みかぐらうた「六下り目」の意味と現代語訳|原文つきで詳しく解説
六下り目では、人の心の疑い深さ、心違いを改めること、つとめによるたすけの道筋が示されます。
このページでは、みかぐらうた「六下り目」の原文、現代語訳、意味と解釈を一つずつ確認できます。全文を通して読みたい方は、みかぐらうた全文と意味一覧もあわせてご覧ください。
- このページで解説する歌
- 六下り目の全体の意味
- 六下り目1つの原文と現代語訳
- みかぐらうた「六下り目1つ」の現代語訳と意味
- 六下り目2の原文と現代語訳
- みかぐらうた「六下り目2」の現代語訳と意味
- 六下り目3の原文と現代語訳
- みかぐらうた「六下り目3」の現代語訳と意味
- 六下り目4の原文と現代語訳
- みかぐらうた「六下り目4」の現代語訳と意味
- 六下り目5の原文と現代語訳
- みかぐらうた「六下り目5」の現代語訳と意味
- 六下り目6の原文と現代語訳
- みかぐらうた「六下り目6」の現代語訳と意味
- 六下り目7の原文と現代語訳
- みかぐらうた「六下り目7」の現代語訳と意味
- 六下り目8の原文と現代語訳
- みかぐらうた「六下り目8」の現代語訳と意味
- 六下り目9の原文と現代語訳
- みかぐらうた「六下り目9」の現代語訳と意味
- 六下り目10の原文と現代語訳
- みかぐらうた「六下り目10」の現代語訳と意味
- 前後の下りも読む
このページで解説する歌
六下り目の全体の意味
六下り目では、人の心の疑い深さ、心違いを改めること、つとめによるたすけの道筋が示されます。
六下り目1つの原文と現代語訳
原文
一ッ ひとのこゝろといふものハ
うたがひぶかいものなるぞ
現代語訳
人間の心というものは、疑惑や猜疑心に覆われていて、実に疑い深いものです。親神様が人間のたすかりを願って真実の教えを説き、ふしぎなたすけをありありとお見せくださっても、人間はそれを素直に信じようとはしないものなのです。
短い意味
「人間の心というものは、まことに疑い深いもので、親神様の真実の親心をなかなか素直に信じようとはしません」という、人間の心の性質を言い当てたお歌です。
みかぐらうた「六下り目1つ」の現代語訳と意味
みかぐらうた「六下り目」の第1首「一ッ ひとのこゝろといふものハ うたがひぶかいものなるぞ」は、人間の持つ「疑い深い」性質を指摘し、親神様の教えを素直に受け入れることの難しさを教えてくださるお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、信仰の妨げとなる自らの疑いの心を見つめ直すことができます。
重要キーワードの解釈
- ひとのこゝろ(人の心):人間が本来持っている、人間中心の浅はかな思案や心遣いのことです。
- うたがひぶかいもの(疑い深いもの):親神様が人間を救済しようと「ちよとはなし 神のいふこときいてくれ 悪しきの事は言わんでな」と親心から語りかけられても、千に一つの嘘もない親の言葉をなかなか素直に信じ切れない人間の心の状態を指します。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「六下り目1つ」を通して、私たちは自らの心の内にある疑い深さを自覚し、信仰へと向かう心のあり方を学びます。
- 人間には、真実の教えや親神様のご守護を素直に信じられない疑いの心があるという自覚を持つこと
- 次のお歌(二ッ)以降で説かれる「ふしぎなたすけ」を受け取るためには、まずこの疑い深い心を取り去る必要があるという教理
- 人間のたすかりを願う親神様の真実の親心を疑わず、素直な心で教えを聞き入れることの重要性
六下り目2の原文と現代語訳
原文
二ッ ふしぎなたすけをするからに
いかなることをもみさだめる
現代語訳
これから親神様は、人間の浅知恵では計り知れない不思議な救済(たすけ)の数々を現わしてくださいます。しかし、その不思議なたすけをするからには、一人ひとりの胸の内の心遣いや日々の行いの善悪など、いかなることもすべて見抜き、しっかりと見定めた上でご守護を下さるのです。
短い意味
「親神様は人間の常識では計り知れない不思議なたすけをされるからには、一人ひとりの心の内や行いを、善悪ともにすべて見定めておられます」というお歌です。
みかぐらうた「六下り目2」の現代語訳と意味
