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10年間生き延びてきた言葉。

あれから10年が経とうとしている。

東日本大震災。

その一年後、僕は誰に見せるためでもないエッセイを書いた。
なんの誌面にも載らず、ネット上にも公開されず、ただ、僕のPCのデータとしてだけ残った文章。
わずか13.5KBのデータ。

震災から10年を機に、検索にかけた。
幸い、データは以前のPCから引っ越しを完了していて、見つけ出すことができた。

短い文章だが、読むと当時の心境がよみがえる。

タイトルは「迷惑電話」と付けられていた。

迷惑電話

震災後の重苦しい空気を払拭してくれたのは、一本の迷惑電話だった。

Sさんからの電話はひっきりなしに鳴っていた。

昼夜を問わず日に何度も。
1分もないが、丁寧に名乗り、政治について語る。
一通り批判が済めば決まって「そういうことなんです」と言う。終わりの合図だ。
これが一年は続いた。

それが震災後、パタッと止んだ。

「止んだ」と気付いたのは後のことで、実際はSさんのことを忘れていた。

震災が日常にくっきりと影を落とすある日、電話に出ると変わらないSさんの声が。
内容も相変わらず。まるで震災が嘘のようだった。
けれどもそれを受けた瞬間、私は確かにほっとした。

失われた日常がふいに舞い戻ってきたかのようだった。

何故か胸が熱くなった。

震災はあらゆる価値を反転させた。

高価な宝石や車は、あのとき何をしてくれたか。
水、食料、暖かい布団、それらに勝る何物があったか。

「慣れ」に埋められ底辺と覚えし存在が痛みとともにその輝きを放つ。
ましてや命など──。

今ほど日常の尊さを痛感する日々はない。
被災者の言葉を聴く度に切に思う。
本当に大事なものは、ありふれていることなのだと。

カードゲーム「大富豪」の「革命」を思い出す。
強い者は弱くなり、弱い者は強くなる。
今、震災から一年が経とうとし、革命は徐々に効力を失いつつある。

今日も電話が鳴る。
電話口で迷惑に感じている自分がいる。

(2012・2・6)

自分にできることは、
“精一杯生きる”こと。

「今、震災から一年が経とうとし、革命は徐々に効力を失いつつある」

10年。
僕はもうすっかり、あの重苦しい日々から遠く離れた日常を生きている。

僕は健忘症だ。

僕をよく知る人ならみんな知っていることだが、僕は忘れっぽい。
固有名詞はもちろん、普通は忘れないとされるエピソード記憶までおぼろげだ。

でも、一つだけ覚えていることがある。

「いま自分にできることは、精一杯生きること」

それが当時、僕の出した答えだった。

震災から数カ月後、僕は被災地にいた。
そこでボランティア活動に従事した。
ただ、直接の支援が大切なのは言うまでもないが、それはできる人とできない人がいる。

「精一杯生きる」は、誰にでもできる。

僕のこの日々は、被災地の方々がどんなに望んでも手にすることのできない日々だ。
それを僕は生きている。
そうした思いから出した答えだった。

僕のなかで、10年間生き延びてきた言葉。

それは13.5KBのデータ量にも満たない言葉。

ただやはり、いまこの文字をPCに打ち込みながら恥ずかしく思う自分がいる。

言葉は残ったが、その言葉通りの10年を、僕は送ることができなかった。

───時間だけが癒やすこともあれば、時間が残酷に奪ってしまうなにかもある。

そのことを痛切に感じる。

───

これは「革命は徐々に効力を失いつつある」ことに対抗する言葉の再演だ。

僕たちは折りに触れ、大きな出来事を振り返り、いまの言葉で語り直す必要がある。

節目を「節目」とするために。

文:可児義孝 絵:たづこ

tabinegoto#16

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