祖は身をもってお教えくだされたのです。 (終)