みかぐらうた「六下り目」の第2首「二ッ ふしぎなたすけをするからに いかなることもみさだめる」は、親神様が不思議なたすけを現すにあたり、人間の心の内や行いをすべて見定めていることを教えてくださるお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、親神様のお見通しに対する畏敬の念と、日々の心遣いを正すことの大切さを理解することができます。
重要キーワードの解釈
- ふしぎなたすけ(不思議な助け):人間の思案や世間の常識を超えた、親神様による自由自在なご守護のことです。前首(一ッ)で人間の疑い深さが指摘されましたが、その疑いを払拭するような驚くべき救済を意味します。
- みさだめる(見定める):親神様が人間の心遣いや行いの善悪、その真実をしっかりと見抜いて評価されるということです。親神様は、ただ無条件にたすけるのではなく、人間の心の真実にふさわしいご守護を与えられる(心通りにご守護が現れる)という教理を示しています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「六下り目2」を通して、私たちは親神様の厳しくも温かいお見通しの理と、ご守護をいただくための心のあり方を学びます。
- 親神様の不思議なたすけをいただくためには、まず自らの心を澄まし、誠の心(たすけ一条の心)を定めていく必要があること
- 神様は表面的な言葉や取り繕いだけでなく、胸の奥底にある心遣いのすべてを見定めておられるという確信
- 自分の心が見定められているという自覚を持ち、日々の生活の中で親神様の御心に沿うよう努めることの重要性
六下り目3の原文と現代語訳
原文
三ッ みなせかいのむねのうち
かゞみのごとくにうつるなり
現代語訳
世界中のすべての人間(一列人間)の胸の内の心遣いは、人間同士の目には見えなくても、合わせ鏡にすべてが鮮やかに映し出されるかのように、親神様には隠し事なくはっきりと見え、映し出されているのです。
短い意味
「世界中のすべての人間の心の内は、合わせ鏡に映るように、親神様には一つ残らずはっきりと映し出されている」という、神様のお見通しを歌ったお歌です。
みかぐらうた「六下り目3」の現代語訳と意味
みかぐらうた「六下り目」の第3首「三ッ みなせかいのむねのうち かゞみのごとくにうつるなり」は、人間の心の内がすべて親神様に見透かされていることを教えてくださるお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を深く学ぶことで、親神様のお見通しに対する畏敬の念を持ち、日々の心遣いを見つめ直すことができます。
重要キーワードの解釈
- みなせかいのむねのうち:世界一列の人間の胸の内、すなわち一人ひとりの心遣いや思いを指します。人間の目には見えない心の奥底までも含まれます。
- かゞみのごとくにうつるなり(鏡の如くに映るなり):合わせ鏡のように、見えないところまで鮮やかに、神様の目にすべてが映し出されているということを意味します。また、神様の心に映った人間の心遣いが、やがてその人自身の身上(身体の病気)や事情(周囲の環境)に鏡のように映し出され、自らその心遣いの結果を見ることになるという深い教理も込められています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「六下り目3」を通して、私たちは親神様のお見通しと、心遣いの結果について学びます。
- 人間の目には見えない心の内も、親神様には合わせ鏡のようにすべてはっきりと見えているという確信
- 自分の心遣いは隠し通せるものではなく、いずれ自分自身の身上や事情に結果として現れる(映し出される)という自覚
- 神様のお見通しを意識し、常に心を澄まして(ほこりを払って)、誠真実の心で日々を通るよう努めることの重要性
六下り目4の原文と現代語訳
原文
四ッ ようこそつとめについてきた
これがたすけのもとだてや
現代語訳
世間の人々の嘲笑や迫害に屈することなく、よくぞこの「おつとめ」の道について来てくれました。親神様の言うことを聞き分けて勤めるこの陽気づとめこそが、あらゆる困難を解決し、世界を救済するための根本の手立て(もとだて)となるのです。
短い意味
