みかぐらうた「二下り目」の意味と現代語訳|原文つきで詳しく解説
二下り目では、ふしぎな普請、病や難儀の根を断つこと、心を定めていく道筋が歌われます。
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- 二下り目の全体の意味
- 二下り目1つの原文と現代語訳
- みかぐらうた「二下り目1つ」の現代語訳と意味
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このページで解説する歌
二下り目の全体の意味
二下り目では、ふしぎな普請、病や難儀の根を断つこと、心を定めていく道筋が歌われます。
二下り目1つの原文と現代語訳
原文
とん/\とんと正月をどりはじめハ
やれおもしろい
現代語訳
トントントンと足拍子も賑やかに、万物が改まり心も一新されるめでたい年の初めのお正月から、たすけ一条の陽気づとめ(踊り)を始めるのは、まことに面白く、心弾む楽しいものです。一年中、常にお正月のようなめでたく陽気な心で暮らすことこそが、陽気ぐらしの世界の始まりなのです。
短い意味
「足拍子も賑やかに、万物が改まるめでたい正月から、陽気につとめ(踊り)を始めるのは、まことに面白くて楽しいものである」という、陽気ぐらしの始まりを喜ぶお歌です。
みかぐらうた「二下り目1つ」の現代語訳と意味
みかぐらうたの二下り目は、陽気ぐらしの世界の幕開けと世界の立て替え(心のふしん)を歌っています。その第1首目である「二下り目1つ」の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を深く味わうことで、天理教において「つとめ」が持つ陽気さと、日々の心のあり方を学ぶことができます。
重要キーワードの解釈
- とん/\とんと:足拍子を賑やかに踏む音を表しています。神様が勇み立ち、不思議な神の働きが勢いよく飛び出してくる様子や、人々の心が明るく勇み立つ情景が表現されています。
- 正月をどりはじめハ:万物が改まるめでたい年の初めに「陽気づとめ」を始めること。この度、たすけ一条の教えが始まり、陽気ぐらしの世界が始まるという記念すべき「初まり」を意味しています。
- やれおもしろい:理屈抜きに、心から湧き上がる面白さや楽しさを表しています。陽気づとめによって心が晴れやかになり、喜びに満ちあふれる信仰の境地を示しています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「二下り目1つ」の教理を通して、私たちは信仰における「陽気さ」の重要性を学びます。
- 足拍子も賑やかに、神様と人間が共に勇んで「つとめ」を勤めることの喜び
- 単に暦の上の正月だけでなく、一年中、毎日をお正月のようにめでたく陽気な心で暮らすことの大切さ
- たすけ一条の教えと「よふきづとめ」によって、陽気ぐらしの理想世界がここから始まるという希望
二下り目2の原文と現代語訳
原文
二ッ ふしぎなふしんかゝれバ
やれにぎはしや
現代語訳
親神様の不思議なご守護をいただくための「ふしぎなふしん(自らの心を立て替える心の普請や、世界たすけの普請)」に、皆が心を一つにして取りかかったならば、人々は喜び勇んで集まり、まことに賑やかで陽気な世界が広がっていくことでしょう。
短い意味
「不思議な普請(心の入れ替えや世界たすけ)に取りかかったならば、まことに賑やかで喜ばしいことである」という、ふしんの始まりと陽気な賑わいを歌ったお歌です。
みかぐらうた「二下り目2」の現代語訳と意味
みかぐらうた「二下り目2」は、親神様が望まれる「ふしん(普請)」に取りかかる際の、人々の喜びと賑わいを歌っています。このお歌の現代語訳と、そこに込められた意味や解釈を深く学ぶことで、天理教における「ふしん」の真髄を理解することができます。
重要キーワードの解釈
- ふしぎなふしん:単に目に見える建物(つとめ場所や教会など)を建てることだけを意味するのではありません。人々の心を陽気ぐらしへと立て替える「心のふしん」や、世界中の人々を救済する「世界のふしん」を指しています。人間の知恵や力では到底及ばない、親神様の不思議なご守護を頂いてなされる普請です。
- かゝれバ:その普請に取りかかったならば。皆が心を一つにして、自らの心の入れ替えや世界たすけの歩みを進め始めることを意味しています。
