みかぐらうた「三下り目」の意味と現代語訳|原文つきで詳しく解説
三下り目では、つとめ場所の不思議、ひとすじ心、親神様にもたれて歩む信仰の姿勢が示されます。
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- 三下り目の全体の意味
- 三下り目1つの原文と現代語訳
- みかぐらうた「三下り目1つ」の現代語訳と意味
- 三下り目2の原文と現代語訳
- みかぐらうた「三下り目2」の現代語訳と意味
- 三下り目3の原文と現代語訳
- みかぐらうた「三下り目3」の現代語訳と意味
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このページで解説する歌
三下り目の全体の意味
三下り目では、つとめ場所の不思議、ひとすじ心、親神様にもたれて歩む信仰の姿勢が示されます。
三下り目1つの原文と現代語訳
原文
一ッ ひのもとしよやしきの
つとめのばしよハよのもとや
現代語訳
お日様の豊かなご守護が行き渡る日の本(日本)の庄屋敷村にある「つとめ場所」は、単なる一地域ではありません。そこは親神様がこの世と人間を最初に創造された元初まりの場所(元のぢば)であり、同時にこれからの世界の立て替え(陽気ぐらし世界の建設)の出発点となる根本の場所なのです。
短い意味
「日本の庄屋敷村にある『つとめ場所』こそ、この世と人間が創造された根源であり、世界たすけの根本となる場所である」という、ぢばの尊さを歌ったお歌です。
みかぐらうた「三下り目1つ」の現代語訳と意味
みかぐらうたの三下り目は、扇を用いて勤められる華やかな手振りが特徴であり、親神様の思召しが一層はっきりと示される章です。その冒頭を飾る「三下り目1つ(一ッ ひのもとしよやしきの)」の現代語訳と、そこに込められた深い意味や解釈を学ぶことで、天理教信仰の中心である「ぢば」の尊さを理解することができます。
重要キーワードの解釈
- ひのもと(日の本):日本国を指すとともに、お日様(月日親神様)の照らす下、すなわち親神様の豊かなご守護が行き渡る所という意味も含まれています。
- しよやしき(庄屋敷):大和国山辺郡庄屋敷村という当時の地名ですが、教祖(おやさま)は「しょう(正味)のある屋敷」、あるいは人間が生まれ出た「生屋敷」という、深い理が込められた場所としてお教えくださっています。
- よのもと(世の元):この世と人間が創造された元初まりの地点(元のぢば)であると同時に、これからの人間世界を陽気ぐらしへと導く「世界たすけ」の出発点、根源であることを意味しています。
この歌から得られる学びと核心ポイント
この「三下り目1つ」の教理を通して、私たちは信仰の根本となる「場所の理」について学びます。
- 庄屋敷村のつとめ場所(ぢば)が、全人類の故郷であり、人間創造の根源であるという確信
- 地名に込められた「正味の屋敷」「生屋敷」という、目に見えない親神様の深い意図(理)を悟ること
- 扇を用いた手振りに表れるように、親神様の御守護のもとで世界たすけ(陽気ぐらし)が始まる喜び
三下り目2の原文と現代語訳
原文
二ッ ふしぎなつとめばしよハ
たれにたのみはかけねども
現代語訳
人間創造の理に基づき、不思議なご守護をいただく「よろづたすけ」の源泉である「つとめ場所」は、親神様が誰かに向かって「建ててくれ」と依頼や頼みごとを掛けたわけではありませんが。(次のお歌『皆世界が寄り合って』に続きます。)
短い意味
「不思議なご守護をいただく、よろづたすけの根源である『つとめ場所』は、親神様が誰かに建築を頼んだわけではないけれども」という、自発的な信仰の姿を歌ったお歌です。
みかぐらうた「三下り目2」の現代語訳と意味
みかぐらうたの「三下り目2(二ッ ふしぎなつとめばしよハ)」は、万たすけの根源となる「つとめ場所」の尊さと、信仰者の自発的な姿勢について歌われています。このお歌の現代語訳と、そこに込められた深い意味や解釈を学ぶことで、天理教が大切にする報恩感謝の心と、自発的な信仰のあり方を理解することができます。
重要キーワードの解釈
- ふしぎなつとめばしよ:人間の思案を超えた、不思議なご守護(奇跡やよろづたすけ)がいただける「つとめ場所」のことです。親神様が人間を創造された元のぢばにおいて勤められる「よふきづとめ」の場所を指します。
- たれにたのみはかけねども:親神様の方から、誰かに対して「つとめ場所を建ててくれ」と依頼や催促をしたわけではない、という意味です。人間の側からの自発的な行動であることを強調しています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「三下り目2」を通して、私たちは親神様への報恩感謝と、自ら進んで行動する自発的な信仰の大切さを学びます。