「よくぞ世間の無理解や困難に屈せず、このおつとめの道について来てくれた。このおつとめこそが、真の救済の根本的な手立てである」という、親神様のねぎらいとおつとめの重要性を歌ったお歌です。
みかぐらうた「六下り目4」の現代語訳と意味
みかぐらうた「六下り目」の第4首「四ッ ようこそつとめについてきた これがたすけのもとだてや」は、世間の無理解や困難の中をおつとめの道に従ってきた人々の信仰をねぎらい、その「おつとめ」こそが真の救済の根本であることを教えてくださるお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を深く学ぶことで、天理教において「つとめ」がどれほど重要な位置を占めているかを理解することができます。
重要キーワードの解釈
- ようこそ:親神様が、様々な苦難や世間の嘲笑の中をひたすら信仰の道に従ってきた人々の歩みを、温かくねぎらい、喜んでくださるお言葉です。
- つとめについてきた:ただ親神様を信じて、「おつとめ」の道にひたむきに従ってきたことを意味します。
- たすけのもとだて:世界一列の人々を救済する(よろづたすけ)ための根本的な手立て(本立て・要)であるということです。「おつとめ」こそが、陽気ぐらしの世界を実現するための最大の道であることを明示されています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「六下り目4」を通して、私たちはおつとめの重要性と、親神様の温かいねぎらいの親心を学びます。
- 周囲の無理解や困難に負けず、親神様を信じておつとめを実践し続けることの大切さ
- その歩みを親神様が「ようこそ」と温かく受け入れ、喜んでくださっているという確信
- 陽気づとめこそが、単なる儀式ではなく、自他共に救われる「たすけ一条」の根本の手段であるという教理
六下り目5の原文と現代語訳
原文
五ツ いつもかぐらやてをどりや
すゑではめづらしたすけする
現代語訳
世間の人から笑われ非難されるような状況であっても、常に親神様の教えを信じ、かぐらづとめやてをどりの「おつとめ」を欠かさず勤めるならば。やがて将来(すゑ)には、このおつとめを通して、病まず弱らずに定命を全うするような、これまでにない珍しい救済(めづらしたすけ)を現してくださるのです。
短い意味
「いつもかぐらづとめやてをどりを欠かさず勤めるならば、やがて将来には、このおつとめを通して、これまでにない珍しいたすけを現してくださる」という、おつとめによるご守護を約束したお歌です。
みかぐらうた「六下り目5」の現代語訳と意味
みかぐらうた「六下り目」の第5首「五ツ いつもかぐらやてをどりや」は、日々のおつとめを怠らずに勤めることで、やがて親神様から「めづらしたすけ(珍しい救済)」がもたらされることを約束してくださるお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を深く学ぶことで、天理教において「おつとめ」が持つ無限の救済力と、親神様の広大な親心を理解することができます。
重要キーワードの解釈
- いつもかぐらやてをどりや:周囲から笑われたり非難されたりすることがあっても、常に変わらぬ心で「かぐらづとめ」や「てをどり」を勤めることを意味します。おつとめを通して親神様の人間創造の理を現し、世界たすけを祈る姿勢が求められています。
- すゑでは(末では):場所的な「遠く先々」ではなく、時間的な「将来は」「やがては」という意味です。おつとめを日々勤め続けるその先に、大きなご守護が待っていることを示しています。
- めづらしたすけする(珍しいたすけする):単に目の前の身上や事情(悪しき)を治すだけでなく、病まず弱らずに115歳の定命(じみょう)を全うするような、これまでの常識では考えられない不思議なご守護のことです。やがては陽気ぐらしの理想世界が実現するという、究極のたすけを意味しています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「六下り目5」を通して、私たちはおつとめを継続することの意義と、親神様が用意されている究極の救済について学びます。
- いかなる状況でも、常に「かぐらやてをどり(おつとめ)」を勤め続ける信仰の確固たる姿勢
- おつとめを通して、やがては「めづらしたすけ」という究極のご守護が頂けるという確信
