駄々っ子ほど抱っこを
ただ、大人は子どもより、もう少し複雑な表現をするので、真意が見えにくい。 他人の行動を「理解できない」と片付けるのは簡単だし、実際、努力しても分かり合えなさばかりが募ることもあります。 でも、もしかしたら、その「理解できなさ」の奥には、精一杯愛情を求めている子どものような心があるのかもしれない。 それが歪んだ表現(それは正当化されないが、満たされない人ほどその傾向にある)を取る場合もありますが、人からの愛情を求める心情そのものは、誰も非難することはできません。そういう意味では「人も私も同じ」です。 そうした心を「私」が持てるかどうか。 もし、分かり合うことのできる地平が広がっているとしたら、その先だと思うのです。 そして残念なことに、その先で、どうしても分かり合えない “他者” との出会いが待っていることもあります。 でもそれは、ちゃんと “向き合った” から “出会えた” のです。 私たちはそこで関係を深めることもできるし、お互いのために関係を断つこともできる。 どちらを選ぶかは私たちの自由です。 僕自身は、子どもたちを見ていると、「駄々をこねるときほど抱っこされるのを待っている」、そう感じています。文:可児義孝 絵:たづこ
tabinegoto#09
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