- つとめ場所は、親神様からの強制ではなく、ご守護に対する感謝の思いから、自発的に建てられるべきものであること
- 神様が何も頼まなくても、子供である人間が自ら進んでご恩報じを願い出る姿勢こそが真の信仰であること
- この自発的な心が、次のお歌の「皆世界が寄り合って」という、世界中の人々が心を一つにする大きな働きへとつながっていくこと
三下り目3の原文と現代語訳
原文
三ッ みなせかいがよりあうて
でけたちきたるがこれふしぎ
現代語訳
世界中のすべての人々(親神様の子供たち)が皆、心を一つにして寄り集まってくれば、親神様が誰かに頼むわけでもなく、自然と不思議な普請(陽気ぐらしの世界の実現や、おつとめ場所の建設)が成し遂げられていく。これはまことに不思議で、ありがたいご守護によるものです。
短い意味
「世界中の人々が寄り集まって、自然と不思議な普請(陽気ぐらしの世界や建物の建設)が出来上がってくる」という、神様のご守護の不思議さと、人々が寄り集まる喜びを歌ったお歌です。
みかぐらうた「三下り目3」の現代語訳と意味
みかぐらうたの「三下り目3(三ッ みなせかいがよりあうて)」は、前節の「たれにたのみはかけねども」を受けて、世界中の人々が自発的に寄り集まり、陽気ぐらしの世界の建設や「つとめ場所」の普請が自然と出来上がっていく様子を歌っています。このお歌の現代語訳と、そこに込められた深い意味や解釈を学ぶことで、天理教が説く「一手一つ」の寄り合いの大切さを理解することができます。
重要キーワードの解釈
- みなせかいが:世界中のすべての人々が、という意味です。親神様の子供である世界一列の人間が、誰も彼も心を合わせることを指します。
- よりあうて:個々の人間が寄り集まり、心を一つにすること(一手一つ、満場一致)を意味します。信仰の喜びをもって自発的に集まる姿です。
- でけたちきたるがこれふしぎ:親神様が人間に強制したり頼んだりしなくとも、人々が寄り合うことで自然と普請(世界たすけの歩みやつとめ場所の建設)が進み、完成に向かっていくことの不思議さ、ありがたさを表しています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「三下り目3」を通して、私たちは親神様のご守護と、人々の「一手一つ」の力の大きさを学びます。
- 親神様が直接命令しなくとも、自発的に世界中から人々が寄り集まる信仰の不思議さ
- 一人ひとりの力が小さくても、皆が「一手一つ」に心を合わせることで、巨大な普請(陽気ぐらしの世界の実現)が可能になること
- 神様への報恩感謝の心で寄り合うことで、自然と結果が伴ってくる(出来立ち来る)という信仰の真理
三下り目4の原文と現代語訳
原文
四ッ よう/\こゝまでついてきた
じつのたすけハこれからや
現代語訳
世間の非難や数々の困難に耐え、容易ではない中を、よくぞここまで親神様の教えを信じ、おつとめの道について来てくれた。病気や事情の一時的な解決ではない、人間の心を根本から救済し、陽気ぐらしの世界を実現するという『真実のたすけ』は、いよいよこれからはじまるのである。
短い意味
「苦労を乗り越え、ようやくここまで信仰の道について来てくれた。親神様による真実のたすけは、いよいよこれからはじまるのである」という、神様からのねぎらいと真の救済の始まりを約束するお歌です。
みかぐらうた「三下り目4」の現代語訳と意味
みかぐらうたの「三下り目4(四ッ よう/\こゝまでついてきた)」は、親神様がこれまで信仰の道に従ってきた人々の労をねぎらい、これからいよいよ真実のたすけが始まることを力強く宣言されているお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた深い意味や解釈を学ぶことで、天理教における「真実のたすけ」とは何かを理解することができます。
重要キーワードの解釈
- よう/\こゝまで(ようよう此処まで):容易ではない困難な道中を、やっとの思いで今日までついてきたことに対する、親神様の温かいねぎらいの言葉です。「此処まで」とは、信仰が成長し、おつとめ場所が建ち上がる段階まで進んで来たことを指しています。
- じつのたすけ(実のたすけ):祈祷や医薬による一時的、形而下的な救済のことではありません。心から「ほこり」を払い、いんねんを切り替えることで、一切の苦難から根本的に救済し、病や争いのない「陽気ぐらし」の世界を実現すること、つまり親神様による真実の救済を意味します。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「三下り目4」を通して、私たちは困難を乗り越えて信仰を貫く尊さと、親神様が目指す究極の救済について学びます。