- 単なる病気平癒にとどまらず、陽気ぐらしの実現に向かう親神様の広大な親心
六下り目6の原文と現代語訳
原文
六ッ むしやうやたらにねがひでる
うけとるすぢもせんすぢや
現代語訳
人は何か困難があると、我を忘れてむやみやたらにたすけを親神様に願い出てきます。しかし、ただ願いさえすればよいのではありません。一人ひとりの心遣いや願い方の真実によって、親神様がお受け取りになる筋合いも千差万別(千筋)であり、ご守護の現れ方もさまざまに変わってくるのです。
短い意味
「むやみやたらにたすけを願い出ても、その願いの心一つによって、親神様がお受け取りになる筋合い(ご守護の現れ方)も千差万別である」という、願いの心構えを教えるお歌です。
みかぐらうた「六下り目6」の現代語訳と意味
みかぐらうた「六下り目」の第6首「六ッ むしやうやたらにねがひでる」は、親神様にたすけを求める際の「願い方」について、その心構えをお諭しくださるお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を深く学ぶことで、天理教において親神様がどのように人間の願いを受け取られるかを理解することができます。
重要キーワードの解釈
- むしやうやたらに(無性矢鱈に):無我夢中に、むやみやたらに、という意味です。人間が目先の困難に直面し、我を忘れて神様にすがりつく様子を表しています。
- ねがひでる(願い出る):自分の都合で、ただ「たすけてほしい」と親神様にお願いをしてくることです。
- うけとるすぢもせんすぢや(受け取る筋も千筋や):人々の願いに対する親神様のお受け取りの筋合い(ご守護の現れ方)も、千差万別であるということです。願い出る人の心のありよう(誠真実の心か、我欲からの願いか)によって、神様のお受け取り方やご守護の現れ方はさまざまに異なるという教理を示しています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「六下り目6」を通して、私たちは親神様に対する正しい願いのあり方を学びます。
- ただ自分の都合でむやみに願い出るのではなく、神様のお心にかなう誠真実の心を込めて願うことの大切さ
- 一人ひとりの心遣いや願いの質によって、親神様のお受け取り(ご守護)は千差万別に変化するという確信
- 自分の願いがどのように受け取られるか、常に自らの心を省みながら信仰を進めることの重要性
六下り目7の原文と現代語訳
原文
七ッ なんぼしん/\゛したとても
こゝろえちがひはならんぞへ
現代語訳
どれほど力を込めて一生懸命に、あるいはどれほど長い年月をかけて熱心に信心の道を歩んだとしても、その根本の心がけを間違えて、欲や高慢といった「心得違い」をしてしまってはなりません。純粋に神一条の教えに沿った心で通ることが何よりも大切なのです。
短い意味
「どれほど熱心に、また長い年月をかけて信仰を続けたとしても、根本の心がけを間違える『心得違い』をしてはならない」という、正しい信仰のあり方を諭すお歌です。
みかぐらうた「六下り目7」の現代語訳と意味
みかぐらうた「六下り目」の第7首「七ッ なんぼしんぐしたとても こゝろえちがひはならんぞへ」は、信仰における根本的な心がけの重要性を教えてくださるお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を深く学ぶことで、天理教において「心得違い」を戒め、純粋な信仰を貫くことの大切さを理解することができます。
重要キーワードの解釈
- なんぼしんぐしたとても(なんぼ信心したとても):「なんぼ」とは、どれほど力を込めて一生懸命に、という意味と、どれほど長い年月をかけて、という二つの意味が含まれています。どれだけ熱心に信仰を続けていたとしても、という意味です。
- こゝろえちがひ(心得違い):信仰の根本的な心がけを間違えることです。熱心に教えに従っているように見えても、心の奥底で欲や高慢、自己中心的な考えを道連れにしてしまう状態を指します。
- ならんぞへ:してはならない、という強い戒めの言葉です。前首(六ッ)で「むしょうやたらに願い出る」ことへの諭しがあったのに続き、正しい心で親神様に向かうことが求められています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「六下り目7」を通して、私たちは信仰の長さや表面的な熱心さ以上に、心の向きが最も重要であることを学びます。
