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それは、愛情モンスター。

買い物の妻。僕は子どもたちとお留守番です。 玄関の音で妻の帰りがわかると、長男(6歳)は急に部屋を片付けだし、顔を出したお母さんに「おかえりー」とご挨拶。その様子から「ぼく、いいこにしてたよ!」という心の声が聞こえてきます。 妹(4歳)は、お母さんが帰ってきたとわかると、キャッキャと玄関まで一直線。「はやくはやく!」と全身でアピールし、抱き上げてもらうのを待っています。 褒められたくてがんばる長男と、抱っこが待ちきれない長女。同じ兄弟姉妹でも、ぜんぜん性格が違います。そんなふたりも、僕が思うに、根底ではきっと同じ気持ちです。それは、 「大好きな親の愛情を感じたい」 ということ。 ふたりは行動や態度こそ違いますが、たくさん褒めてもらいたい長男も、早くギューッとしてほしい長女も、どちらも、親の愛情を感じたい一心です。その表現方法には個性があるし、ときには駄々をこねて親を困らせます。 でも、その行動の奥には、「愛情を感じたい」という、普遍的な心情が働いている。 これは大人だって同じです。

駄々っ子ほど抱っこを

ただ、大人は子どもより、もう少し複雑な表現をするので、真意が見えにくい。 他人の行動を「理解できない」と片付けるのは簡単だし、実際、努力しても分かり合えなさばかりが募ることもあります。 でも、もしかしたら、その「理解できなさ」の奥には、精一杯愛情を求めている子どものような心があるのかもしれない。 それが歪んだ表現(それは正当化されないが、満たされない人ほどその傾向にある)を取る場合もありますが、人からの愛情を求める心情そのものは、誰も非難することはできません。そういう意味では「人も私も同じ」です。 そうした心を「私」が持てるかどうか。 もし、分かり合うことのできる地平が広がっているとしたら、その先だと思うのです。 そして残念なことに、その先で、どうしても分かり合えない “他者” との出会いが待っていることもあります。 でもそれは、ちゃんと “向き合った” から “出会えた” のです。 私たちはそこで関係を深めることもできるし、お互いのために関係を断つこともできる。 どちらを選ぶかは私たちの自由です。 僕自身は、子どもたちを見ていると、「駄々をこねるときほど抱っこされるのを待っている」、そう感じています。

文:可児義孝 絵:たづこ

tabinegoto#09

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