- 世間の非難や困難に負けず、親神様の教え(おつとめの道)にしっかりとついて行くことの大切さ
- 真実のたすけとは、目先の利益ではなく、心の入れ替えによってもたらされる根本的な救いであること
- これまでの苦労が報われ、いよいよ陽気ぐらしの世界に向けた真実のおたすけが始まるという確信と喜び
三下り目5の原文と現代語訳
原文
五ッ いつもわらはれそしられて
めづらしたすけをするほどに
現代語訳
わが身を忘れてたすけ一条の信仰の道を進む者を、世間の人々は理解できずに冷笑したり、非難・中傷したりするでしょう。しかし、教祖(おやさま)ご自身がそうであったように、その中を親神様にもたれて通り抜け、真実の心を定めたならば、これまでに誰も見たことも聞いたこともないような、根本的で不思議な「めづらしたすけ」を必ず見せてくださるのです。
短い意味
「世間の人々から笑われ、非難されるような困難な道であっても、それを乗り越えた先には、今まで見たこともないような不思議な『めづらしたすけ』を見せてやろう」という、力強いお約束を歌ったお歌です。
みかぐらうた「三下り目5」の現代語訳と意味
みかぐらうたの三下り目5「五ッ いつもわらはれそしられて めづらしたすけをするほどに」は、信仰の道中における世間からの非難といった困難(真実だめし)と、その先にある親神様からの素晴らしいご守護のお約束を歌っています。このお歌の現代語訳と、そこに込められた深い意味や解釈を学ぶことで、天理教において困難を乗り越えて信仰を貫くことの重要性を理解することができます。
重要キーワードの解釈
- わらはれそしられて(笑われ謗られて):冷笑、あざ笑い、非難、中傷を受けること。たすけ一条の道を進む中で、世間からの無理解や反対にあうことを意味します。これまで教祖ご自身がその困難な道を通ってこられたように、信仰者にとっても真実の心を定めるための試練となります。
- めづらしたすけ(珍しいたすけ):これまで誰も見たことも聞いたこともないような、親神様による不思議で根本的な救済のことです。一時的な病気平癒や事情の解決(あしきなをすたすけ)にとどまらず、人々の心を根本から入れ替え、病や争いのない陽気ぐらしの世界を実現するという究極の理想を指しています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「三下り目5」を通して、私たちは世間の声に動じない強い信仰心と、親神様への確信の大切さを学びます。
- 信仰の歩みの中で世間から笑われ非難されることがあっても、それは真実の心を定めるための過程であると受け止めること
- 人の批判に心を揺るがさず、親神様にもたれきって、たすけ一条の道をまっすぐに進むこと
- 困難を乗り越えた先には、親神様の自由自在なお働きによる「めづらしたすけ」が必ず与えられるという確信を持つこと
三下り目6の原文と現代語訳
原文
六ッ むりなねがひはしてくれな
ひとすぢごゝろになりてこい
現代語訳
種を蒔かずに実りを求めるような、自分勝手で筋の通らない「無理な願い」をしてはなりません。欲や高慢といったほこりの心をすっきりと払い去り、いかなる時も親神様にもたれきる、混じり気のない真っ直ぐな「一すじ心(ひとすぢごゝろ)」になって、この信仰の道について来なさい。
短い意味
「自分勝手で無理な願いをするのではなく、欲や高慢を捨て去り、ただ一筋に親神様を信じる真っ直ぐな心になってついて来なさい」という、純粋な信仰の姿勢を促すお歌です。
みかぐらうた「三下り目6」の現代語訳と意味
みかぐらうたの「三下り目6(六ッ むりなねがひはしてくれな)」は、親神様にたすけを求める際の正しい心のあり方を教えてくださるお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた深い意味や解釈を学ぶことで、天理教において親神様のご守護を頂くための「一すじ心」の重要性を理解することができます。
重要キーワードの解釈
- むりなねがひ(無理な願い):種を蒔かずに実りを求めたり、悪い種を蒔きながら良い結果を期待したりするような、人間の欲や高慢からくる自分勝手で筋の通らない願いのことを指します。親神様は願いそのものを否定しているのではなく、真実の心がないままに結果だけを求める姿勢を戒めておられます。
- ひとすぢごゝろ(一すじ心):欲や疑いを捨て去った、混じり気のない真っ直ぐな心のことです。親神様の教えを素直に信じ、いかなる状況でも親神様にもたれきって疑わない純粋な信仰心を意味します。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「三下り目6」を通して、私たちは親神様のご守護を頂くための正しい祈りの姿勢を学びます。
- 自分の都合ばかりを優先する「無理な願い」ではなく、親神様の理にかなった筋の通った願いをすること