- 信仰の年数や形だけでなく、内面の「心がけ」が正しく親神様の思いに添っているかが問われていること
- 自分の内に潜む欲や高慢といった「心得違い」を自覚し、常に心を省みることの重要性
- 次のお歌(八ッ)で教えられる「でなおし(出直し)」へと繋がる、自らの信仰姿勢を見つめ直すための厳しくも温かいお諭し
六下り目8の原文と現代語訳
原文
八ッ やつぱりしん/\゛せにやならん
こゝろえちがひはでなほしや
現代語訳
これまでどれほど信心してきても、心得違いがあってはならないと前首で教えられました。しかしだからと言って信仰をやめるのではなく、やはり現実にこの世をご支配くださっている親神様を信心しないわけにはいかないのです。もし誤った心がけで信心してきたのなら、もう一度振り出しに戻り、元一日の純粋な心になって、第一歩から正しい信仰の道へ出直さなければなりません。
短い意味
「とはいえ、やはり親神様を信仰し続けなければならない。もし根本の心がけを間違えていたなら、もう一度一から心を入れ替えて出直さなければならない」という、信仰の再出発を促すお歌です。
みかぐらうた「六下り目8」の現代語訳と意味
みかぐらうた「六下り目」の第8首「八ッ やっぱリしんじんせにやならん こゝろえちがひはでなほしや」は、信仰における心得違いを正し、もう一度一から出直すことの重要性を教えてくださるお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を深く学ぶことで、天理教において常に「元一日」の心に立ち返り、純粋な信仰を続けることの大切さを理解することができます。
重要キーワードの解釈
- やっぱりしんじん(信心)せにやならん:前首(七ッ)で「心得違いをしてはならない」と厳しく戒められましたが、だからといって信仰をやめるのではなく、やはりこの世をご支配くださる親神様を信じ、信仰の道を歩み続けなければならない、という意味です。
- こゝろえちがひ(心得違い):欲や高慢など、親神様の思召し(神意)にそぐわない心遣いや、自分中心のご利益信仰のことです。
- でなほしや(出直しや):もし心得違いをしていたと気づいたなら、もう一度振り出しに戻って一からやり直す(再出発する)ことです。また、古い殻を脱ぎ捨てて「元一日」の純粋な心に立ち返ることを意味します。さらには、身上(身体)をお返しして新しく生まれ変わる「出直し」という教理にも通じています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「六下り目8」を通して、私たちは自らの信仰姿勢を常に見つめ直し、素直な心で再出発する勇気を学びます。
- 自分の心に「心得違い」がないかを常に反省し、間違いに気づいた時は素直に認めること
- 間違いに気づいたなら、落ち込んだり信仰をやめたりするのではなく、一から出直す前向きな姿勢が大切であること
- 初心(元一日)の純粋な心に立ち返り、正しい信仰の道を歩み続けることへの親神様の励まし
六下り目9の原文と現代語訳
原文
九ッ こゝまでしん/\゛してからハ
ひとつのかうをもみにやならぬ
現代語訳
これまで長い間、熱心に信心の道を歩み続けてきたからには、親神様はその真実を受け取り、一つの「功能(不思議なご守護・ご利益)」を見せてやらなければならない。また人間側から見れば、自分一人だけが助かれば良いという段階を越えて、さらに広く世の中の人々を助け導き、共に一つの「講(信仰者の集まり)」を結成するまでに成人しなければならないのです。
短い意味
「ここまで熱心に信仰を続けてきたからには、親神様が一つの功能(ご守護)をお見せしよう。また、自分だけでなく人々を助け、一つの講(信仰者の集い)を結成しなければならない」というお歌です。
みかぐらうた「六下り目9」の現代語訳と意味
みかぐらうた「六下り目」の第9首「九ッ こゝまでしんぐ(しんじん)してからハ ひとつのかうをもみにやならぬ」は、長く信仰を続けてきた者に対する親神様のご守護の約束と、さらに信仰を深めて講(集い)を結ぶことへの促しを歌ったお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を深く学ぶことで、天理教において信仰を継続することの意義と、自他共のたすかりを目指す姿勢を理解することができます。