- やれにぎはしや:まことに賑やかである、という意味です。「やれ」は感嘆を表し、単なる人だかりの賑わいではなく、人々が親神様のご守護に感謝し、喜び勇んでひのきしんや人たすけに向かう「陽気な賑わい」を表しています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「二下り目2」の教理を通して、私たちは目に見えない「心のふしん」の大切さと、そこから生まれる真の喜びを学びます。
- 「ふしん」とは建物の建築にとどまらず、自らの心を立て替える「心のふしん」や「世界たすけ」への歩みであること
- 親神様のご守護を信じてふしんに取りかかるとき、そこには自然と陽気で賑やかな喜びの世界が広がること
- 皆で心を合わせ、互いに喜び勇んでお道の歩みを進める姿勢の大切さ
二下り目3の原文と現代語訳
原文
三ッ みにつく
現代語訳
不思議な普請(心の立て替え)に取りかかり、心通りが清らかに澄み切ってくるならば、天の豊かな与えを頂戴し、健康や繁栄といった徳が自然と身に備わってきます。そして無病息災や一家の和楽など、真の幸せがしっかりと身についてくるのです。
短い意味
「親神様のご守護により、健康や繁栄といった豊かな徳が自然と身につき、無病息災や一家の治まりなど、本当の幸せが身に備わってくる」という喜びを歌ったお歌です。
みかぐらうた「二下り目3」の現代語訳と意味
みかぐらうたの「二下り目3(三ッ みにつく)」は、親神様の教えに従って不思議な普請(心の立て替え)を進めることで、真の幸せや豊かな徳が自然と身に備わってくることを歌っています。この短い言葉の現代語訳と、そこに込められた意味や解釈を深く知ることで、天理教の信仰における喜びがどのように自分のものになっていくのかが理解できます。
重要キーワードの解釈
- みにつく(身に付く):善悪共に心通りが身に付くこと、そして喜びの種が身について幸せになることを意味します。栄養が身について健康になり、徳が身について繁栄となるという、無病息災や家内安全の実現を表しています。
- 自然と身に備わる:自ら無理に手に入れよう(つくりとる)とするのではなく、教えに従って歩むうちに、自ずと効能の理が身についてくることを意味します。
この節から得られる学びと核心ポイント
この「二下り目3」の教理を通して、私たちは心が澄み切ることで与えられるご守護のありがたさを学びます。
- 心のふしん(立て替え)を進めれば、結果として健康や繁栄が「身につく」こと
- 目先の利益を無理に追い求めるのではなく、自然と徳が身に備わってくる信仰の歩みの大切さ
- 無病息災や家内安全といった、私たちの生活に密着した確かな幸せが実現していく喜び
二下り目4の原文と現代語訳
原文
四ッ よなほり
現代語訳
私たちが私欲や人間思案を捨て去り、互いに立て合い扶け合う心へと入れ替えるならば、親神様のご守護によって、不景気や争いに沈んでいた世相が一変し、心身ともに健康で平和な「陽気ぐらし」の世界へと見事に立て替わる(直る)のです。
短い意味
「世界中の人々が心を澄まし、互いにたすけ合う心に入れ替えるならば、世の中は病や争いのない『陽気ぐらし』の素晴らしい世界へと見事に立て替わる」というお歌です。
みかぐらうた「二下り目4」の現代語訳と意味
みかぐらうた「二下り目」の第4首は「四ッ よなほり」という非常に短い言葉ですが、ここには人々の心の入れ替えによってもたらされる、壮大な世界の立て替え(世直り)の教理が込められています。このお歌の現代語訳と、そこに込められた深い意味や解釈を学ぶことで、私たちの心のあり方が世界に与える影響の大きさを理解することができます。
重要キーワードの解釈
- よなほり(世直り):単に世の中の景気や情勢が良くなることだけを指すのではありません。世界中の人々の心が悪から善へ、陰から陽へと入れ替わることによって、親神様の摂理のままに、病や争いのない「陽気ぐらし」の世界へと立て替わることを意味しています。
- 心の入れ替えと世直り:個人の心が澄み切り、互いに扶け合う心へと入れ替わることで、まず自分自身の身が健康になり(身の直り)、家が治まり、ひいては世界全体が直るという、心と世界の密接なつながりが示されています。
この節から得られる学びと核心ポイント
この「二下り目4」を通して、私たちは一人ひとりの「心直り」が「世直り」の根本であることを学びます。
- 世界が平和で豊かな「陽気ぐらし」の世界へと立て替わるためには、まず私たち自身の心の入れ替えが必要であること