- 前首で約束された「めづらしたすけ」を頂くためには、まず私たち自身が欲を捨て「一すじ心」になる必要があること
- いかなる困難の中にあっても、心を乱さず真っ直ぐに親神様を信じ切る純粋な信仰姿勢の尊さ
三下り目7の原文と現代語訳
原文
七ッ なんでもこれからひとすぢに
かみにもたれてゆきまする
現代語訳
これまで教えられた通り、いかなる身上(病気)や事情の困難に出遭おうとも、これからは欲や高慢といった人間思案を一切捨て去ります。そして、ただ一筋に親神様のご守護を信じ、全面的に委ねてもたれきって、このたすけ一条の信仰の道を歩んで行きます。
短い意味
「何があっても、これからは一切の欲心や人間思案を捨て去り、ただ一筋に親神様にもたれきって信仰の道を歩んで行きます」という、固い決意を歌ったお歌です。
みかぐらうた「三下り目7」の現代語訳と意味
みかぐらうたの「三下り目7(七ッ なんでもこれからひとすぢに)」は、親神様に対して、いかなる時も心を揺るがさず、ただ一筋にもたれきって歩むという、純粋で強固な信仰の決意(心定め)を歌ったお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた深い意味や解釈を学ぶことで、天理教における信心修業の要訣を理解することができます。
重要キーワードの解釈
- なんでも(何でも):何でもかでも、どのような身上(病気)や事情の困難に出遭おうとも、という意味です。いかなる状況下でも変わらない固い決意を表しています。
- ひとすぢに(一筋に):欲や高慢、疑いの心をすっきりと払い去り、寄り道や近道をせずに、親神様の教えの通りに真っ直ぐな心で進むことです。
- かみにもたれて(神にもたれて):自分自身の力や人間の浅知恵に頼るのではなく、すべてを親神様の自由自在なお働きにお任せし、全面的に信頼してゆだねることです。おてふりにおいては、病む中で親神様にすがり、もたれかかる姿が表されています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「三下り目7」を通して、私たちは親神様のご守護を引き出すための、真実の心定めの大切さを学びます。
- いかなる困難や病気に直面しても、人間の知恵に頼らず親神様を信じ切ること
- 欲や高慢といった「ほこり」の心を払い、たすけ一条の道を真っ直ぐに進む決意を固めること
- すべてを親神様に委ねてもたれきることが、結果として確かな安心と救済につながるという教理
三下り目8の原文と現代語訳
原文
八ッ やむほどつらいことハない
わしもこれからひのきしん
現代語訳
人生において、病に苦しむことほど辛く苦しいことはありません。しかし、その病が自らの欲や「ほこり」の心に気づかせるための親神様からの「お手引き」であると悟る時、私もこれからは我欲を捨て去り、日々生かされているご恩に報いるため、喜び勇んで「ひのきしん」に励ませていただきます。
短い意味
「病気で苦しむことほど辛いものはありません。その根本原因に気づき、私もこれからは欲を捨てて、親神様への報恩感謝の行いである『ひのきしん』に励ませていただきます」という決意のお歌です。
みかぐらうた「三下り目8」の現代語訳と意味
みかぐらうた「三下り目8(八ッ やむほどつらいことハない)」は、病の苦しみを通して親神様の親心に気づき、報恩感謝の行いである「ひのきしん」へと心を切り替える決意を歌ったお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた深い意味や解釈を学ぶことで、天理教において病をどう捉え、どのようにして「ひのきしん」へと昇華させていくのかを理解することができます。
重要キーワードの解釈
- やむほどつらいことハない:病気で苦しむことは人間にとって最大の苦痛です。しかし天理教の教理では、病気そのものが存在するのではなく、神恩を忘れ欲心に走った心に対する親神様からの「お手引き」であると教えられます。
- ひのきしん(日の寄進):欲を忘れ、日々生かされていることへの報恩感謝の真実を、自らの行いを通して親神様に捧げることです。病の辛さを通して己の心を見つめ直し、喜び勇んで人のため、神のために尽くすことが、真のご守護をいただく道となります。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「三下り目8」の解釈を通して、私たちは病という節(困難)を、信仰の飛躍のきっかけとするあり方を学びます。
- 病の辛さを単なる苦痛として終わらせず、自らの心遣い(欲や怠惰など)を反省する機会と捉えること
- 親神様への感謝の心を形に表す「ひのきしん」こそが、自由自在のご守護を引き出す道であるという教理