重要キーワードの解釈
- こゝまでしんぐ(しんじん)してからハ:これまで数々の困難や試練(前首までの心得違いや出直しの諭し)を乗り越えて、熱心に信仰を続けてきたからには、という意味です。長く道を歩んできた信仰者の真実を親神様が受け取ってくださっていることが示されています。
- ひとつのかう(一つのこう):「かう(こう)」には二つの深い意味が込められています。第一に、「功能(ご利益・不思議なご守護)」の意味です。親神様が信仰の証として、一つの確かなご守護を見せてやらなければならない、という神様からの慈悲を表します。第二に、「講(信仰者の集まり)」の意味です。自分一人だけが助かれば良いという信仰から卒業し、周囲の人々をたすけ導いて一つの講を結成するまでに成長しなければならない、という人間側への使命を表しています。
- みにやならぬ(見にゃならぬ):親神様が功能を「見せてやらなければならない」、あるいは人間が講の結成を「見届けなければならない(実現しなければならない)」という、双方の強い思いや決意を示しています。次のお歌(十ド)で示される具体的な功能へと繋がっていきます。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「六下り目9」を通して、私たちは信仰の成熟と、それに伴うご守護や使命について学びます。
- 途中で投げ出さずに信仰を継続することで、親神様は必ず確かな功能(ご守護)を見せてくださるという確信
- 自分のたすかりだけで満足せず、他者をたすけ、共に信仰する仲間(講)を作っていくことの重要性
- 個人の信仰から集団の信仰(講の結成)へと発展していくことが、親神様の望まれる道の姿であるという教理
六下り目10の原文と現代語訳
原文
十ド このたびみえました
あふぎのうかゞひこれふしぎ
現代語訳
とうとうこの度、たすけ一条の上から「扇の伺い」をお許しいただき、これによって親神様の不思議なご守護やおたすけの数々を、はっきりと見せていただくことができました。扇を通して神意を悟ることができるとは、まことに鮮やかで不思議なことです。
短い意味
「とうとうこの度、たすけ一条の上から扇の伺いをお授けいただき、不思議なご守護の数々をはっきりと見せていただきました」という、扇の伺いの不思議さを歌ったお歌です。
みかぐらうた「六下り目10」の現代語訳と意味
みかぐらうた「六下り目」の最後を締めくくる第10首「十ド このたびみえました」は、親神様から授けられた「扇の伺い」の不思議さと、それによってもたらされる確かなご守護について歌ったお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を学ぶことで、天理教における初期のおたすけの姿と、神意を悟ることの尊さを理解することができます。
重要キーワードの解釈
- みえました(見えました):親神様が不思議な功能(ご守護)や、おたすけの数々をはっきりと見せてくださった、という意味です。前首(九ッ)で「一つの講をも見にゃならぬ」と歌われたように、講の結成やご守護の証が現れたことを示しています。
- あふぎのうかゞひ(扇の伺い):元治元年(1864年)頃、教祖(おやさま)から熱心な信仰者にたすけ一条のために許されたお伺いの方法です。扇を持って神前に伺いを立てると、扇の動きに現れる理によって神意を悟ることができました。
- これふしぎ:人間の知識や思案を超えた、親神様による自由自在で不思議なお働きのことです。扇を通して神意が鮮やかに示されることへの驚きと感動が込められています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「六下り目10」を通して、私たちは親神様の不思議なお働きと、神意に沿うことの大切さを学びます。
- 長く純粋な信仰を続けた結果として、親神様が確かなご守護(功能)を見せてくださったという喜び
- 「扇の伺い」という目に見える形で神意が示され、迷いなくたすけ一条の道を進めるようになったこと
- 六下り目全体で諭された「疑い深い心」や「心得違い」を払拭し、親神様の不思議なお働きを素直に信じることの重要性

