生きるためには、たくさんのものを食べなければなりません。
タンパク質、炭水化物、糖分、塩分、ビタミン、カルシウム、食物繊維・・・
数え上げればきりがない、これら栄養素。
人は、生きるのに必要なそれらを、自分で作り出すことができません。世界から取り込む必要がある。
私たちは、そういうふうにつくられています。
だから、食べる。食べ続ける。食べて、エネルギーとし、血肉とし、排出する。
それが「私」の身体を形作っています。
同じように、私たちは、たくさんの言葉を「食べて」います。
赤ちゃんは、聞こえてくる言葉を自分の中へと取り込んで、言葉を覚えます。
それが日本語なら日本語、英語なら英語、ロシア語ならロシア語。人は置かれた環境の言葉を身につけます。
人は、生きるのに必要な言葉を、自分で作り出してはいません。
まわりに存在する言葉を耳で食べ、消化・吸収しているのです。
それは次第に、「私」の心(世界観)を形作っていきます。
声は、肥。
言葉は食べ物です。
だから、心に良いものもあれば、悪いものもあります。
挨拶、お礼、感謝、祈り、肯定…
不平、不満、愚痴、恨み、否定…
それらは栄養素(もしくは毒素)のように、人が取り込むとさまざまな作用を及ぼします。
言葉は相対です。
だから、どちらか一方だけを知ることはできません。
しょっぱさが甘さを引き立てる。人は酸いも甘いも様々な言葉を食べて成長していく。
大切なのは、そのバランス。健康な味覚の持ち主であれば、スパイスはちょっとで十分かもしれません。
北原照久氏に、次の言葉があります。
体は食べたものでつくられる。
心は聞いた言葉でつくられる。
未来は話した言葉でつくられる。
言葉は心をつくり、未来をつくる。言葉は結果であり、同時に原因なのです。
それは、私たちの生を肥やしも、痩せ細らせもする。
声は、肥。
なのです。
親は、赤ちゃんが口にするものに、細心の注意を払います。
私たちが聞く言葉、出す言葉に対しても、それと同じだけの注意を払えたなら。
なぜなら言葉は、それを耳にした人の心に、かならず取り込まれ、作用するから。
三ツ星レストランに行かなくても、私たちは美味しい言葉を口にすることができます。
現実に合わせた言葉に甘んじることはありません。
むしろ、言葉が、現実をリードする。言葉が、現実を先駆ける。だから、望む言葉(世界)を口に出す。
あなたが大切に使えば、「口は幸福のもと」なのです。
最高の料理と毎日食べる米。
一生のお守りと普段の活力。
箭内道彦氏は、「いい上司・先輩」の条件を尋ねられて、次のように答えています。
相手が一生忘れない、一生の勇気やお守りになるような言葉を、どこかのタイミングで、一回だけでもいいから言えることなんじゃないかと思います。
これは、言葉の最高の瞬間です。
私もそんな一言を受け取った一人です。恩師の言葉はいまも私を生かしてくれる。いつかは私もそんな言葉を大事な人にかけてあげたい。それを諦めたくはありません。
けれども、それは簡単なことではありません。言葉には、その人の人間性がでる。言葉と私という存在が、ぴったり重なってなければいけない。何度となく、言葉が出ずに悔しい思いをしました。
しかしまた、私たちの日々の食生活は、そんな最高の料理ばかりで営まれるわけではありません。
最高の料理は、主食にはなりえない。
だからまずは、米やパンのような主食、つまり、普段口にする言葉から見直してみるといいかもしれません。
他愛もない、いつも口にする言葉、ありふれた言葉が、私たちの日々を織りなしている。
ありがとう、おつかれさま、うれしい、たのしい、おいしい、おかえり、ただいま───。
それはきっと、私たちにとって必要な栄養素、普段の活力なのです。毎日の食事が、私たちの健康な生活を支えている。それは大切なベース(基盤)です。
幸い、最高のセリフならぬ主食たる言葉は、私の手の届くところにあります。意識して用いることができる。だからこそ、大切にしたいと思います。
言葉は魔法だ。
信じる人に、魔力は宿る。
言葉は、一生の勇気やお守りになる。
それは、魔法です。私たちは魔法を使っている。そして、そのことを忘れ去っている。
魔力の宿らない言葉、機械的な言葉の反復にさらされている。現実追認の罠に陥っている。私たちは言葉の力を奪われている。
そうではない。それだけが言葉、ではない。
声は、肥。
それは、私たちの生を豊かに肥えさす力。言葉は想像させ、創造を可能にする。
「言葉の力」を謳う書籍は巷に溢れています。人によっては、陳腐に感じてしまうほどに。
それでも、私は、次のことを主張したい。
人は言葉を食べて、生きている。
言葉が、私たちの生を肥えさす。
それを言うには、いくつもの、条件や補足を従えなければいけないのかもしれない。
でも、それを抜きに、そのことを信じたいし、あなたにも信じてもらいたいと思うのです。
なぜなら、信じないことには、人は変われないのだから。
信じることを抜きに、人に向けて「ものを書く」なんて行為、虚しくてできないのだから。
この『旅寝言』もまた、そうした魔法でありたいと願う言葉です。
文:可児義孝 絵:たづこ
tabinegoto#28
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