- 欲や人間思案を捨て、互いに立て合い扶け合う心を持つことで、親神様の自由自在なご守護が頂けること
- 個人の心身の健康や家庭の平和(直り)が、やがて世界全体の好景気や繁栄(世直り)へとつながっていくという教理
二下り目5の原文と現代語訳
原文
五ッ いづれもつきくるならば
現代語訳
どのような立場にある者であっても皆、この親神様の教えを素直に聞き分けて、互いにたすけ合う「つとめ」の道にしっかりと随いて(ついて)来るならば。(そうすれば、親神様が争いの元を断ち切ってくださるのです。)
短い意味
「誰も彼も皆、この真実の教えを聞き分けて、たすけ一条の『つとめ』の道にしっかりとついて来るならば」という、すべての人々に信仰の歩みを促すお歌です。
みかぐらうた「二下り目5」の現代語訳と意味
みかぐらうた「二下り目」の第5首「五ッ いづれもつきくるならば」は、世界中のすべての人々が親神様の教えを信じ、共に信仰の道を歩むことを促すお歌です。この短いお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を深く学ぶことで、天理教において「皆が心を一つにして教えに従う(ついてくる)」ことの重要性を理解することができます。
重要キーワードの解釈
- いづれも(何れも):誰も彼も、どのような立場にある者でも皆、という意味です。世間のあらゆる人々が対象であると同時に、つとめを勤める人々一人ひとりを指すとも解釈されます。
- つきくるならば(随き来るならば):親神様の教えを聞き分け、たすけ一条の道(つとめの道)を信じて従って来るならば、という意味です。自ら進んで教えに随順する信仰姿勢を表しています。
この節から得られる学びと核心ポイント
この「二下り目5」からは、一人ひとりが教えにしっかりとついて行くことが、世界たすけへの確かな歩みになるという教理を学ぶことができます。
- どんな立場の人であっても、皆が心を揃えて「つとめ」の道について行くことの重要性
- 教えを単に聞くだけでなく、実際に信仰の道に「随き来る(実践する)」主体的な姿勢が求められていること
- 皆が教えに従うことで、次のお歌に続く「争いの元(むほんのねえ)を切る」という親神様の大きなご守護へとつながっていくこと
二下り目6の原文と現代語訳
原文
六ッ むほんのねえをきらふ
現代語訳
前首の通り、皆が心を一つにして教えに従って歩むならば、貧・病・争いといった人間社会の苦悩や、心身の調和を乱す「むほん(神意への反逆)」の根本的な原因(いんねんの根)を、信仰的な救済によってすっきりと断ち切ってやろう。
短い意味
「世界中の争いごとや内乱、そして心身の不調和といった『むほん(反逆)』の根元を、すっきりと断ち切ってやろう」という、根本的な救済を約束されるお歌です。
みかぐらうた「二下り目6」の現代語訳と意味
みかぐらうたの「二下り目6(六ッ むほんのねえをきらふ)」は、皆が心を揃えて信仰の道を歩むことで、世界から一切の争いや苦しみの根元を断ち切るという親神様のお約束が歌われています。このお歌の現代語訳と、そこに込められた意味や解釈を深く学ぶことで、天理教が目指す根本的な救済のあり方を理解することができます。
重要キーワードの解釈
- むほん(謀反):一般的には闘争や内乱、戦争を意味しますが、教理においては、身の内の調和を乱す病気(身上の悪しき)や、人間関係の不和、欲や高慢といった神意に反する一切の事象(心の反逆)を含めて指しています。
- ねえをきらふ(根を切ろう):貧・病・争といった困苦を、対症療法的な世俗的手段で解決するのではなく、いんねんや心遣いといった根本的な原因(根)から断ち切る、信仰的・根本的な救済を意味しています。
この節から得られる学びと核心ポイント
この「二下り目6」を通して、私たちは親神様のご守護によってもたらされる真の平和と救済について学びます。
- 一切の争いや病気の根元(むほんの根)を絶ち、平和な陽気ぐらしの世界を実現するという親神様の力強い決意
- 苦しみを表面的な解決で終わらせず、根本的ないんねんから解決を目指す信仰的救済の重要性
- 「皆がついて来るならば(前首)」に応える形で、人々の心を一つにする歩みが大きなご守護を引き出すという教理
二下り目7の原文と現代語訳
原文
七ッ なんじふをすくひあぐれバ
現代語訳
病気や事情で難渋し、苦しみの中に倒れ込んでいる人を、何とかしてそこから引き起こし、救い上げてあげたいという真実の心で立ち働き、人だすけに尽くすならば。(次のお歌の『病の根を切ろう』という親神様の根本的なご守護に繋がります。)
