「まだまだ」と言える謙虚な心。生涯をかけて取り組む『おつとめ』の尊さとは

毎日、朝夕に勤める「おつとめ」。皆さんはどんな気持ちで座り、手を振っていらっしゃいますか?今回ご紹介するのは、94歳というご高齢になってもなお、純粋な心でおつとめに励まれるある男性のお話です。

日々のおつとめが、私たちの心にどのような実りをもたらしてくれるのか。ともに考えてみましょう。

生涯を通じて深まる「おつとめ」の心

春までは月次祭のおつとめ奉仕を欠かさず、誰よりも早く教会へ来て参拝者を笑顔で迎えていた94歳の男性がいます。体調を崩された今、ご自宅で静かに過ごされていますが、その信仰心は少しも揺らいでいません。

かつては毎日立ってお手を振る「十二下り」のてをどりまなびを勤められていましたが、現在は足腰が弱り、立ち上がることが叶いません。それでも、心の中で「みかぐらうた」を唱え、一日一日を大切に通っておられます。

「まだまだ」という言葉の重み

男性には、ある口癖があります。それは「わしは、まだまだ、お手が上手に振れなくてな」という言葉です。長年、信仰の道一筋に歩み、教祖(おやさま)がお教えくださったおつとめを生涯かけて勤め続けてこられた方から出る言葉とは思えません。

このつとめで命の切換するのや。大切なつとめやで。
(『稿本天理教教祖伝』第五章「たすけづとめ」より)

この言葉に、おつとめには「これで終わり」という到達点がないことを教えられます。いつまでも自分を磨き、より誠実な心でおつとめをさせていただこうとする姿に、本当の信仰の成人(成長)があるのではないでしょうか。

日々の心づかいを大切に

「天理時報を読むことが、おぢば帰りをした気分になる」と語る男性の姿は、場所を超えておぢばを慕う心が、どれほど尊いものであるかを教えてくれます。私たちも今日という一日を、誠真実の心で朝夕のおつとめを勤めさせていただきましょう。

元記事では、筆者の大西さんが日常のふとした出会いから感じた温かい気づきが綴られています。ぜひ全文もご覧ください。

元記事(おつとめには終わりのない成人の道がある – おやのことば・おやのこころ | 天理時報オンライン)はこちら