- 苦しみの中から、自ら進んで「わしもこれからひのきしん」と勇み立つ積極的な信仰姿勢の大切さ
三下り目9の原文と現代語訳
原文
九ッ こゝまでしん/\゛したけれど
もとのかみとハしらなんだ
現代語訳
これまで数々の困難を乗り越え、たすけ一条の信仰の道を熱心に歩んで来ましたが、この不思議なご守護を下さる神様が、元初まりにこの世と人間を創造された「元の神(親神様)」であるとは知らずにいました。今、その根本の真実に気づかせていただいたのです。
短い意味
「これまで熱心に信仰の道について来たけれど、この神様がこの世と人間を創造された『元の神』であるとは知らなかった」という、深い悟りと驚きを歌ったお歌です。
みかぐらうた「三下り目9」の現代語訳と意味
みかぐらうた「三下り目9(九ッ こゝまでしん/\゛したけれど)」は、これまで信仰を続けてきた人々が、自分たちを導き守護してくださる神様こそが、人間創造の根源である「元の神」であると深く悟る様子を歌ったお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた意味や解釈を学ぶことで、天理教における神観の深さを理解することができます。
重要キーワードの解釈
- しん/\゛したけれど(信心したけれど):これまでの間、親神様の教えを信じて熱心に信仰の道を歩んできたことを指します。
- もとのかみ(元の神):単なる病気平癒や願望成就の神ではなく、何もないところからこの世と人間をご創造くださり、すべての命の根源である「親神・天理王命様」であることを意味しています。
- しらなんだ:これほどありがたいご守護をいただきながら、その神様が人間万物の真実の親(元の神)であるという根本の理合いを、今の今まで知らずにいたという驚きと感嘆の念が込められています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「三下り目9」の教理を通して、私たちは信仰が深まることで得られる真実の目覚めを学びます。
- 目先のご守護だけでなく、人間創造の「元の親」であるという神様の真実の姿に気づくこと
- これまでの信仰の歩みが、実は親神様の深い導きであったと悟る喜び
- 「元の神」を知ることで、次のお歌の「じつのかみ(実の神)」という確信へと信仰がさらに昇華していくこと
三下り目10の原文と現代語訳
原文
十ド このたびあらはれた
じつのかみにはさうゐない
現代語訳
これまで熱心に信仰の道を歩んで来た結果、とうとうこの度、真実が明らかになりました。私たち人間をはじめ、この世のすべての万物をお創りになり、今も現実に自由自在のご守護をお与えくださっているこの神様こそが、「実の神(真実の親神様)」に相違ないと、心の底から深く得心できたのです。
短い意味
「とうとうこの度、この世に現れ出られた。この神様こそ、私たちを日々ご守護くださっている真実の神様(実の神)に間違いない」という、確信と得心を歌ったお歌です。
みかぐらうた「三下り目10」の現代語訳と意味
みかぐらうた「三下り目」の結びとなる第10首「十ド このたびあらはれた」は、親神様に対する信仰が深まり、ついに「実の神」であるという確信に到達する喜びを歌っています。このお歌の現代語訳と、そこに込められた深い意味や解釈を学ぶことで、天理教において親神様を「真実の神」として得心することの重要性を理解することができます。
重要キーワードの解釈
- このたびあらはれた:「この度、表に現れた」という意味と、「ここまで信心してきて、ようやく親神様の真実の姿がはっきりと分かった(心に現れた)」という両方の意味が含まれています。また、天保9年に親神様が教祖(おやさま)をやしろとしてこの世に現れ出られた「立教の旬刻限」を指すとも解釈されます。
- じつのかみ(実の神):単なる概念や偶像ではなく、実際にこの世と人間を創造し、今も万物をご守護くださっている真実の神(親神・天理王命様)を意味します。天理教の教典やおふでさきで説かれる「ぢつのをや(真実の親)」と同じ理合いです。
- さうゐない(相違ない):決して間違いないという、微塵の疑いもない強固な確信と得心を表しています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「三下り目10」を通して、私たちは真実の神様に巡り会えた喜びと、確かな信仰の終着点とも言える境地について学びます。
- これまで信仰の道を歩んできた結果として、「実の神」に間違いないと心から得心できる境地に達すること
- 親神様は、現実に私たちをご守護くださっている、生きた神様であるという理解
- 前首(三下り目9)の「元の神」を知る驚きから、「実の神」への確信へと至る、三下り目を通じた信仰の深まりの完成