短い意味
「病気や事情で苦しみ難渋している人を、何とかして救い上げてあげたいという心で立ち働き、人をたすけるならば」という、人だすけの実践を促すお歌です。
みかぐらうた「二下り目7」の現代語訳と意味
みかぐらうた「二下り目」の第7首「七ッ なんじふをすくひあぐれバ」は、病気や事情で苦しんでいる人を救い上げようとする「人だすけ」の実践を促すお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた意味や解釈を深く学ぶことで、天理教が大切にする「たすけあい」の教理を理解することができます。
重要キーワードの解釈
- なんじふを(難渋を):病気や人間関係、経済的な問題などで苦しみ、難儀不自由している状態のことです。
- すくひあぐれバ(救い上ぐれば):倒れている人を引き起こし、苦境から引き出そうと立ち働くことです。自らの利害を忘れ、困っている人を何とかして助けたいと行動する真実の心を意味しています。
- 神様のご守護とのつながり:このお歌は、続く第8首の「やまひのねをきらふ(病の根を切ろう)」という親神様のご守護の前提となっています。人を救けようとする心が、結果として大きなご守護を引き出すという教理が示されています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「二下り目7」を通して、私たちは他者への思いやりと、おたすけの実践の大切さを学びます。
- 苦しんでいる人(難渋)を見過ごさず、自ら進んで救い上げようとする慈悲の心を持つこと
- 人のために尽くす「人だすけ」が、結果として親神様からの根本的な救済(病の根を切る)を引き出すこと
- 互いにたすけ合う実践こそが、陽気ぐらしの世界を建設するための重要な歩みであること
二下り目8の原文と現代語訳
原文
八ッ やまひのねをきらふ
現代語訳
前首の通り、人々が互いに助け合い、苦しんでいる人を救い上げるために真実の心で立ち働くならば、親神様は自由自在のご守護を現し、病み患う根本的な原因である「病の根(悪しきいんねんの根)」をすっきりと断ち切ってやろう。
短い意味
「人々の難渋を救い上げる真実の行動を起こすならば、親神様は自由自在のお働きによって、病み患う根本原因(いんねんの根)をきれいに断ち切ってやろう」という、病の根本的な救済を約束されるお歌です。
みかぐらうた「二下り目8」の現代語訳と意味
みかぐらうた「二下り目」の第8首「八ッ やまひのねをきらふ」は、前首の「なんじふをすくひあぐれバ(難渋を救い上げれば)」という人だすけの実践に対する、親神様からの確かなご守護のお約束です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた意味や解釈を深く学ぶことで、天理教における病の根本的な救済のあり方を理解することができます。
重要キーワードの解釈
- やまひのね(病の根):病気の表面的な症状ではなく、病み患う根本的な原因や、悪しきいんねんの根を意味します。心遣いの間違いが身上(身体)に現れたものが病であり、その大元を指します。
- きらふ(切ろう):親神様の自由自在なお働きによって、病の根源を根本から断ち切って救済しようという強いお約束です。
- 前首とのつながり:第7首で「人の難渋を救い上げる」という利他の行動(たすけ一条の実践)を起こすことで、初めて自らの「病の根」も切っていただけるという、「人をたすけて我が身たすかる」教理が示されています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「二下り目8」の解釈を通して、私たちは病の根本的な解決方法と、人だすけの重要性を学びます。
- 病気は表面的な治療だけでなく、心遣いの入れ替えという根本的な解決(根を切る)が必要であること
- 人の苦しみを救おうとする真実の行動が、自らの病の根源(いんねん)を断ち切るご守護を引き出すこと
- 教えに従い、互いにたすけ合うことで、病気や苦しみのない「陽気ぐらし」の世界が実現するという確信
二下り目9の原文と現代語訳
原文
九ッ こゝろをさだめゐやうなら
現代語訳
これまでの教えの通りに、親神様に対しては争いの元を断って「つとめ」の道に付き従い、人々に対しては苦しむ人を救い上げる「人だすけ」の道に尽くすという、たすけ一条・つとめ一条の心をしっかりと定めなさい。そして、いかなる身上(病気)や事情の困難(ふし)があろうとも生涯変わらず、その心を動揺させずに保ち続けるならば。(次のお歌の「ところのをさまりや」へと繋がります。)
短い意味
「これまでに教えられた、たすけ一条・つとめ一条の信仰の道に、生涯変わらぬ真実の心をしっかりと定めて、いかなる困難にも揺るがずに歩むならば」という、揺るぎない心定めを促すお歌です。
みかぐらうた「二下り目9」の現代語訳と意味
みかぐらうた「二下り目」の第9首「九ッ こゝろをさだめゐやうなら」は、これまでに教えられた「つとめ」と「人だすけ」の道に対する固い決意(心定め)を促すお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた意味や解釈を深く学ぶことで、天理教の信仰における「心定め」の重要性を理解することができます。
重要キーワードの解釈
- こゝろをさだめ(心を定め):この下りの5首目から8首目までに示された親神様の教えに従い、心を定めることです。具体的には、親神様に向かっては「むほん(反逆)」の心を捨ててつとめの道に従う「つとめ一条の心」を定め、人々に対しては難渋を救い上げる「たすけ一条の心」を定めることを意味しています。
- ゐやうなら(居ようなら):一度定めた心をそのまま保ち、生涯変わらず、動揺せずに「居る」ならば、という意味です。真実の心(誠)を揺るがさずに貫く姿勢が求められています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「二下り目9」を通して、私たちは一時的な熱心さではなく、末長く変わらない「心定め」の尊さを学びます。
- 「つとめ一条」「たすけ一条」の精神を、自らの生涯の揺るぎない目標としてしっかりと定めること
- 身上(病気)や事情といった様々な「ふし(困難)」に出会っても、一度定めた心を動かさずに親神様にもたれきること
- 変わらぬ真実の心(誠)を貫くことが、次のお歌の「ところのをさまり(世界の平和・陽気ぐらし)」という究極のご守護につながっていくこと
二下り目10の原文と現代語訳
原文
十デ ところのをさまりや
現代語訳
これまでの教えの通り、つとめ一条・たすけ一条の心を生涯揺るがさずに定めて歩むならば、とうとう(十デ)その真実が実を結び、世界中のあらゆる場所(ところ)が平和に治まり、争いや病のない理想の世界である「陽気ぐらし」が実現するのです。
短い意味
「とうとう、世界中のあらゆる場所が平和で豊かに治まり、争いや病のない『陽気ぐらし』の世の中が実現する」という、究極の平和を約束するお歌です。
みかぐらうた「二下り目10」の現代語訳と意味
みかぐらうた「二下り目」の結びとなる第10首「十デ ところのをさまりや」は、教えに従い心を定めて歩んだ結果として現れる、世界の究極的な平和と「陽気ぐらし」の実現を歌っています。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を深く学ぶことで、天理教の信仰が目指す最終的な救済の姿を理解することができます。
重要キーワードの解釈
- 十デ(とうで):「とうとう」「ついに」という意味です。二下り目で教えられた「心の立て替え」や「人だすけ」の実践を重ねた結果、到達する最終的な段階(結実)を示しています。
- ところ(所):特定の地域や個人の家庭にとどまらず、世界中、この世の至る所を意味しています。手振りでも「世界中一列」を示す動きがつけられており、地球規模の広がりを持つ救済を表しています。
- をさまりや(治まりや):平和になる、円満に治まること。病気や争いといった身の内の調和を乱す事象(むほん)がすっかりなくなり、親神様が望まれる陽気ぐらしの理想世界が完成することを意味します。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「二下り目10」を通して、私たちは信仰の実践がもたらす壮大な結果に対する確信と喜びを学びます。
- 一人ひとりが「たすけ一条」の心を定めることが、やがては世界全体の平和(ところの治まり)へと繋がっていくこと
- 神様への真実の信仰を貫くことで、とうとう(十デ)争いや病のない陽気ぐらしの世界が実現するという親神様の力強いお約束
- 自分自身の救済にとどまらず、世界中の人々が共にたすかり、円満に治まる世界を目指して歩むことの尊さ

